その三
戻ったエルファーナはさっそく叱られた。
「無事でよかった……」
リゼはエルファーナをぎゅっと抱きしめた。
怒られてちょっと首を竦めていたエルファーナは、リゼの体温に触れてほっとした。心配したから怒ってくれたのだ。それは自分に関心を持ってくれている証拠のようで、エルファーナは笑みを零した。
「笑い事じゃありませんよ。どうして約束を守らなかったんですか?」
「とっても親切な人がいたの。あのね、ハルスもいたの」
「ハルス? あぁ、エルファーナと遊んでくれたという子供ですか」
「そう」
嬉しそうなエルファーナとは対照的に、リゼは不快そうに眉を寄せた。
「ねぇ、リゼ。わたくしにその子を紹介してくださらないの?」
ふいに割って入ってきた可憐な声。
黒髪に藍色の美しい少女が、上目遣いにリゼを見つめた。彼女は、先ほど奇跡を披露していた娘であった。
「ルイーゼ様」
エルファーナから離れたリゼが畏まった。
けれどそんな態度が不服らしい少女は、少しすねたように言った。
「また他人行儀な。ルイーゼと呼んでとお願いしているのに」
「お許し下さい。彼にも女王候補を呼び捨てにはできません」
慇懃に距離を保ちつつも、リゼの表情は柔らかであった。
二人の親しげな姿に、エルファーナはリゼの袖をくいくいと引っ張った。
「リゼ……?」
面識があったのだろうかと訝しく思っていると、ルイーゼに気を取られていたリゼが説明をした。
「あぁ、エルファーナ。すまないね。そちらにいらっしゃるのは、ルイーゼ・ハルフォンス様とおっしゃって、これから私たちと行動を共にするのです。エルファーナ、ルイーゼ様にご挨拶なさい」
リゼの背からぴょこっと顔を出したエルファーナは、しっかりと教わったとおりのお辞儀をして名乗った。
まだ慣れないせいかぎこちなかったが、その必死さが笑みを誘う。
やり終えたエルファーナはこれで合っているかな、と不安そうにリゼを見上げた。
リゼは、良くできましたというように頭を撫でた。
エルファーナはくすぐったそうにはにかんだ。
「まあ、可愛らしい」
ルイーゼはほほえましそうに二人のやりとりを見つめていたが、リゼの愛おしげな視線に一瞬表情を凍らせた。しかしすぐに赤い唇に笑みを乗せる。
「リゼの妹? それとも隠し子かしら。それだったらわたくし妬いてしまうわ」
ルイーゼは甘えるようにリゼの腕に手を絡めた。
「妹のようなものです。縁あって面倒をみているのです」
「そう……あなたの子供でなくてよかったわ。エルファーナ…だったかしら。わたくしとも仲良くしてね」
ルイーゼはとても上品で優雅で綺麗だった。長身のリゼに寄り添った姿はまるで一枚の絵画のようで、すれ違う人たちはみな見惚れていた。
感嘆としたため息があちこちから漏れる。
何度か、聖なる娘だっと興奮気味に叫ぶ声もあったが、無遠慮に押しかけてくる者はいなかった。まるで線引きでもされているかのように、自然と周囲から人の波が引いていく。
そこだけ別世界のようであった。
ルイーゼは恋人のようにリゼに体を預け、藍色の双眸を色めかせながら楽しげに会話をしていた。リゼも密着してくるルイーゼに対して嫌がる素振りもみせず、恭しく接していた。
入り込めない空間に、外に放り出されてしまった形のエルファーナは、とっさにリゼにすがろうとしたが、伸ばしかけた手はすぐに落ちてしまう。
はた目にもリゼがルイーゼを大切に思っているのはわかる。
周囲は、睦言を交わしているかのような甘い雰囲気を漂わす二人を恋仲と信じて疑わなかった。
「リ、ゼ……」
小さな呟きなど、にこやかに談笑するリゼには届かなかった。
リゼをとられてしまったようで、エルファーナは少し寂しかった。
そんな完璧な二人に気後れを感じてしまったエルファーナは、突然歩き出した二人についていくべきか迷ってしまった。
「エルファーナ?」
立ち止まったエルファーナに気づいたのは、ルイーゼの相手をしていたリゼであった。彼は、右の腕にルイーゼをまとわりつかせながら、しっかりとエルファーナを見ていたのだ。
一緒に歩かないエルファーナを訝しげに見つめたが、エルファーナが瞳を翳らせているのを見て取ると、ふんわりと柔らかな笑みを浮かべて左の手を差し出した。
じぃっとそれを眺めていたエルファーナは、おずおずと手を伸ばした。
「これではぐれないでしょ?」
リゼはしっかりとエルファーナの手を握った。エルファーナのやせこけた手よりずっと大きくて柔らかくて温かい手。リゼがちゃんと自分をみていたことに感動したエルファーナは、憂いもいっきに吹き飛んでしまった。
神が祝福をあたえたような美貌の持ち主たちを前に、人は道を空けていく。
「本来なら、すぐにでもわたくしどもの宿に移っていただきたいのですが……」
「あら、出立は明日なのでしょ。ならば問題ないわ。最後の夜くらい、これまで旅を共にしてきた仲間と語り合いたいですもの」
ルイーゼは、古びた宿の前で足を止めると可愛らしく上目遣いでリゼを見つめ、するっと腕から身を離した。
「では、明日お迎えに参ります」
リゼは優雅に腰を折った。
「えぇ、待っているわ」
ルイーゼはつま先を伸ばすと、誘うように頬に手を当て、リゼの唇にキスをした。
ちゅっと音を立ててから、ゆっくりと顔を離したルイーゼは、悪戯っぽく目を輝かせた。驚くリゼにふふっと笑いながら古ぼけた宿に入っていった。