子供は風の子、悪戯っ子。
突如吹き付けるかのような風が、俺たちの間を裂いた。
――まるでファンタジー世界にありがちな、何者かがそこに現れてくるような風が。
突風と共に登場してきたのは、深い密林をイメージさせる深緑の瞳と、草原のようになびく髪を持つ少年。
彼は懐から銀のナイフを取り出し、それを巨大犬の左足へと投げつける。犬は〈ギャンッ!〉と悲鳴を上げ、痛みに悶えその場へうずくまった。すかさず少年が太めのロープで犬をぐるぐると縛り付けると、巨大犬は身動きが取れなくなり、ギャンギャン吠え初めた。
――ほんの一瞬の出来事だった。
「ぜぇっ、ぜぇっ……す、すげぇ……」
本来なら息を呑むところだが、呼吸が乱れてそれどころじゃない。
転倒して巨大犬に轢かれる寸前だったが、震子さんもどうやら無事のようだ。
「間一髪だなァ、震子姉ちゃん。そっちのお前も大丈夫かー?」
うつ伏せのまま顔を上げ、こくこくと首肯して無事の意を伝える震子さん。
緑の少年はこちらを振り返り、膝を折り荒い呼吸音を響かせる俺を見てこう言った。
「とりあえず、この迷路の中じゃ身の安全を保障しきれねェ。安心して息つける場所まで移動するか」
「はっ、はっ、はぁっ……そ、その方が非常に助かる」
「んじゃオレが震子姉ちゃん担ぐから、悪いがお前は自力で歩いてくれねーか。さすがにオレの体格じゃ、キツイ」
服装は雷華同様短パンに、黒のタンクトップの上からセーターを被っているのだが、単に彼には大きすぎるのかわざとなのか大幅に肩を露出していた。
確かに、どう見てもこの少年は――小学校高学年ぐらいの、標準体型の男子にしか見えなかった。
◆◆◆
「んじゃ、まー歩きながら軽く自己紹介。オレは【荒垣風太】」
「あ、あぁ、俺は渚大和だ。よろしく」
思えばこの寮に来てからというもの、まともに自己紹介できたのは彼が初めてではないだろうか。自分で自分の自己紹介をするのが、何故だかすごく久しぶりな気がする。今までの挨拶回りではアリスや雷華に震子さんと怒涛の女性尽くし、しかも何かしらハプニング付きの対面だったせいで、こちらとしては調子が狂いっぱなしだったのだ。
アリスの時は彼女のベッドの上での挨拶だったし、雷華の時はいきなり階段から突き落とされギャーギャー喚かれるし、震子さんの時は最初死体かと思ったし見えちゃいけない部分がちらっと見えてたし……特に荒垣雷華、あの悪餓鬼は一回徹底的に締め上げないと気が済まな……ん、荒垣?
「お、お前が雷華の兄の風太か!」
なんということでしょう。先刻(妹がこんなんならその兄も)ろくな育ち方してなさそうだな、とか思った自分が恥ずかしい。兄の方は人が出来てるじゃねーか。是非とも風太の爪の垢を煎じて飲ませるべきだ、妹に。
「あん? 確かにそうだけど、アイツと何かあったのか?」
「何かあったなんてもんじゃねーよ! 出会い頭に階段から突き落とされるわ、電気だかなんだかよく分からないモノで攻撃されかけるわ、散々な目にあったわ!」
「まーまー落ち着けって。そりゃ災難だったな、ワリィ」
「あぁ、いやまぁ、お前が謝ることじゃないよな。こっちこそ突然すまん」
そうだ、いくら兄妹だからってお門違いもいいとこだよな。申し訳ない限りだ。
「……その状況からクリティカルを免れたか。まあまあ悪運は強いみたいだなァ」
ただ何故か今、妙な含みがあった気がしたのは俺の気のせいだろうか。
「大和だっけ? まぁこれからよろしくなー。色々あるけど、ここも慣れれば楽しいから。オレも協力するから早く馴染めよ、な?」
もうすっかり住むこと前提で話が進んでしまっている。まぁ、今やってることも挨拶回り(という名のハラハラドキドキ動物園ツアー)であるわけで。でもおかしいな。俺自身ここに住むことに抵抗する気もなけりゃ、抵抗して帰ることを許可されたとしても、何故か無事自宅に帰れる気もしないんだが。あの年増女にスプレー顔射され、あの悪餓鬼に突き落とされて頭おかしくなったか?
ふと、風太の背におぶられた震子さんと目が合う。何も言わない代わりに親指を立てるジェスチャー。俺も同様にサムズアップで返すと、無表情のはずが心なしか満足げな顔。その茶目っ気ある仕種は、俺の顔を綻ばせた。
◆◆◆
風太の先導の下、ようやく怯助さんの作業部屋が見えてきたところだった。
と、そこに後ろから聞き覚えのある声が。
「あ、風太見っけ!」
「大和くん! 震子さんも!」
どうやら雷華とアリスも落ちてきたらしいな。ただ二人ともさほど疲れた様子ではないようだ。俺達の通ったルートがたまたま悪かったのだろうか。
「おー来たか我が妹よ。会いたかったぜェ」
「昼飯も食わないでどこ行ってたのだ。雷華様に断りを入れてから外出するよう、いつも言ってるではないか! 朝からずっとここで迷子になってたのか?」
「まっさかァ。午前中はちっと別件で動いてたんだ。出かけること言わなかったのは悪かったよ」
そう言いながら風太は、なだめるように雷華の頭をぽんぽん叩いた。
そして何やらぼそぼそと兄妹同士で話をしているようだ。
「どうだった、新入りへの洗礼は」
「あの状況――プランEからクリティカルを免れた。どうやら悪運はそこそこ強いようだ。それに……ふん、あの落とし穴のルートで無事ここまで来るとはな。全部風にぃが助太刀したのか?」
「お前もそう思うか。あと、オレが助けたのはきょーちゃんの部屋出て『少し歩いたとこ』だ。お前も道中見たはずだろ、今頃おねんねしてるおっきなワンちゃん。さすがにあいつの相手をするのは素人には厳しいぜェ」
「あのケルベロスもどきか。前足に銀ナイフが刺さっていたが、寝ていたのはナイフに塗ってあった薬が効いたからか」
「そうそう。ちなみにあれは、三つ首じゃなく双頭だから強いて言えばオルトロスもどきだ。オレが合流して、助太刀したのはそれぐらいだぜェ。今回のはお前も認める期待の新人ってことだなァ」
「ふん! まだまだ青いわ」
「……だが、先程の無礼はなかったことにしてやろう」
何故かその一言だけ、俺の方を向いて不機嫌そうに呟くのが聞こえた。
「まぁ、この憂さ晴らしに罠オタク――ヘタレのトラップを盗んで、そしてヘタレを問答無用で爆破してやる!」
とか物騒なことを叫びながら少女が廊下を走ったとき。
「あ、雷華気をつけろそこは――」
「ふぇ?」
よく見れば、少女の足下に違和感。気付いたときには遅かった。
〈カチッ〉
雷華の周囲が爆発した。
発生源、足下の地雷型爆弾。
「簡単に、まとめるなぁ……! あンのスーパーミラクルストレートフラッシュハイパーロングヘタレめぇ……!」
直撃を受けた雷華は小規模だったからこそ無事だったが、髪はボサボサ、服はボロボロ。ついでに瞳はギラギラしていた。
……いや待て待て待て。小規模とはいえ直撃。そしたら本来無事のはずがな――
「爆発する瞬間、自分の身体に電磁バリアを張ってやがった。アイツ、いつも無意識で高度な技をやってのけるなァ。兄として最初は妹が危険な目に合ってないか毎日心配して寝れなかったが……さすが我が妹、末恐ろしいヤツ」
俺にはさっぱりよくわからんが、とりあえず何やらすごい技を使って外傷を少なめにしたらしい。そして兄は妹の成長を噛み締めている真っ最中のようだ。
……なんか、幸せそうだから、そっとしておこう。
たとえその手に怪しげなスイッチが握られていたとしても。
さらに距離が近かったため、軽い爆風と床に積もっていたホコリによる二次災害で、俺の方までボサボサのホコリまみれだったとしても。
「もう頭にきた! 爆破するだけでは気が済まぬ! お命頂戴だ怯助ェェエエエエエ!」
――と思いきや、またしても何かに引っかかったらしい。
「うにゃあ!」
謎の悲鳴と共に前のめりで転倒。びたーんといい音を鳴らして床に身体を打ち付けた。
「ひひひ。引っ掛かったな妹よ! 今のはきょーちゃんじゃなくオレが仕掛けた二重トラップだ! ……あ、今日は白」
破裂音に近い轟音。コンマ数秒で少年は黒こげに。
「ぐ……油断してたら電撃が……」
「いや、今のは明らかにお前が悪い」
スカートが捲れたならまだしも、少女の短パンの隙間から下着を覗き見るとは。
――やっぱり、なんだかんだ言っても結局似たもの兄妹か。
この兄妹は一筋縄じゃいかない。平穏な生活を愛する俺にとって要注意人物だ。肝に銘じておこう。