仄暗い、地下の迷宮から。
……どこだココ。
気が付いたら俺は巨大なクッションの上に大の字になって寝ていた。
確か地面がなくて、それで落ちて――落ちた先もさっきの場所と変わらず暗かった。強いて言えば空気がひんやりとしていて、やや埃っぽい臭いがするぐらいか。あのときの牢屋と同じだ。
「……誰も来そうにないし、じっとしててもしょうがないよな……」
そう言いながらやっと体を起こすと、何か冷たい物に指が触れた。
「――ッ!?」
突然のリアルな感触にびっくりして即座に手を引っ込める。
よく見てみるとそれは白くてやや細身の腕だった。体温はまったく感じない、というかむしろ冷たすぎるくらいで――し、死体!?
近寄ってその全貌を確認する。そこには女の人が横たわっていた。
肌も髪の毛も真っ白と言っていいほど色素が薄く、髪型は少し長めのボブカット。顔立ちもとても整っており、儚げなイメージの美人に大人の禁欲的な色気も混ざった感じ。
服装は……ッ!?
胸元の大きく空いたチュニックセーター、そこから豊満な谷間を眺めることができ、袖や腰の辺りからはきめ細かな素肌をした四肢が伸びている。
意外とグラマーな体つきをした女性だなあ。ってソウジャナクテ!
なんでこの人『セーターしか着てない』んだ!?
いや確認したわけじゃない! 決して俺がそのようなコトをしたわけじゃないぞ!
だ、だって胸の辺りとかすごいギリギリだし、てかここまでオープンにしてたら中に着てるモノとか絶対見えるはずなんだし、それがないんだし、あと脚も太ももの付け根辺りまで見えてるし……ッ!
とそのとき、今までぴくりとも動かなかった女の人の身体がもぞ……と動き出した。
――し、死体が動いた!
まだ重たそうな瞼をゆっくり持ち上げた女の人は、虚ろな目で周囲を見渡し、最終的にその瞳は俺を見て静止した。
「…………」
「………………」
き、気まずい……。どうしよう、こういう場合はまずコミュニケーションを取らなきゃまずいかな……仮にも元は人間だ。頑張れば意思の疎通ぐらいはできるはず……!
なんて冗談交じりにどう対応していいか考えていると、無表情なその女性はどこからともなく――本当にどこから取り出したんだろう――小さなメモ帳とシャープペンシルを取り出して文字を書き出した。それを俺に見せる。
『しんいりさん?』
「え、あ、はい。たぶん……」
思わず返事を返す。すると女性はまたカリカリと、少し長めに文章を書く。終始無表情で。
『そう、あなたもひっかかってしまったの。こまったわ怯助くんには』
メモを見せ、片手でやれやれといったポーズを取る女性。無表情で。
しかし分からないことが多すぎたので、今度は俺から彼女に質問させてもらった。
「あの、あなたは何故ここに寝ていたんですか?」
すると女性は腕を組み、考えているようなポーズを取った後、また文章を書き始める。
『ごはんできたみたいだからむかえにいって』
『おとしあなのスイッチをおしてしまい』
『きづいたら、ずいぶんながいあいだ、ねてしまっていたみたい』
三枚連続で書いたところで女性は筆を止めて、さらに『ほかにききたいこと、ある?』という一文を付け加えた。
そこでとっさに『なんでセーターしか着てないんですか』と思い浮かんだ自分を恥じ、ふるふると頭を振って煩悩を飛ばした。
「じゃ、じゃあえっと……なんで筆談なんですか?」
ほんの一瞬、女性の動きが止まった。と思ったら、彼女はすぐカリカリと文字を並べていた。
『しゃべれないの』
……ワケ有りだろうなと思い、さすがに理由は、聞かないでおいた。
その後もいろいろと質問をして分かったことは、彼女こそアリスたちが言っていた震子さんこと【氷室震子】さんであるということ。ここは怯助さんが隠れ住む地下室で、地下室全体が巨大な迷路と化しているということ。
地上に戻る出口は一応あるらしいが、それも震子さんにはどこにあるか分からないらしく、最終的に怯助さんを探さなければ現時点でここから出ることは出来ないのだそうだ。
「じゃあこっから出るためにも、早いとこ怯助さんを探しましょう」
こくん、と震子さんは頷くと、差し出した俺の手を掴んで立ち上がった。
すぐ傍に(親切にも)都合よく置かれたアウトドア用のランプを手に、辺りを見渡す。このクッションの間は意外にも広いが、一本だけ道がある以外、四方は壁に囲まれていた。
「ここを行くしかないみたいっすね」
いざ行かんと歩き出したとき、くいっと袖を引っ張られた。
「どうしたんすか?」
震子さんが突きつけたメモには『きけん。ようちゅうい』と書かれていた。
「わ、分かりました。気を付けます」
無表情でこくこく頷く震子さんがちょっと可愛かった、と思ったのは内緒。
ぐねぐね曲がる一本道をしばらく歩くと、初めての分岐路にたどり着いた。
「右か左か……震子さん、どっち行きます?」
そう言いながら震子さんの方を向くと、彼女は耳に手を当てて、耳を澄ませているようだった。
『なにか、おと、きこえる』
その時、突然風が吹き、俺たちの髪をぶわっと撫でた。
「地下なのに、風……?」
瞬間、暴風と共に真正面の壁を突き破って現れたのは、高さ二メール強の巨大な双頭の――
「い、犬ゥ!?」
とっさに俺は右へ全力疾走。震子さんの手を引っ張りながら走る走る走る!
背後にハッハッという犬の呼吸音。生ぬるい風を感じながらも俺は脚を止めずに走る走る。が、しかし――
「――震子さん!」
震子さんが床に倒れる。荒い呼吸音が彼女の限界を伝えていた。だが双頭の巨大犬は容赦なく迫り来る。
まずい、もう追いつかれる――!
突如吹き付けるかのような風が、俺たちの間を裂いた。
――まるでファンタジー世界にありがちな、何者かがそこに現れてくるような風が。