take:4 少年は再び嘘をつく
「お、お兄ちゃん……。お兄ちゃんに彼女ができたって……マジで?」
彼女は驚きに言葉をつまらせながら、そう俺に問いかけた。それはまるで神隠しにでもあったみたいに、ぽかんと口を開けながら。
黒々とした大きな瞳がぱちくりと瞬いた。
実際彼女はできていないのだが、そこまで驚かれるとちょっと凹む。お兄ちゃんバカにされすぎじゃないか。
「……マジだ」
俺はへこみつつも嘘をつく。
飾音を確信付けるような、ゆっくりとした口調で呟く。嘘を吐く上で最も大事なことは、やはり相手に信じてもらうことだ。嘘をまるで真実かのように思い込ませるのだ。
俺のセリフから暫くの間が空く。ぽくぽくぽくちーん……と沈黙が訪れる。
再び2人は「ほええええええっ!?」と驚きの声をあげる。……うん、まあアスカはこの場合驚いちゃダメなんだけどな。
そんな様子に苦笑を浮かべていると、突然俺の袖がぎゅっと引っ張られる。
はてなとそちらへ振り返ってみると、アスカがもじもじとしながらこちらを見ていた。
俺は、訝しげな視線を送り、何か用か?と口には出さず問いかけてみる。
……が、それに気づくと彼女は途端にあわあわしだして、頬をほんのりと赤く染める。そして、何故か視線までもが虚ろに泳ぎだしていた。
俺のアイサインは完全にスルーのようだ。
……って、え?呼んどいてなにそれ?俺が悪いのかこれは?……っていうか、なんかこっちまで恥ずかしくなってくるからそういうのやめてくんない?
何でかばつを悪くされた俺は、ガシガシと後ろ髪を掻き上げる。……こんな時ってどんな顔したらいいんだよ。笑えばいいのか?
一体どんな表情をすべきなのか悩み倒し、引きつったような気持ち悪い笑みを浮かべていることしばし、ようやく覚悟が決まったのか、ふらふらとあちこちを漂っていた彼女の視線は再び俺の元へと舞い戻ってきた。
そうして再び彼女と視線がぶつかる。
だが、先ほどのように、その視線が逸らされることはなかった。濁りのない真っ直ぐな視線に、思わずこちらがたじろいでしまう。
すると、アスカはほんの少しだけ背伸びをし、俺の耳元へと顔を近づけた。………………え?キスかな?……ふっ、まさかね。
恐らく何か言いたいことがあるのだろう。俺も彼女に向けて、少し体を傾ける。
目の前に迫りくる彼女の顔は、ふわりと女の子独特の甘い香りを漂わせる。心臓がドキリと音をたてて跳ね上がるのを感じた。
……それでも、彼女の話を冷静に聞こうと努めるべく、我に立ち返り、彼女の口元へ耳を傾ける。
アスカは至極小さな声で話し始めた。
「……ええと……あ、あの……さっきのやつなんですけど…………あ、わわ、私が風見さんの……彼女っていうのは……その……」
アスカは、ぽそぽそとした柔らかい声音で囁き、俺の鼓膜をわずかに揺さぶった。その声に、こそばゆいような恥ずかしいような気持ちに駆られて、再び心臓が跳ね上がってしまいそうになる。
俺は脈打ちかけた左胸にそっと手をやり、それを抑え込むように、彼女の言葉の続きを待つ。
しかし……一向にその続きは聞こえてこない。
どうやら彼女の歯切れの悪いセリフは、歯切れの悪いまま終わりのようで、それを決定づけるように、背伸びをしようと伸ばされたつま先はゆったりと戻されていった。
それに合わせて、彼女の赤らいだ顔も徐々に遠ざかっていく。が、彼女の視線は未だに俺を捉えているようだった。返答を待っているということなのだろうか。
……まあ、恐らくの状況は掴めた。
多分アスカは、天然なのか鈍感なのか……俺がわざと嘘を吐いたことに気付けていないのだ。すなわち、俺が本気でああ言ったと思っているのだろう。
……いや、でも思わねえよな普通。
いきなり彼女にされて、それを信じちゃうとかどんだけ素直なんだよ。ピュア過ぎるにも程がある。ピュアッピュアっていうかもはやプリキュアくらいにキュアッキュア。
いや、それは意味分かんねえな。
……ともかく、彼女にきちんと現状を把握してもらわないことには始まらない。俺が吐いた口上の嘘について共通の認識が無ければ、話が噛み合わない。
それでは、違和感が生まれてしまい、飾音に俺たちの関係を疑われてしまうだろう。
それは何としても避けたい。
「嘘」というモノは、隠し通さなければ価値を生まないし、意味が無くなる。バレてしまえば、嘘はただのマイナスに過ぎない。俺はそれをよく知っていた。
幾度も幾度もそれを噛み締めさせられた。
失わないために吐いた嘘が何かを失い、守るために吐いた嘘が誰かを傷つける。そんなことはしょっちゅうだ。もううんざりだ。
だのにそれでも俺は嘘を吐くし、人もまた嘘を吐く。その連鎖が止まることはない。
たとえリスクを侵してでも、自分や周りを嘘という名の偽物で塗り固めていくのだ。それはあまりにも空虚しく、薄ら寒いことだというのに。そしてそのことも理解しているはずなのに。
なのに、また嘘をついている。
俺はアスカに向けて、僅かに体を傾ける。それに合わせて、彼女も僅かに耳を寄せる。
そうして俺は、彼女の耳に向けて「合わせてくれ」とだけ至極小さく呟いた。
とりあえずはこれで伝わっただろうか。
「合わせてくれ」というのはもちろん、アスカと俺が付き合っているという設定に、合わせてくれという意味だ。
少し乱暴な合図の出し方かもしれないが、飾音の前では、これ以上長々と説明もできないし、この程度の合図が限界なのだ。
アスカは最初こそはてな?といった顔をしていたが、やがてその意味を察したのか、頰の赤は、ぽーっと彩度を増していく。
恐らく、先ほどとは別の恥じらいが彼女の中を駆け抜けたのであろう。
彼女は俺を睨めつけながら、いーっと舌を出している。
「分かってますっての……!」
彼女は小さくそう呟くと、一瞬寂しげな笑みを浮かべたように見えた。……それは、唯の思い過ごしに過ぎないのかもしれないが。
彼女への返事代わりに軽く頷きを返し、俺は前へと向き直る。
……そこには、そういえば放ったらかしにされていた、マイリトルシスター飾音ちゃんが、怒ったフグのようにむーっと頰を膨らませていた。完璧に忘れてたよぉふえぇ。
マジで申し訳ないな…………っていうかそれよりもマジであざと可愛いなこいつ!怒った表情まで可愛いとか、もう何もかもが可愛い。存在が可愛い。可愛いは正義!
そんな様子を眺めていると、飾音はジトーっとした目で、こちらを睨みつけてくる。何か思うところがあるようで、への字に曲げられた口を小さく開いた。
「……なんか、幸せそうでいいですねー」
彼女の声は「お前Siriなの?」ってツッコミをいれたいくらいに抑揚が無かった。まだCMにでてるスポーツ選手の棒読みセリフの方がマシだろうってくらいの棒読みぶり。
彼女の瞳は、依然として濁ったジト目をキープしていて、何ともお怒りのご様子だ。放置プレイからの、仲間外れこそこそトークが相当気に食わなかったのだろう。
しかし、そこはさすが俺の妹。『怒っても可愛いっ☆』がキャッチコピーなので、やはり怒った顔も可愛かった。
しばし彼女のぷんすかした表情を楽しんでいたが、諦めがついたのか踏ん切りがついたのか、大きなため息をひとつくと、そっと諦めたような微笑をたたえた。
…………眩しい。
この微笑みには「天使の微笑」というタイトルを付けて、俺の脳内美術館に飾っておくことにしよう。そうしよう。
俺がうんうん頷いていると、飾音は天使の微笑をたたえたまま、アスカの方へと体を向けていた。
アスカもまた、ビクッとしながらも背筋を伸ばし、飾音の目を真っ直ぐと見据える。
2人は対峙し、その視線はぶつかり合う。
そして、そこに妙な緊張感が生まれた。女の子2人が見つめ合っているだけなのに、何故かピリピリと空気が張り詰める。
困惑した俺は2人の顔を交互に見た。すると、飾音の前で俺の視線は止まるのだった。
彼女の目は細く鋭くなり、冷淡に厳しくアスカを睨みつけていた。
完全に修羅場と化している。
そして、明らかに俺が空気だ。空気になっている。
「あ、あの、お前ら……」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「あ、いや……すまん……」
……なんか怒られたぞ。それに、反射的に謝ってしまった……。ていうか怖いよ飾音ちゃんふえぇ……。
ぐすんとしょげてみるが、飾音はそんな俺には見向きもせず、未だアスカに犀利な視線を向けている。
「……アスカさん」
硬直した空気を切り裂くように、彼女の声音はよく響いた。あたりをさーっと冷やしていくような冷たい声音だ。
「…………はっ、はい」
「……ダメダメでどこまでも卑怯で卑屈で引きこもりな、こんなお兄ちゃんの……どこを好きになったんですか?」
……うん?……え?
なんで俺こんなにdisられてんの?飾音ちゃんこんな風にお兄ちゃんのこと見てた?お兄ちゃん悲しいなあ………………泣いていい?
このままでは納得がいかない……飾音には俺がどれだけ素晴らしい人物か伝えておかないとな……。
俺の俺偉人伝を語るべく、口を開きかけると、それをアスカの声が押し留めた。
「……優しい……ところです」
彼女は静かな声で、そう呟いた。
……心をチクリと刺されるような心持ちがした。
俺は、優しくは…………ない。
彼女の中に存在する優しい俺なんてのは、ただの理想像にすぎない。形ない虚像だ。
恐らく妹が言っていたものが、本当の俺なのだ。姑息で卑怯で利己的で……いつも自分のことしか考えられない、ダメダメだ。
さすが近くにいるだけあって、妹はよく俺のことを見れていると思う。
「……はぁ。優しい……ですか」
飾音は問い掛けなおすように、呟く。
しかし、アスカは黙っていた。黙って飾音を真っ直ぐと見つめている。それが彼女にとっての答えということなのだろうか……。
俺の「合わせてくれ」というセリフに、言わされているだけなのかもしれないが……申し訳なさで胸がいっぱいになる。
本当に酷な嘘を吐かせてしまったな……。
「……お兄ちゃん」
声の主は飾音だ。
アスカとの会話は切り上げたらしく、俺の方に体を向けている。
「……なんだよ」
「……いい彼女さんできて、良かったね!」
飾音は口角を吊り上げて、ニコッと笑う。
思わず、へっ?と声が漏れてしまう。予想外の言葉に状況がつかめないでいた。
どうしたと飾音をジロリと見やるが、彼女の視線は虚空を漂っていた。何かを思い出すような懐かしむような、そんな視線で。
やがて俺の視線に気付いたのか、彼女は再び視線を俺に戻し、その先の言葉を、ひとつひとつ紡ぐように話し始めた。
「……お兄ちゃんってまあ顔は悪くないからさ、もしかしたら彼女ができるかもとは思ってたんだよ。それ以外は本当ダメだけど」
「一言余計だぞ」
俺の茶々にあははと軽い笑い声をあげて、彼女はそのまま続ける。
「でも、お兄ちゃんのことを、優しいなんて言える人は絶対いないと思ってたからさ」
「……酷い言われようだな」
「……そうかな。別にこれは、お兄ちゃんが優しくないって言ってるわけじゃないよ。お兄ちゃんの優しさに気づける人なんて、普通はいない……ってこと。こんなに側にいる私ですら、時々気付いてあげられないくらいだからね。でもお兄ちゃんは、優しい」
飾音はそう言うと、悲しげに笑った。
……果たしてそんなものは、優しさと呼んでもいいのだろうか。
飾音は妹として、家族として、当然のごとく俺のことをよく見てきているだろう。それはその通りだと思う。だけど、俺の全てが分かるわけじゃない。
妹だろうが家族だろうが、どれだけ関係が深いところで、あくまは他人だ。あくまで飾音は俺じゃない。だから俺の何もかもを知ることはできない。当たり前のことだ。俺自身ですら、俺の全ては分からないくらいだ。
だから敢えて言わせてもらうならば、飾音が言ったことは間違っている。俺が持っているものは、優しさなんかじゃない。
自分勝手に沢山の人を傷つけて、沢山の大切なモノを壊した人物が、目の前にやってきた蜘蛛を1匹救ったところで、そんなのは優しさとは呼べない。意味も持たない、エゴに歪んだ醜いだけの罪滅ぼしにすぎないのだ。
助けた気になって、自分だけ良い気分に浸かっている自己満足に過ぎない。
結果はすべてをぶち壊しているだけだ。
だから、お願いだから、優しいなんて言わないでくれ…………。……続く。