take:1 蟠る再開
俺の視界にはやんわりとした坂道が続く。
ムキになってペダルを踏めども踏めども、その坂道の果てがやってくることはない。
俺は今、定刻5時に終わったバイトの帰り道を、チャリにまたがりつつ駆け抜けているわけなのだが、いかんせん道のりは長い。
あーもうちょっと家から近いバイト先を探そう……とか、なんならもう辞めちゃう?みたいな意見までもが、俺の脳内を駆け巡る帰り道である。
俺の勤務先は、誰もがおなじみのコンビニエンスストアなのだが、立ち仕事故にか、脚、さらに限定すれば、ふくらはぎがヤバい。パンパンである、下手すれば破裂しそうなまである。
そんな瀕死状態の俺を、嘲り笑うかのように酷使してくるこの帰り道。
行きはゆるゆると下るだけなので、大変に心地よいこの坂道だが、帰りになれば、その幼気な顔は鬼面と化し、猛り狂う猛獣の如く俺に牙を向ける。
「あー坂道つれえ……」
とは言え、そんなことを考えたところで坂道が急に平坦になったりする訳もなく、淡々と漕ぎ進めていくしか、ここを突破する術はない。
俺は文句を垂れるのをやめ、黙々と愛車を走らせていく。ギシギシとそれに応えるかのように、愛車も悲鳴をあげる。
……そろそろ買い替えどきかな。……まあ2年も乗ってるからな。しかも使ってる道がこの延々と続く地獄坂。なにこれヒルクライム?ってくらいの険しさぶり。
それをMTBでない、ただのママチャリだのシティサイクルだのの分際で登っているわけなので、当然の如くガタもくるだろう。
だが、今日家に着くくらいまでは、もってくれよな。
ゴリゴリとペダルを押し漕ぎ、淡々と黙々と坂道を登る。家につくまで、もう少しかかりそうだ。
x x x
「っだいまー……」
俺は固く結ばれた靴紐をほどき、適当な挨拶とともに玄関をのぼる。
しかし、それに返事が返ってくることはなかった。恐らく今家にいるのは、俺一人ということなのだろう。ホームアローンである。
リビングにつながるドアに手をかける。
ガラガラと心地よい音が奏でられ、俺はのそのそとその中に足を踏み込んでいく。
バイト帰りに買った、晩飯用の弁当2人分を適当にテーブルに放り出し、ふかふかと俺を待っているソファーにどっと腰をおろす。
ぽふっと可愛らしい効果音がしそうな程にふかふかとしたソファーは、俺を寛容に包み込んでくれる。お母さんかお前は。
立ちっぱなしだった腰が降りれば、はぁー。と深深したため息もこぼれる。
一瞬たまった疲れがため息とともに抜けていくかのような錯覚に陥る。しかし実際はため息をついたくらいじゃ疲れは抜けない。じんわりとした痛みを伴うふくらはぎが、それを顕著に物語っていた。
俺は別に見たいでもなくつけたテレビの音をBGMにして、本日のハイライトを振り返ることにした。今日起きた事件の回想。
正直まだあまり現状が掴めていないので、そのあたりの整理も兼ねる。
俺は今日、2月28日、とある女の子に遭遇した__
「_____あなたの力が必要なんです。私たちの世界を救えるのは、風見さん、あなたしかいないんですよ!」
「……いや、そんなまた急に言われてもな。俺にだってこっちの暮らしがあるわけであってな……。それに……」
それに、俺はそう大した人間じゃない。
世界を救うだのといった大行事を成し遂げる人間は、少なからずの大物であるのが絶対条件なのだ。
俺程度の小物では、その役は務まらない。世界を救う英雄には、やはりそれなりの人物を選ぶべきだ。
そういう観点から考えても、この少女の人選は間違っていると言わざるを得ない。
例え俺が、以前に世界を救った英雄なのだとしても、だ。
きっとそこからして間違っていたのだ。世界を救う勇者になるべきだったのは、きっと俺ではない誰か。
俺が彼女の世界を救えたのも、それはただ運が良かっただけの、たまたまラッキーの産物に過ぎないのだから。
「風見さんにこちらでの生活があるのは重々承知しております……。ですから最低限の措置はとらせていただきます!以前とは違い、私たちの文明も少なからず発展致しました。私が今この世界にまた来られたように、私たちの世界と以前よりも自由な移動が可能になりました。帰りたくなれば、いつでも帰れるようにします……なので……なので……」
少女が俺に向けた言葉、それはもはや懇願に近いものであった。普段の私生活のうち、懇願などされたこともない俺は、多少なりともたじろいでしまう。普段はどちらかといえば懇願する側なので、こんな役振りをされては動揺を隠せないのも致し方ない。
かといって二つ返事で飲み込める要件かといえば、そうでもない。
俺の脳内はどうすればやんわりと、かつ体良く断れるかを模索していた。
だが、彼女はこの沈黙を心の傾きととったのか、さらに勢いをまして、俺の説得に乗り出してきた。
彼女のふわふわとした金髪が、甘い香りとともに揺れる。
「正直なところ、今の私たちの世界の状況はこの前の危機よりも、明らかに劣勢です。私たちの兵力だけでは到底補いきれる兆しがないのです。……ここでこの状況をひっくり返せるワイルドカードは……風見さん!あなたしかいないんですよ!」
なぜか国の危機を語っているはずなのに、終始ドヤ顔になっていて、なんかウザい。
あれか、お前は何故か不健康なことを自慢気に語り出しちゃうタイプのばあさんか。
それにそもそもこいつは説得のやり方を間違えている。……交渉人見たことないの?
仕方なし、俺はお説教も兼ねて、適当な反論をたれることにした。
「……あのな、お前の国の危機がどうなのかは知らんが、俺を呼びたいなら俺が行かなきゃいかん理由、もしくは行くと発生するメリットを言え。今の説明だとこっちにはデメリットしか見えて来ないから、行く気もさらさら起きそうにないぞ」
「……えー。自分が世界にとってのワイルドカード、なんて特別な存在に思われたら嬉しいもんじゃないんですか?自己承認欲求満たされまくりだと思うんですけど?」
「生憎俺はそんな安っぽいネームバリューにつられるほど安い男じゃねえんだよ。俺をつりたいなら名誉とか翼なんかよりも、現金を持ってこい。話はそれからだ」
少女は「うわぁ……」と引き気味の目線でこちらを見ていたが、そんなことは知ったこっちゃない。世の中は金なのだ。
世知辛い意見かもしれないが、それが現実である。
交渉やネゴシエートの現場において、最も力を有するのは、やはりリアルマネーだ。金こそが最も有力、かつ妥協点を探りやすい交渉道具なのである。
「……風見くん。お金は大切ですけど、そこまで悟ってる高校生も……ちょっとどうかと思いますよ?」
少女は可哀想なものでも見るかのような視線を、俺に注いでいる。「……イタイ……イタイヨーコノ子」と言わんばかりの視線である。
目は口ほどに物を言うとは良くいったものであると思う。
別に、高校生だってお金の大切さくらいは知っていても、おかしくはないだろう。バイトなどをはじめて、自分でお金を稼ぐようになれば尚更だ。
アニメの全話Blu-rayBOXを買えば、当然の如くお金は無くなる。魔法の石でガチャを引きまくっても、当然の如く無くなる。
お金はあくまで有限のリソースであることなぞ、数多の事象に携わっている学生からすれば、明々白々承知しているのだ。
「……ともかく、俺はもうお前の世界に行くつもりはない。俺はもう英雄じゃないし、適役は俺以外にもいるはずだ。……悪いが、他を当たってくれ」
口を閉じたままの彼女の長い髪が、突如吹き込んだ風にはたはたと揺れる。
その風は生暖かくあたりを撫でまわし、肌身に冬の終わりを感じさせられた。ようやくこの町にも春がやってきたようだ。
自転車にまたがったまま下り坂に立ちつくす俺と、異国情緒溢れるドレスを身に纏い、上り坂に立ちつくす彼女。
2人の少年少女は、春の風に吹かれつつ、ゆるく長く伸びるこの坂道に、ただただ向かい合い立ちつくしていた。
彼女の沈黙を諦めの理解とみて、俺はペダルに足を踏みかける。
ストッパーとなっていた足が外れ、重力に引きずり込まれるがごとく徐々に坂道を下り始めた。動き出したタイヤはアスファルトを擦りながら軽快な音を鳴らしていく。
「……じゃあな」
彼女の横をすれ違う時、そう簡単にだけ言い残して、その場からさぁーっと風の如く立ち去っていく。……あるいは、逃げ出したと言ってもいいかもしれない。
すれ違う瞬間、わすがに横目に映り込んだ彼女の口が、何かぼそりと呟いた。
消え入るような声ではあったが、どうしてか俺の耳にははっきりと届いていた。
「……あなたでないと、ダメなんですよ」
……それでも立ち止まることなく、俺は颯爽と坂道を駆け抜けていく。
陽気な気候になってきたからか、肌を駆け抜ける風が気持ちいい。
俺でないとダメ、なんてことはない。
代わりなんてきっといくらでもいる。
それに、俺の身の丈程度で、英雄なんて言葉は支えきれたもんじゃない。
まとわりつく罪悪感を振り払うかのように、俺は力強くペダルを踏み込む。
しかし、下り坂では、それすら空回りに終わる。常日頃から痛感させられている、自分の無力さを、改めて噛み締めさせられた。
彼女のセリフが、頭の中で、もんもんと響き続けている。
それでも、俺はこの坂を下る。
目に見えない重力に引きづられつつ下る。
かつてルターは言った。
『たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はりんごの木を植える』と。
だから俺はこの坂道を下っているのだ。
たとえ明日彼女の世界が滅亡しようとも、今日俺はコンビニのバイトに行く。
……きっとこれは、ルター的に考えれば、正しい判断だったろう。
俺には彼女の世界を救う義務も無ければ、責任も無い。だから、彼女の期待に応えられなかったことも、別に悪いことじゃない。
頭ではきちんと理解している。
俺は悪くない。知っている。
でもどうしてか、心に残った蟠りが、俺の脳内をもんもんとめぐるのであった。