カルシの街の勇者の場合
カルシの街の神殿では、カミーユが召喚された勇者の姿を見て、隣で抜け殻となっている神官長を肘で小突いていた。
「これ、本当に勇者様ですか?」
光り輝く魔法陣の中に現れたのは満月のような淡い金髪とムーンライトブルーの瞳をした十代半ばから後半ぐらいの少女だった。大きな瞳に白い肌、うっすらと赤い頬は絵画からそのまま抜け出したような美しさを秘めている。
現実離れしすぎた姿に神官たちや魔導師たちの意識が奪われる。
そんな中、カミーユだけはその少女が持っているものを見て意識が一気に現実に戻っていた。
「なんで勇者様がおたまとフライ返しを持っているんですか?しかも、よく見るとエプロン姿だし」
カミーユの呟きに魔法陣の中にいた少女が吠える。
「おまえらが朝ごはんを作っている最中に喚んだからだろ!」
人間味あふれた話し方と雰囲気に少女をおおっていた幻想的なイメージが音を立てて崩れていく。
少女にしては少し低い声と活発な話し方にカミーユが首を傾げながら訊ねた。
「あ、もしかして男の人ですか?」
「もしかしなくても男だ!」
魔法陣の中から少女にしか見えない少年がビシッとおたまをカミーユの方へ向ける。美少女が男だったいう衝撃の事実で意識が現実に戻った神官長が慌てて二人の間に入る。
「勇者様、失礼いたしました。どうか我々の話を聞いて頂けないでしょうか」
「なんで?」
少年の即答に神官長がうろたえる。
「え、あの……なんで、と言われましても……」
言葉が出ない神官長の代わりにカミーユが話す。
「召喚された理由ぐらい知りたくありませんか?ここがどういう世界か、など」
少年は腕を組んで自分の足元にある魔法陣を眺めながら言った。
「でも、話を聞かずに還るっていう手もあるよな」
「え?」
少年は右手に持っていたフライ返しを左手に持つと、右手の人差し指の腹を歯で噛んで血を出した。
「何をされるのですか!?」
驚いている神官長を無視して少年は片膝をつくと、魔法陣の上から自分の血で新たな魔法陣を書き加えた。
「よし、完成」
そう言って少年が立ち上がると同時に魔法陣が輝き出す。そして光が少年を包むと一瞬で姿が消えた。
突然の事態に誰も動けずに呆然としている中、カミーユは頭をかきながら神官長に声をかけた。
「勇者様がどこかに行かれましたが、どうします?」
その言葉で我に返った神官長が慌てて周りを見回す。
「どういうことだ?こんなことは過去に例がないぞ!勇者様はどこに行かれたのだ!?」
神官長の大声に神殿は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
「まさか、自力で帰還されたのか?魔導師、十数人分の魔力が必要なんだぞ!」
「とにかく、もう一度、召喚だ!」
「無理です。魔力が足りません」
神官たちと魔導師たちが慌てて走り回る。そんな中、カミーユだけが静かに魔法陣を見ていた。そんなカミーユの姿を神官長は訝しんだが、それよりも消えた勇者の散策に奔走した。
「さて、どうしましょうか。この魔法陣の構築だと元の世界に還った可能性が高いですし。そうだとしたら、もう一度召喚しても、また還られたら厄介ですね」
カミーユが悩んでいると再び魔法陣が輝き出した。
「神官長!」
カミーユが神官長に声をかけると同時に、少年が魔法陣の中に現れた。今回は手ぶらでエプロンもつけていない。
神官たちが慌てて駆け寄ってくる中、カミーユが平然と出迎えた。
「おかえりなさい。どこに行かれて、何をされていたのですか?」
カミーユの質問に少年は当然のように答えた。
「さっき作っていた朝食を片付けて、火と戸締りのチェックをしてきたんだ」
あまりの予想外の答えにカミーユが驚きを超えて呆れたように言った。
「主婦ですか」
少年が淡々と説明する。
「居候させてもらっているのに火事をおこすわけにはいかないだろ。戸締りも重要なんだからな。それに一緒に暮らしている家主と同居人がいなかったから、この世界に喚ばれているかもしれないと思って。オレの推測が正しかったら、喚ばれた同居人は超不機嫌になっているだろうから、問題を起こしたらオレが対処しないといけないからな。とりあえず話を聞こうと思って戻ってきたんだ」
「まるで同居人の保護者のようですね」
少年はその言葉を否定することなく苦笑いで答えた。その姿にカミーユはなんとなく親近感を感じて同じように笑った。
ここに超家庭的な勇者が召喚されたのだった。




