take:2 彼女と俺の交渉が始まる
考えれば考える程、どつぼに嵌まる。
"考える"とはそういうことなのかもしれないと、ふと思った。
考えれば考えるほど分からなくなり、解決や答えから遠ざかっていく。考える程に自分が信じていたものが歪んでいき、自分が崇拝していたはずの正しさを失っていく。
思考するということは、自分が迷妄していた何かを色褪せさせるということだ。本当にそれが正しいのかどうか、確信が揺らぐ。
世の中ではっきりとした答えが出るのなんて、数学くらいなものであって、他にこの世に存在する答えなんてのは、何もかもが曖昧で、漠然として、有耶無耶にされ、不明瞭なものばかりである。
悪とは何か、善とは何か、正義とは何か。
きっと誰もがそれなりのイメージは持っているだろう。ただそれは漠然としている。あまりに漠然としすぎて、その真髄を追求されたとき、果たして答えられるだろうか。
辞書に記されたような形式的な説明はできても、それを実際のケースに置いて考えたとき、果たして誰もが同じ答えを導き出せるだろうか。
「蜘蛛の巣に引っかかってしまった蝶々を見かけたとき、それを助けるべきか、否か」
こう問いかけられた時、どう答えるのが正解なのか。
俺は虫が嫌いなので、恐らくはスルー安定だろうが、この場合の正しい解答とは、いったいなんなのだろうか。
捕まってしまった哀れな蝶々、可哀想だから助けてあげよう、慈愛に満ちていて大変素晴らしい回答だ、恐らく間違いではない。
いやはや、蜘蛛の餌である蝶々を放てば、当然蜘蛛の餌は無くなり、餓死する。
故に、ここでは放置が正しいやり方だ、なんてのもまたアリだろう。あるがままに自然のままに、これも間違いじゃない。
やることこそ違えど、どちらも間違ったことは言ってないのだ。
だから意見はきっと半々に割れ、正義論争が巻き起こることだろう。各々自分が正しい、自分が正しいと声高に叫ぶのだろう。
結局それでも答えは出ない。
というか、答えを求めること自体が間違っていて、心底馬鹿らしく、薄ら寒いことなのかもしれない。
きっとどちらも正しくて、どちらも間違っていない。つまりどちらも正解なのだ。
今の俺にも同じことが言えるだろう。
今回くだしたように、彼女の世界を救わないという判断も正しい。また、それと同様にして、彼女の世界を救うという選択も、正しいものであったのだろう。
だから、俺が下した決断は間違っていないし、俺が選べなかった選択肢も、また間違っていないのだ。
だから、こんな選択に後悔し、悩み考えるなんて、不毛だ。
それは自問し続けることによって、自分がした選択から逃れようとしているにすぎない。時間の無駄遣いもいいところだろう。
そう分かってはいるのだが……。
もがけどもがけど、罪悪感が消えない。
どうしてもとれないこの蟠りが、鬱陶しく俺の体内を這い回るのだ。
止め処ないイライラに苛まれていると、ふいにガチャリと大きな音がした。
ドアが開く音。
恐らく誰ぞやが帰ってきたのだろう。
俺はもんもんとした思考から、ひゅいーんと現実へ引き戻されていく。
急にテレビの音が聞こえてきて、何気無しそちらを見やると、株価ガーとか円高ガーとか言ってたので、とりあえず電源を切った。
それと時を同じくして、とてとてとあどけない足音が聞こえてくる。
俺は引き戸の方をぼけーっと眺めてみた。
引き戸の前で足音が止み、同時にガラララーっと勢いよく扉が開かれる。
「……たっだいま〜!っと」
そこに立っていたのは、部活帰りなのだろうか、上下赤ジャージ姿の妹であった。
風見飾音。中学3年生で、バスケ部所属。正真正銘俺の妹である。義理でないのがちょっと残念なくらいに可愛い妹だ。
飾音はきらきらと汗を散らし、爽快な笑みを浮かべる。そのキラキラさは、例えるならどこのリトルツインスターズだよって位のキキララぶり。超キキララ。
首からぶら下げたタオルは汗でぐっしょりとしていて、彼女の溌剌な頑張りっぷりがうかがえる。青春してますぅって感じだな。心底羨ましいぜ。ちくしょう。
俺は「お疲れ様」とだけ適当に言って、汗だくの妹に麦茶をついでやる。
冷え冷えな麦茶は、とくとくと音を立てながら透明なグラスを満たしていく。
よほど喉が渇いていたのか、それをガシッとふんだくっていくと、ぷはーっ!だの、くーっ!だの言いながら、ものの一瞬で飲み干してしまった。豪快だなあ……。
なので、次は少しぬるめに温めたお茶を……なんて石田三成みたいな気遣いはしない。俺はお次もキンキンに冷やされた麦茶を注いでやるぜ、へへへ。
俺が兄として妹にしてやれるのはこれくらいなのだ。
飾音はゴクリゴクリと喉を鳴らしながら、またグラス一杯につがれた麦茶を飲み干していく。あれだな、麦茶のCMからオファー来そうなくらいに美味そうに飲むよなこいつ。
「……ぷはーっ!いやあやっぱお兄ちゃんのつぐ麦茶は最高だね!まじ千利休!」
「……良い飲みっぷりだな、お兄ちゃんも嬉しいぞ。でももし俺が千利休だったら、多分一気飲みなんてする奴は殺してるけどな」
あと、千利休は多分麦茶よりも緑茶派だろうなあ。天然ミネラル麦茶よりも綾鷹とかのが好きそうだよな。
そんなどうでもいいことを考えていると、妹はぽんと思い出したように手を打った。
「……あ!お兄ちゃん!そういえばだけどなんかお客さんきてたよ!」
「は?いや、お前そういえばだけどじゃないよ。帰ったらまず最初に言いなさいよそれ」
何余裕こいてお茶飲んでんだよこいつ。まあ水分補給は大切だけども。
飾音は謝罪の意をこめてなのか、てへぺろっと舌を出してウインクをしてきた。……あざとすぎる!が、まあ可愛いので許す。可愛いは正義。
しかしやべえよ〜、めっちゃ待たせちゃったよ〜怒ってないかなあ?……ふえぇ。
俺はどたどたとドアへ向かっていく。
でもお客さんって誰だろうな。
Amazonで何か頼んでたっけか?Amazonは予約注文とかあるから忘れた頃に漫画とかラノベとか届いたりすんだよなあ。
他にはヤフオクか楽天か……。
……もしくは友達?………はないか。そういえば俺友達いなかったわ!(てへぺろっ)
じゃあ一体どちら様だ?飾音に聞いとくべきだったかな……。
俺は「ごめんなさい……ふえぇ」っと謝辞を述べながらガチャリとドアを開く。
誰が立っているのかと思い、ぬるりと顔を覗かせてみる。と、そこに立っているのは宅配便のお兄さんでも、ピザの宅配でも、勧誘のセールスマンでもなく、予想外の人物なのであった。
「あっ、こ……こんにちはっ!」
「こんにちは……じゃねえよ。帰れ」
「なっ!?……なんてこと言うんですか!この家見つけるのがどれだけ大変だったか!」
俺がドアをそっと閉めようとすると、がしっとドアノブを引っ掴みあたふたと何か捲し立てるのは、予想外の来訪者であった。
綺麗に染めあげられたブロンドの髪は、腰のあたりまでスラリと伸ばされ、艶やかに輝きを放っている。まるで油を流したような光彩を一面に浮かべていた。
激しい身振り手振りをするたびに、長い金髪がぽわぽわと揺れる。落ちかける夕陽の光を踊るようにきらきらりと弾いていた。
その眩しさに思わず目を細めてしまう。
「……何しにきた。用件は」
「……ぬぁっ!冷たいなあ……。用件は変わらないですよ。風見さんに私たちの世界を救ってもらいたいんです。力を貸して下さい」
「………だから、それはさっきも!」
思わず語調が強くなってしまった。
女の子に対して感情をぶつけるだなんて俺らしくもない。クールにいかねえと……。
俺が謝ろうと口を開くと、それを彼女の声が遮った。
「……お願いです!お願いしますよ……もう私たちじゃどうしようもないんですよ……」
彼女の声は、小さな唇は震えていた。
絞り出されたような声は、次第にその威勢を失っていき、最後の方は聞き取ることすらできなかった。
俺は何か言わないとと言葉を探すが、まったくもって浮かんでこない。
俺があたふたしていると、彼女の瞳は次第に潤いをまし、ポロポロと雫を溢していく。
青味掛かった瞳はまるで水晶のように透き通っていて、見ていたらどこまでも吸い込まれてしまいそうになる。
わずかに漏れ聞こえる嗚咽が、俺の罪悪感を加速させていく。
あーあ泣かせちゃったー俺くんさいてー。
ほんと、俺って最低……。
朝に始まった頭のもやもやが、今になって一層俺の胸をしめつけていく。立っていることすら苦しくなってきやがった……。
彼女の要求さえ飲んでしまえば、何もかもがきっと解決するのだろう。
以前俺が彼女の世界を救った時のように、今回も同様きっとそれは可能だ。
それは分かってはいる。だが、そう簡単に飲めない理由が別にあるのだ。あまりにも愚かで恥ずかしい理由が、俺の中にあるのだ。
「……悪かったよ。あーだからよ、……少し考えさせてくれ、頼む」
俺はきまりが悪くなり、頭をガシガシっとかきあげながら、乱暴にそう言い放つ。
女の子の涙なんて反則すぎる。
審判イエローカードだせイエローカード。
こんな状況で追い返せるやつとかいんの?フェアプレーの精神的に見て超反則でしょこれ?
「……本当……ですか?」
「ああ……まだやるとは言ってないけどな。交渉程度なら乗ってやる」
そう、やるとは言ってない。
ここ重要だからな。
彼女はドレスの袖で涙をゴシゴシと拭き、俺の方を見つめた。その真っ直ぐな視線にたじろぎ、思わず視線を外してしまう。本当綺麗な目してんなこいつ……。
なんで俺の目はこんな濁ってんだろうな。不平等じゃねこれ?
「……まあ、入れよ。狭えけどな」
「……あっ、お、お邪魔します!」
とてとてと可愛らしい足音を立てながら、俺の後に続き彼女も中に入る。
彼女の名前は『アスカ・レイピア・ライトニング』さん。長いね。
アスカが住むのは異世界というか、この世界と別の軸に存在するパラレルワールドのような場所で、そこのお姫様をやっている。
かつての俺の、戦友である。