貴族令嬢が現れた場合
王都にある城の鍛練場。
ここでは最近珍しい人物たちの姿があった。騎士たちの訓練はいつものことなのだが、それを見学している人たちがいるのだ。しかも埃や汗くさいこの場には不似合いな香水と綺麗なドレスを身にまとった人たちが。
「でやぁぁー」
「たあぁぁー」
勇ましい掛け声が響くが、それも数分でうめき声へと変わっていく。そして、その度に黄色い歓声が響いた。
そうして大勢の騎士がいた鍛練場に立っているのは朱羅だけとなった。その周囲には騎士たちがうめき声をあげながら地面に転がっている。
その光景に騎士団長がため息を吐いた。
「まったく、おまえら情けないぞ」
騎士たちは反論したかったが、息をするのもやっとで何も言えない。
団長は朱羅に声をかけた。
「これで王都にいる騎士は全部だ。どうだ?気になるヤツはいたか?」
団長は城の中で唯一、朱羅に敬語なしで話しかけてくる豪胆かつ貴重な存在だった。
そもそも朱羅が召喚されたとき、王都の周辺に現れた魔物の討伐に行っていたため、あの殺気振りまき事件を伝聞でしか知らない。そのためか他の人は朱羅に対して異常に警戒するが、団長にはそれがなかった。
朱羅は転がっている騎士たちを眺めながら言った。
「見込みがあるのは二、三人ぐらいだな。この国は騎士と兵士を合わせて全部で何人いるんだ?」
「騎士は百で、兵士は四百。全部で五百だ」
「五百?それだけでは他国と戦争になったときに足りないだろ」
「この国に戦争をしかけてくる国はないからさ、これで十分なんだよ。それより、うちのエースが帰ってきたら、是非手合わせしてくれよ」
「エース?」
「あぁ。今は勇者様の従者として王都を離れているが腕はこの中で一番だ」
「どの勇者の従者をしているんだ?」
「ノゼの街の勇者様の従者だ。黒髪で人形のように可愛いらしい勇者様だそうだ。ちなみにカルシの街の勇者様は少年なのに美少女みたいなんだとよ。で、バルダの街の勇者様は女神様のように美人で、従者に選ばれたこの国一番の色男が落としにかかっているんだってさ」
そこまで言って団長は朱羅の顔をマジマジと見つめた。その行動に朱羅が怪訝な顔をする。
「なんだ?」
「それにしても今回の勇者様は美形揃いだよな。ほれ、いつもなら鍛練場になんてこない貴族のお姫様たちが差し入れを片手に集まっているんだから。第二皇女のアドリエンヌ様と第四皇女のフルール様も毎日熱心だな」
そう言って団長が見た先には鍛練場には似つかわしくない派手なドレスを着込んだ少女たちが侍女を引き連れて集まっている。
「勇者が珍しいだけだろ」
朱羅は少女たちを見ることなく反対側に向かって歩き出す。
その行動に少女たちは団長との話が終わったとみて朱羅に群がった。
一番に声をかけてきたのは金茶色の髪と茶色の瞳を勝気に輝かせた第二皇女のアドリエンヌだった。
「勇者様、お疲れ様です。あの、これノゼ地方で有名なワインです。よろしければ、お飲みになって」
そこに横から栗色の髪に茶色の瞳をした第三皇女のフルールがすかさず入ってきた。
「お腹は空いていませんか?焼き菓子を持ってきましたの。そのワインにも合いますわ」
さりげなく姉のワインに便乗しようとしたが、朱羅はそれを無視して歩き続ける。
そこに階級を考慮して皇女の二人が声をかけるまで待っていた他の貴族令嬢たちが声をかけてきた。
「勇者様、良く効くという傷薬です。もしお怪我をされた時は……」
「こちらはカルシ地方の名産品で、勇者様のために取り寄せましたの。是非……」
「勇者様、疲労回復に効く飲み物です。よろしければ……」
一生懸命後ろを追いかけてくる少女たちに朱羅は振り返ることなく後ろの騎士たちを指差して言った。
「俺は必要ない。後ろの騎士たちにやってくれ」
そう言うと、これ以上ついてくるなと言わんばかりに早足で鍛練場から出て行った。
素っ気なくされた少女たちは大抵ここで諦めるのだが、中には逆に闘志を燃やす者もいる。
そして、ここにいる少女たちが、その猛者たちだった。
「さすが勇者様、つれないお姿も素敵ですわ」
「あの宝石のような翡翠の瞳……美しすぎです」
「今日もお声を聞けました」
少女たちがうっとりと朱羅が出て行った方向を見つめている。その光景を眺めながら回復してきた騎士たちが立ち上がっていた。
「あの外見でこの強さだもんな」
「とんでもない勇者様だ」
普通なら妬みが出てきそうだが、ここまで次元が違うとそういう気さえおこらない。それどころか勇者を崇拝する騎士まで出てきている。
「おい、おまえら。休憩にするぞ」
団長が貴族令嬢の侍女から勇者への差し入れだった物を受け取っている。それらは、さっそく騎士たちに振舞われるのだ。
「やった」
「勇者様が来てから差し入れが毎日あるから有難い」
貴族令嬢たちは朱羅がいなくなったため、そうそうと引き上げた。
騎士たちが配られた差し入れを食べていると可愛らしい姫が現れた。着ているドレスは先ほどの貴族令嬢たちに比べたら地味だが、それよりもその少女自身が美しく輝いている。
その姿を見て騎士たちが一斉に立ち上がり敬礼する。
団長が笑顔で話しかけた。
「リュネット様、一足遅かったですね。勇者様は先に上がりましたよ」
その言葉にリュネットが頬を赤く染める。
「あ、いえ、その、私はみなさまに差し入れをと思いまして……でも、遅かったみたいですね」
もともとリュネットは朱羅が来る前から定期的にこうして差し入れに来ていたのだ。ただ、朱羅が来てからは毎日来るようになったが。
「差し入れはいくらでも大歓迎ですよ。胃袋が底なしの奴らばかりなので」
「それは良かったです」
リュネットの侍女が団長に差し入れを渡す。そしてリュネットは騎士たちに微笑むと侍女とともに鍛練場を出て行った。
再び差し入れが配られ、休憩が再開される。
この一連の光景を少し離れたところから見ている二人の人物がいた。そこは城と離れを結ぶ渡り廊下で鍛練場を一望することができた。
第一皇子であるロランが父親ゆずりの深緑色の瞳を細くしながら言った。
「勇者様は相変わらずのようだな。あれだけの綺麗な花に囲まれても見向きもしない」
弟であり第二皇子であるセルジュが答える。
「始めは緊張しているのかと思いましたが、どうやら違うようですしね」
「リュネットにも勇者様は無関心だと聞いたが」
「笑顔で話しかけられても無表情のままらしいですよ」
ロランは兄妹の中で一番可愛い妹の姿を思い出した。生まれた時より魔力量の高さから魔王を封印することを第一に教育されてきた。それゆえに無垢に育ち、その汚れない姿に心奪われる者も多い。
「父上は勇者様を一族に取り入れるために目の色を変えているからな」
「前回の勇者様は魔王を封印したあと国外に出て行かれたという話ですからね。そうならないよう必死なのですよ」
「今回はノゼの街とバルダの街の勇者様が女性らしいな。私には婚約者がいるが、おまえはいないだろ?父上から勇者様と接触しろと言われるのではないか?」
「バルダの街の勇者様はフェリクスでも難航しているらしいですからね。外見と地位に興味がない女性なら私でも無理でしょう。ノゼの街の勇者様は人形のように可愛らしいという情報ですし、頑張ってみようとは思います。全ては父上の判断次第ですが」
「どちらにしても、王都の勇者様よりは人間らしいだろ。無表情以外の顔を見たことがないからな」
セルジュが同意する。
「そうですね。あの鉄仮面が崩れるところを見てみたいですよ」
「そうだな。ありえないだろうが笑顔なんかしたら、アドリエンヌやフルール、貴族令嬢たちが気絶しそうだな」
そこにセルジュがいたずらっぽくロランに訊ねた。
「あの勇者様が笑顔になるなんてあると思います?」
そこで二人は頷いて声を揃えて言った。
『ないな』
妙な一体感が兄弟を包んだ。




