ノゼの街の勇者の場合
数日後の夕方、ノゼの街に到着したオレールはそのまま神殿に向かった。白い大理石で造られた神殿は建てられてから数百年は経過しているのだが、そのような雰囲気はなく、建造されたばかりのごとく輝いて存在感を放っている。
オレールが入口にいた若い神官に到着を告げると、神殿の奥から白髪の髭を生やした七十歳ぐらいの神官長が出てきた。
「よくぞ無事に来られました、オレール殿。大神官より聞いております。お疲れのところ申し訳ないのですか、オレール殿に問題がなければ明日、勇者様の召喚の儀を行いたいのですが、いかがでしょうか?」
オレールが眉間にシワを寄せる。
「私は問題ないが、他の者はそれぞれの街に到着しているのか?」
神官長に対して無礼な言葉使いだがオレールの家柄と魔王の封印、そしてこれから召喚される勇者の従者という任務から許される立場でもある。そのことを理解しているオレールはあえて敬語を外した。
そして、それを理解している神官長も気にすることなく話を続ける。
「はい。フェリクス様もカミーユ様も、それぞれの街に到着したと連絡がありました」
「そうか。私は問題ないと伝えてくれ」
「わかりました。では、本日はゆっくりお休み下さい。案内はこの者がいたしますので」
神官長に言われて最初にオレールを案内した若い神官が前に出て頭を下げた。
「オレール様のお部屋はこちらになります」
そう言われてオレールは部屋へ案内され、その日を何事もなく過ごした。
翌日。
朝から神殿には召喚のために集められた魔道士が魔法陣を取り囲んでいた。静寂と緊張が周囲を包む中、オレールは神官長に声をかけた。
「手伝えることはないか?魔力が必要なら手伝えるが」
オレールの申し出に神官長はやんわりと首を横に振った。
「お気持ちだけで結構です。あの山脈を三日で越えられてきたのに十分な休息もとっておられないのですから。勇者様の召喚は私たちにお任せ下さい」
「勇者様か。どんな方が召喚されるのか」
冷めた目で魔法陣を見るオレールに対して、神官長は少し興奮気味に話した。
「この目で勇者様を見られる日が来るとは感無量です。どの伝記の勇者様も神のごとく神々しく素晴らしい方々ばかりです。今回の勇者様もさぞかし素晴らしい、お方でしょう」
伝記とは後世の人間が書いたもので、勇者の偉大さを表現するために後から脚色されていることが多い。そのことを知っているオレールはため息まじりに呟いた。
「誇張されていなければな」
夢見る乙女状態の神官長はオレールの呟きが聞こえていなかったらしく振り返ってオレールを見た。
「何か言われましたか?」
「いや、なんでもない。邪魔にならないよう離れている。何かあったら声をかけてくれ」
「わかりました。ごゆっくり見学して下さい」
オレールはその場を離れて部屋の隅に移動した。
この世界の魔法は大きくわけて二種類存在する。一つは呪文を詠唱することで精霊の力を借りて発動する魔法。もう一つは魔法陣を床に書いたり、頭の中で魔法陣を構築してそれを出現させたりすることで発動する魔法だ。精霊の力を借りる場合はあまり魔力を必要としないが、魔法陣を使用する場合は多くの魔力を必要とする。
今回は異世界から魔力が強い人間を召喚するため複雑に構築された魔法陣と魔導師十数人分の魔力が必要になる。
「ここまでして本当に勇者様は必要なのか?」
オレールの独り言に気付く人間はおらず、神官や魔導師は緊張した表情で歩き回っている。
しばらくして神官長がオレールに声をかけてきた。
「準備が整いました。他の街からも準備ができたと連絡がありましたので、これから召喚の儀を始めます」
「わかった」
オレールは魔導師たちの邪魔にならないよう魔法陣の近くにある柱に移動した。柱を背にして右手はさりげなく腰にある剣にそえている。
神官長が通信機を片手に魔導師たちに合図を出す。その場にいる魔導師たちが一斉に呪文を唱えだした。それとともに床に書かれた魔法陣が眩しく光りだす。そして一瞬の大きな光の爆発とともに魔法陣の中に人影が現れた。
「成功か!?」
強烈な光を浴びたため霞む目を凝らしながら全員が魔法陣に注目する。線の細い人影は両手に何かを持っていた。その姿にオレールはいつでも剣が抜けるように構えたが、次に響いた声に拍子抜けする。
「あの、ここはどこですか?」
清水のように透き通った声。それは十代半ばほどであろう少女の声だった。
オレールは数回瞬きをして魔法陣の中にいる人を見た。他の神官や魔導師たちも同じように何度も瞬きをしながら食い入るように魔法陣の中にいる人を見つめる。
「あ、あの……私の顔に何かついていますか?」
突然、見ず知らずの場所に召喚された上、その場にいる全員からの視線に少女は少し困ったように周囲を見た。
長衣を身につけている神官たちや、ローブを身につけている魔導師たちの中で鎧姿のオレールはその場では浮いていた。そのため周囲を見ていた少女の視線が自然とオレールで止まる。その瞬間、オレールは息をするのを忘れるほど全身が固まった。
この国では珍しい漆黒の長い髪、血のような深紅の大きな瞳。そして同じ人間とは思えないほど完璧に造られた顔立ち。生きている気配を感じさせない無機質な美をまとった姿。
あまりの衝撃にオレールは長い時間少女と見つめ合っていたように感じた。しかし、実際は数秒だったらしく少女は何事もなかったように神官長に視線を移した。
「あの……言葉は通じています?」
声をかけられた神官長は呆然としており反応がない。少女は再びオレールを見た。
「私の言葉が分かりますか?」
少女の問いかけにオレールは機能停止しかけていた体を動かして頷いた。
「はい、言葉は魔法で自動翻訳されていますので通じています。神官長」
オレールは立ったまま夢を見ている神官長の肩を叩いて現実に引き戻した。
「神官長、説明を。難しければ私からするが」
オレールの言葉に神官長が慌てたように首を振った。
「あ、い、いや。私からいたしましょう」
そう言って少女の方へ一歩進み出た。
「突然のことで驚きでしょうが、どうかお話をお聞きください。私たちは……」
「あの、そのお話は長くなりますか?」
少女は神官長の話の隙をついて言葉を挟んだ。
「長くなるようでしたら、これを食べながら聞いてもよろしいですか?冷めてしまう前に食べたいので」
そう言って少女は両手に持っている皿を神官長に見せた。左手の皿には焼きたてパン、右手の皿にはスクランブルエッグとサラダがある。
少女が現れてから両手にそれらがあることは見えていた。見えていたが少女の存在自体が現実離れしすぎていて、現実感が溢れているそれらを認識することを脳が拒否していた。
神官長は少女とそれらを交互に見ながら頷いた。
「それでは場所を移動しましょう。オレール殿もご一緒に」
オレールが頷くと少女は少し微笑みながら神官長に言った。
「ありがとうございます。あとフォークと飲み物を頂けると助かるのですが」
控えめな言い方に神官長が表情を崩して笑顔になる。
「当然、ご用意させていただきます」
「よかったです。せっかく作っていただいたものですから、美味しい状態で食べたかったので」
そう言って微笑む少女。異世界に召喚されたことより目の前の食事を気にする豪胆さにオレールは少女の可憐な見た目との違いに困惑せざるをえなかった。
ここに超マイペースな勇者が召喚されたのだった。




