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第三章

第三章


私がこの街に来てから一ヶ月が経った。初めの頃のような、ひどい劣等感を回りに撒き散らすことなく毎日を楽しんで過ごしている。

今思えば、あの日を境に全てが反転したことがわかった。黒が白に変わるように、街の風景を見る目も、その中を過ぎていく一人一人の人達を新鮮に感じることが出来る。この街特有の排気ガスの空気も心地よくなって、呼吸をする度に身体を汚すであろう匂いが芳しく感じるようになる。

ここへ来た翌日、あの人と二人で歩いていた時に絡んできた男性二人ともう一度会ってみると、存外優しい人たちであったことがわかった。カラオケや居酒屋の料金を全て払ってくれたし、言葉使いも優しい感じだった……けどなんでだろう? 途中で顔を引きつりながらも真っ青になって、逃げるように帰ったあと一切連絡がなかった。

この街だけじゃないく、以前から友達だった同級生からの電話も久しぶりに出てみると、とても面白かった。この街のことを話して、今学校ではどういったことが行われているのか、文化祭はどうだったか、話したいことが次から次へと溢れ出すかのように思い浮かんできた。だけどその友達もそれから連絡を寄越さなくなってしまった。おそらく私の元気な声を聞いて安心したからだろう。

今の私は青春を謳歌している。満足した人生を送れている。誰でも愛することが出来る気がする。それだけ人間というものに興味が湧いてきたのだ。…………だけど残念なことに、私にはもう心に決めた人が二人いる。二人って……優柔不断だよね。だけど気持ちを抑えられないぐらい二人が平等に好きなの。こればっかりは変えられなかった。

一人はこの街に着いた日に私に声を掛けてくれた人。強くて、炎のような髪の色、そしてその髪と似合わない冷静な心、何よりも理由もなしに私を助けてくれたことに――今まで私が会ってきたどの人間にもないものを感じた。……だけど彼女は私を嫌いな様だった。だから会いに行きたくても行けず、街の中を相棒の男の人と話して歩く姿だけを見つめ続けた。…………どうして嫌われたのだろう? ただ私は彼女がどれだけ素晴らしいかを伝えただけなのに―。

そしてもう一人は……彼をこの名で呼べば怒られるからあまり言わないが……天使様である。私が一人になった時に、もう一人の白衣を着た人と共に現れて、人生の全てを変えてくれた。たった一つのことでこう迄変わるものかと、今は驚いている。

今日も彼に会いに行く。今では毎日が待ち遠しく、カレンダーに彼と会う日までを赤い×印を描いて過ごしている。

……ああ、この恍惚とした感情をどちらに向けるのが正しいのだろうか―。

そうして今日も心を躍らせるように過ごしていく。街の中を歩いて炎の髪の彼女を見て胸を震わせ、彼に会って感謝の意を述べる。

……ああ、今の私はなんて幸せなのだろう。



クリスマスの日から一ヶ月が過ぎたある日。冬休みを超えて各々の学校が三学期に入り。先ほどまで授業を受けていた日上は学ランを身に纏って、彼のバイト先である篠峰探偵事務所で書類整理をしている。事務所内は暖房が最大で稼動しているため、室内温度は春と夏の間ぐらいの温度になっている。

所々にひびが入っているコンクリートの壁にはカレンダーのような飾り付けが一切なく、置かれているものは机やテレビ、あとはここの所長が気に入っているソファのみで、一時間もあればここからあらゆる痕跡を残さず消えることができるほど質素な空間である。

そんな部屋で、日上は仕事をしながらも悩んでいた。

彼はクリスマスの日に父と話して、母が昔にどういったことをしたのかを噛み砕いた内容だが聞き出すことに成功した。

それと井伊菅の工場から持って帰った資料を併せて考えると、母はどうやらエンドに関係する製薬会社オリノベで働き、そしてそこで問題を起こして父に迷惑を掛けたようだった。悠木羽たちを逃がすためだと言っていたが、それがどういうことなのか聞くことが出来ないまま、実家を跡にした。

父のあの様子ではもう二度と会えないだろうと考えた日上は、詳細を悠木羽達に聞こうとしたのだが、聞き出す勇気を持てず一ヶ月をただ平凡と過ごしていたのだ。

「…………」

「どうしたの? ヒガミン」

「……ああ、繭さん」

この建物で最も高価な物であろうソファの上で仰向けの状態で寝転ぶ女性が顔だけを日上に向けて話しかける。

彼女は見た目十八・九歳、柔らかな黒髪が特徴的な女性、篠峰 繭である。彼女の容姿は誰も文句が言えない程の美貌で、日本の大和撫子を彷彿させる姿をしている。

日上が働くこの事務所の長であるのだが、内面・外面の両方に問題があり、まず内面が限りなくオヤジクサイ性格なのだ。一日中部屋でパソコンをいじったり――まあそれは情報を集めたりしているのだが――馬券を買って競馬の実況を見てたりする。

外面の問題は、彼女は先にも述べたように見た目には問題がない……だから問題は服装にある。

「ヒガミン。何か私にできることがあるのなら言ってくれ」

繭はとても優しい口調で日上に問いかける。

「繭さん……」

日上はソファに寝転がる繭に視線を向けることなく、率直に意見を述べた。

「……じゃあまず服を着てください」

繭は常時下着姿なのだ。しかも今日は黒の下着を着ていて、健康的な高校生ならば問題が起きても可笑しくはないのだが。日上は幾分か彼女に目に見えない恐怖のようなものを感じており、手を出す気にならないのだ。

繭の日に焼けていない白い肌に日上は目のやり場に困るが。繭はそんな彼の反応を見るのが楽しいらしく、日上が出勤する時間を見計らって下着姿になるため、彼は繭のこれ以外の姿を見たことがない。

「ああ……どうしてヒガミンには私の乙女心をわかってもらえないのだろうか。私がこの姿を見せる男性は君だけだというのに―」

悲痛な顔で自分の身体を腕で抱きしめながら、日上に自分の淡い心を伝えた。

「…………見せる相手が俺しかいないからでしょう? 毎日一日中引き篭もらずに外に出れば、俺以外にも見せる相手ができますよ」

彼女の言葉を日上は冷たく跳ね除ける。

そうして彼は椅子から立ち上がって、入り口兼出口である扉に向かって歩を進める。

「あれ、どこ行くの? もしかして、終に愛想つかして出て行っちゃうの!? 困るよ! 一体全体誰にこの美しき肢体を披露すればいいの!?」

「悠木羽に見せればいいじゃないですか」

「一度やったら無表情で叩かれた事があるから嫌」

「……あいつ冗談通じませんでしたね」

日上も一度、彼女に『もう少し女の子らしくしろ』という皮肉を込めてブラジャーをプレゼントしたら、それで窒息するまで首を絞められる記憶があった。結局ブラが千切れるまで締められたあと、狂喜乱舞する繭を見上げながら、悠木羽を怒らせないように過ごそうと決めた。

そんな彼らにとっての野獣だが、余りに無謀な時間がある。

「悠木羽を起こしに行くんですよ。繭さんも来ますか?」

「…………えぇ~~、嫌よ。何されるかわかったもんじゃない」

あからさまに嫌な顔をしてソファにうつ伏せの状態に移行し、両の手の甲を枕にして頭を沈める。

日上はその姿を見て少しだけドキッとしたが、無理に本題へと持っていくことによって煩悩をかき消そうとする。

そんな彼の様子を見た繭が口元を僅かに吊り上げたが、日上は気付くことなく話を始める。

「悠木羽の寝顔って無茶苦茶可愛いんですよ。……普段の殺伐な空気が嘘みたいですよ」

「……………マジで?」

繭の吊り上った笑みが消えて、代わりに驚愕が生まれた。

「マジです。……ていうか、繭さんの方が付き合いが長いんですから……」

「……う~ん。そういえば見たことないなぁ……シャワー中を盗撮した映像が有るけど―」

「そんな事してんですか…あんた」

自分の事は棚に上げる女子盗撮魔の日上であった。


「―で、そういった経緯が在って私の枕元でハアハアと二人で息を荒げていたと……」

「「……はい」」

日上と繭は腕を組んでベットに腰を下ろしている悠木羽の前で、額を床に付ける様に土下座しつつ返答した。

「……とッッッても可愛かったデス」

繭は日上と同じように土下座をしているものの、反省の色が見えず未だに顔をわずかに紅潮させて愉悦の顔を見せている。

「……繭さん…………死にますよ」

「ハァハァハァハァ―。思い出すだけで涎が出てきますデス」

日上の忠告も耳に入れることなく、繭は先ほどの悠木羽の寝顔を思い出している。興奮の余り、普段は付けない語尾まで出てきだした。

(…………死んだな、繭さん)

日上が心の中で上司の死期を勝手に決め付けたと同時に、悠木羽が立ち上がって握りこぶしを作る。

日上は上司の冥福を祈ったのだが、

「―よし、日上だけ殴ろう」

悠木羽の言葉は日上の死期を告げるものだった。

「なんで!!?」

唐突な悠木羽の決断に日上は土下座の姿勢を解除して、それでも悠木羽の視線が恐ろしいのか、床に膝を着いて反論する。

「明らかに反省していないこの人を攻めるべきだろう!? なぜ俺なんだ!!?」

「…………何事も初犯は許されるものだ」

「初犯じゃないよ!? この人お前のシャワー中の動画盗撮したって言ってたからな!?」

「……だそうだが、本当か?」

そう言って向けた視線の先には、未だ記憶の中に焼きついている悠木羽の寝顔に悶絶している繭がいた…………と日上は考えていたのだが―。

「―ぅ、ぐす…ぐす、酷いよヒガミン…………何の罪もない私を売ろうとするなんて……悠木羽の寝顔を見に行きましょうと誘ったのはヒガミンなのに……それにその盗撮映像だってヒガミンの持ち物から見つけたものなのに……」

繭は先ほどの態度とは打って変わり、目尻に涙を浮かべてこちらを見ていた。

不意に可愛いという単語が日上の中に出てきたが、咄嗟に上司が自分を生贄に仕立て上げたことに気が付いた。

(しまったああああああ!! 完全にヤラレタ!! 半分は確かに俺だけど、もう半分の罪も被せられた!!)

悠木羽がいる前で盗撮写真を整理していたことがある日上にとって、盗撮した映像は日上が撮ったというほうが信憑性が高いだろう。

よく見たら身体は繭に質問したときのように彼女に向いているが、顔を九十度ほど傾けて左目だけで日上を睨んでいた。

「あの~、悠木羽さん? ちょっと話したいことがあってですね―」

真実を伝えるのは逆に危険だと理解した日上は、繭の偽証を肯定する形で行動することにした。

「……俺がなぜそういったことをしたのか理由を述べるのであれば……そう! 君の身体がとても綺麗だからだよ!! 滑らかな肌に引き締まった体躯、そしてその身体を更に引き立たせる美貌! それを自然に世に教えるためにも俺は盗撮という行動に出なければ――」

日上は真剣に悠木羽を褒め称えていた。殴られる覚悟だが、褒めちぎれば幾らか被害が少なくなるかもしれないと踏んだからだ。

だがそれも失敗に終わったとわかったのは、悠木羽の後ろで笑いを必死に堪える繭を見て、もう一度悠木羽に視線を戻したときだった。

一瞬目を放した隙に悠木羽は臨戦態勢に入り、右腕を振りかぶっていた。

「嗣禰」

漢字の変換ミスで生まれた字数の多い『死ね』を聞いて頬に衝撃が走り、宙を舞うときに日上は一つだけ疑問が沸いた。

(……あれ? いつもより少し威力高くね?)

一方、殴った方の悠木羽は顔を真っ赤にしていた。それは盗撮された憤怒によるものではなく、あくまで今の日上の発言に対する羞恥によるものだった。

 


「アハハハハハ!! まさかあの状況であんな行動に出るとは! 流石に虚を突かれたよ。口が裂けるほど笑いを堪えたのは久しぶりだよ!!」

日上が仕事を終えて事務所を出た後、繭は先ほどの部下の醜態をネタに笑い狂っていた。

「……そんなことはいいから。早く盗撮したという物を寄越せ」

悠木羽は繭に向かって手を出す。

「あ~れ~? 気づいてた?」

「当たり前だ。あいつはお前みたいに変態ド痴女じゃない」

「アハハハ、中々……ヒガミンも隅に置けないね」

「ほら、早く寄越せ!」

「そんな物無いよ」

「へ?」

繭は、まるで自分は何も持っていないと主張するように両の手を広げる。

「だから無いって……私には百合の気は無いんでね」

そう言って、ソファに寝転がる繭。

それを見て悠木羽は深くため息を吐く。

長い間二人は共に生活していたが、それでも常々悠木羽は繭の考えていることがわからない。

それはある意味自分の所為かもしれないが―。

「……ねえ、悠木羽」

「なんだ? まさかまだ何かあるのか!?」

「…………よく話せるようになったよな。私たち―」

「………………なんだよいきなり」

突如静かになって語りだした繭に、悠木羽は少し狼狽した。

「これも……ヒガミンのお蔭かな?」

「…………」

繭が悠木羽に質問するが、そんな繭に対して彼女は黙っているだけだ。

「だって……今までこんなに悠木羽と二人で楽しく話したことなかったじゃん。私とはあまり話そうとしなかったでしょ?」

「…………」

「まあ、お互いの体質上僻み合う事しかできないのはわかるけどさ。……やっぱり、楽しいほうが良いでしょ?」

繭が再び悠木羽に同意を求めるが、彼女は黙ったままだった。

目をあわさず黙ったまま、部屋を静かに出て行ってしまった。

それを止めずに見送った繭は、独り言のように呟いた。だけどそれは明らかに悠木羽に向けられたものだった。

「私は今幸せだよ。君はどうなんだ?」



事務所を後にした日上は今晩の夕食のために最寄のスーパーマーケットを訪れていた。

何を作ろうかと悩んだ挙句、手軽なオムライスを作ることにしたようで、ポイポイと肘に掛けていた籠に材料を放り込んでいく。

先ほど悠木羽に殴られた頬の内側――口内から血が出ていて、どんなものを食べても血の味がするだけだと判断した結果だった。

試しに、オムライスの中身――つまりチキンライスをケチャップではなく、マヨネーズにしてみようかと考えたが、やめておいた。そこまでマヨラーなわけじゃないし、そもそもマヨネーズで炒めたらオムライスじゃなくなる。

そうして無駄な提案を破棄して、オムライスに必要な材料の会計を済ませて、店を出た時だった。

「あ、お久しぶりですね。ヒガミンさん」

「?」

まるで鈴を転がしたかのような声が日上の耳に入った。

後ろを振り返り、声の主を探す。だがそれも視線を辺りに向けて探す意味がないほど大胆に、そして近くに彼女はいた。

「リン……ちゃん?」

「はい!」

日上の背後の一歩先、一ヶ月前に一日だけ食事を共にして、録に自分の素性を話さず消えてしまった女の子がいた。

悠木羽は日上に彼女が居なくなった理由を語ろうとはせず、日上も別段深くは聞かなかった。大方、両親が現れて引き取った程度だと考えていたのだが、それがなんと浅はかな判断かと今にして日上は考えた。もし両親の元に戻ったなら、悠木羽と繭の二人はなんら隠す必要はないのだから。

あの二人は大切なことは語らず、どうでもいい事は必ず報告してくるということがわかっていたはずなのに。


その後、今はネットカフェなどでキチンと屋内で睡眠を取るようにしていると聞いたが、手持ちのお金が底を突いたらしく、泊めて欲しいと日上は頼まれた。

彼女の服装に目を向けると、明らかにこの冬の寒さを凌げていないホットパンツとTシャツという服装だ。日上が寒くないのかと聞くと、「私暑がりですから」と答えられた。

女の子を泊めることには少しばかり問題があるような気がしたが、自分が気を付ければ問題はないと考えて、日上は特に意識することなく承諾した。

二人は日上が借りているアパートの一室に着いて、夕食オムライスの準備をして、それを食した。

(う~む、俺の周りには料理ができない女性しかいないと考えていたが、普通はできるんだよな……女の子って。―少しはあの二人も見習って欲しい。こんなこと言うと失礼だけど、いつも口を開けて待っているだけだからな。……繭さんに至っては誇張無しの言葉どおり、口を開けて待ってることがあるからな―)

自らの上司と同僚の批判もそこそこに、日上は二人分のインスタントのコーヒーを作り、片方を自分の、もう片方をリンの前に置く。

そして彼女に今まで何をしていたのかを訊ねた。

「う~ん、ほとんどバイトしてましたかね? 日払いのバイトを探して、その日生きれればそれで良いという感じで過ごしてました」

それを聞いて、本格的に問題ありだと日上は判断した。

明日にでも彼女の素性を聞きだすか調べるかで、親御さんに連絡しなければならないと思った。

「両親に連絡しても無駄だと思いますけどね」

彼の心を見透かすかのように、何の前触れもなく話し出すリン。

「私って……一般人には受け入られない性格してるらしいですので―」

それを日上は心中で納得したが、さすがにそれを素直に告げることなく、

「そんなことないよ」

と答えを返した。

それをリンは苦笑いを交えて礼を返してきた。どうやらこちらが気を使ったことを気づいたみたいだ。

「ありがとうございます……でもやっぱり私はそういう人間みたいで、家族から気味悪がられていたんですよ」

それから彼女は自分の過去のことを話し出した。かつては素性を話すことを嫌がったのに、今はまるで開き直ったかのように話が進んでいく。

自分の名前を省いて、彼女は自分がどういった人間なのかも事細やかに説明した。

「なんていうか…………私って問題がまったくなかったんです」

そんなとんでもない自慢話を始めたとき、ツッコミを入れようかと考えた日上だが、彼女が本気で言っていることに気が付いて手を止めた。

「なんでも自分で解決することが出来ましたから、宿題のわからないところも親に聞くことがなくて、自然と会話が無くなっていきました―」

昔を思い出している彼女の目はひどく冷めていた。人間というものに限界を感じて、興味を無くしたかのような目だった。

そしてそれが既知感を感じさせて、日上は気が付いた。初めて会った彼女は今と同じ目をしていたのだ。この世の何もかもに失望して、それでも何かに希望を持って縋るように生きようとする。

「でもこの街に来てから、わからない事だらけで人に頼ってばかりです。今もヒガミンさんに寝床を貸して頂いていますし、なんだか新鮮なんです」

彼女の自分に対する呼称に関しては何も言わない事にした。彼女はおそらく繭が日上をそう呼んでいたのであだ名か何かだと判断したようだ。

(繭さんみたいに猫撫で声で呼ぶわけじゃないから悪くはないけど……いつか悠木羽まであれで呼び出したらさすがに嫌だな。……その時は止めよう)

別段今の彼女の話と関係の無いことで思考を割き、再び意識を彼女の言葉に戻す。

「この街に来たときも、悠木羽さんに出会えて本当に嬉しかったです。あの時私を助けてくれたときに見た彼女の力も―」

「……………………力?」

「はい、手に刺したナイフの傷が一瞬にして直ったんです!」

リンは少し興奮した様子で、日上も承知の事実を仰々しく語った。

「まるで漫画の中みたいでした…………王子様って言ったら可笑しいかもしれないけど、そういう言葉が一番似合うと思います」

「…………まぁ、漫画みたいってのは共感するけど―」

彼は今まで幾度となく彼女の再生能力を見て、感じてきた……と言っても、自分も不死になったというわけではなく、ただそれだけ近くで見てきたということである。

彼女の力は痛覚まで遮断しているわけじゃない。本来人間は致命傷を負えば激痛のあまり気を失うか、感覚が麻痺して本能が痛みから遠ざかろうとする。

だが彼女の場合は違う。無論、不死性――つまりは驚異的な再生能力を有しているだけで、極度の刺激を受けた肉体は本来意識をシャットアウトしようとするはずだ。だが、彼女は長い年月の死闘でその機能を麻痺させたらしい。

いつから今の様な生き方をしているのかまでは日上は聞くことができなかったが―。

反射のような、身体が危機から逃れようとする絶対命令の反応を自分にとって最善となるように改竄したのだ。生半可な状況で手に入るものではない。

彼女の運動能力も似たようなものである。鍛えて、鍛えて、身体の筋肉細胞が彼女の望むように仕立て上げられたのである。

あくまで、命令したのは彼女意思であって彼女の肉体ではない。

何を当たり前のことを……と思うかもしれないが、身体からの命令――わかりやすく言えば欲求がどれほど強いものかは承知だろう。大多数の人間が睡眠欲に抗うことができないはずだろう。食欲に、性欲に、抗うことは早々出来ない。自分が望んだように、うやむやな言い訳を述べたとしてもそれは身体からの命令なのだ。人間の全ての行動が、自らの身体からの欲求によるものによって成り立っている。

彼女はそういった身体の命令を無視してきたのだ。

だがそんな彼女を知ることもないリンは日上の言葉を聞くなり、彼に食い入るように話しかけていった。共通の話題を知っているとわかって、熱が入ったらしい。

「彼女がどういった経緯であんな素晴らしい力を手に入れたかはわかりませんが…………心配しないでと悠木羽さんにお伝えしてくれませんか?」

「……う~ん、…………失礼だけど、二つ質問していい?」

「? えぇ、どうぞ」

「……じゃあまず…どうして自分で伝えないのか」

「…………えへへ、それはですね。私があの人に嫌われたようだからですよ―」

彼女は恥ずかしさを隠すように、笑いながら答える。

「……別に、あいつが君のことをそんなに毛嫌いしていたようには思わないぞ。君がいなくなってからも別段陰口を言わなかったし―」

「それは……思い出すのも嫌なのかもしれませんよ」

「……………………」

日上は自分のパートナーがそこまで彼女を嫌う理由を考えたが、思いつかなかった。確かに不思議なところはあるが、害はないし、逆に悠木羽や繭のほうが危険があるように思えた。

「もう一つの質問は?」

「………………ああ、『心配しないで』ってどういう意味?」

後にして日上は思った。もしかしたら…………こんな質問をしなければ、問題など何一つ起こらず、今までどおりに生きていけたのではないかと―。

だがこの一言で状況が進展したことは確かである。ならば、ここは通らなければいけない道だったのだろうかと―。

「………………もう一人じゃないですよ……という意味です」

「?」

「悠木羽さんはあんな力を持っています…………それって孤独だと思いませんか?」

「?」

「彼女と同じ力を持った怪物が現れないと、理解し合えないでしょう。……だから私がそれに成るんです」

「?」

日上は彼女の言葉を聞く度に首の角度を、より数字の高い角度へと変えていった。

そんな彼を見て、リンはこう答える。

「……わからないんですよ。一般人であるヒガミンさんには……彼女の気持ちが―」

「ちょっと待った!」

日上は右手を彼女に向けて静止を促す。彼女の言葉が止まったのを見て、伸ばしていた手を口元へと遣り、考える風を見せながら語る。

「あいつ……なんか君の中で神格化してる? 辞めといたほうが良いよ。あんなのただの我侭な女の子なんだから―」

「それは姿形だけで、中身は―」

彼女の中にいる悠木羽は気高く、髪の色のように熱く、そして獣のように残酷だった。

だがそれはリンが一日だけ彼女と生活を共にして得た情報に過ぎない。

「―中身が、だよ。あいつの私生活を知ってるか? あまり話に上がらないから知られてないけど、繭さんに次ぐダメ人間のサイクルを歩く人間だぞ」

実際の悠木羽はリンの中にあるものとは大きく異なっていた。

「繭さんは早寝早起きだけど、あいつは遅寝遅起きだぞ!? 毎日昼間まで寝てるんだぞ!? しかも遅くまで起きている理由が『ボ~っとしてた』だぞ!?」

彼女と長い時間を過ごしていた日上よりもその情報は少なく、あまりに根拠に欠けるものだ。

「昼間俺が起こして、その後仕事がなかったら街をぶらぶら歩いて夕方に帰ってきて、晩飯食った後またボ~っと空を見てるだけだぞ!? 稀に天井のひび割れ箇所を数えて過ごす日まであるんだぞ!?」

だから今、リンは日上が話す悠木羽が悠木羽だと感知できなかった。自分が知らない第三者に関する愚痴を聞いてるようであった。

「この前だって、『クリスマスにプレゼントしたんだから寿司奢れ』って言われたんだ! 断ったら眼球ピンポイントのとび蹴りを食らわされたよ!!」

だがそれも、これだけの情報を聞くことによって、嫌でも事実だと認識させられる。

「しかも、キチンとプレゼントのお返しまでしてやったんだぞ!? それをあいつ、俺の首を絞めるだけで用途を使い果たしやがって―」

そして、決定的な事実をリンは思い出す。それは彼の語る悠木羽を自分に確認させるに十分な理由であった。

「……まぁ、次の日に改めて一緒にプレゼント買いに行ったら喜んでたっぽいけど―」

(…………彼は………………ずっと彼女の傍にいる?)

リンは悠木羽と別れてから一ヶ月の間、彼女を見ていた。その間、いつも隣には彼がいた。

(………………………………………………………………………………………………………………………………………………………谷田貝日上)

そして、今彼が言った買い物も見ていた。

(……………………………………………………………………………………………………谷田貝日上)

二人で商店街を歩いて、時折日上が下着を指差して悠木羽が殴り飛ばしていた。

(…………………………………………………谷田貝日上)

何かがあって悠木羽によって日上が道路まで投げ飛ばされていた。

(……………………………………………………………………………………………………谷田貝日上)

洋服店に立ち寄って、出てきたときには彼女は白いコートを着ていた。

(………………………………………………………………………………………………………………………………………………………谷田貝日上)

日上はそんな彼女に対して、自らの財布の中身を見てコートと同じ色になって苦笑いをしていた。

(…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………谷田貝日上)

悠木羽はそんな彼と手をつなぎ、更に商店街の奥へと歩いていった。

(谷田貝日上)

次の日から、彼女はずっとそれを着ていた。

「り…………リンちゃん?」

「ヒガミンさん」

彼女の目の前には笑っている悠木羽ではなく、自分に馬乗りにされ青ざめている日上がいた。

「その包丁……下ろそう…ね?」

「ヒガミンさん……………………どうして?」

目に涙を溜め、彼女は包丁を握った右手を日上に向かって振り下ろした。



「……それで? 包丁振り回す怪奇少女から命辛々逃げてきたと―」

「…………はい」

ここは日上の勤め先、篠原探偵事務所だ。

無表情のまま涙を流して襲ってきたリンから逃げてきて、夜の遅い時刻にここへ訪れたのだ。

日上にはここ以外に逃げ場はなかった。親友の加賀沢の家に行っても良いが、被害が及ぶ可能性があるので却下した。

彼の目の前には、ソファの定位置に寝転がって今にも瞼が落ちそうになっている繭がいた。先述の通り、彼女は早寝早起きなのだ。彼女にとってはすでに眠っていても可笑しくない時間帯だった。

「…………眠いでゴワス」

「いつからあなたの語尾が相撲取りになったんですか」

「…………昨日から」

「今日あなたと会話した記憶の中にないんですが」

「…………あぁ、それ私の双子の妹」

「マジで!!?」

「うん、語尾に英語のデスっぽいの付けてたでしょ?」

「付けてた」

「だから悪いのは全部彼女だから……私じゃない」

「…………そんないもしない妹に罪着せて、昼間のことを自分の所為じゃないみたいに言わないで下さい」

いつも通り、彼女は下着姿だった。ワザとではないが完全に虚を突いた来訪にも関わらず、日上が戸を開けると目に入ったのはソファで寝転ぶ黒髪痴女(美)。

「繭さん、本当に一日中下着なんですか?」

「当たり前だ」

「……どこら辺が当たり前なんですか」

「いつヒガミンが来ても美しい肢体が見られるように―!」

「それはどうもありがとうございます!!」

そんな、半年の間で積み上げた二人のコントも終わったころ。

「―ただいま」

悠木羽が入り口から入ってきた……と言っても、この部屋には扉が一つしかないのだが―。

彼女は日上がここに来た後、一度様子を見に行くといって出かけたのだ。

「―お帰り、何か収穫はあったかい? 愛されのリンちゃんに会えたかい?」

扉から入ってきた悠木羽に、繭はソファに寝転び首だけを彼女に向けて問いかける。

そんな繭の言葉にひとまず小さなため息を吐いた後、

「会えなかった。……日上、残念な話がある。お前の部屋が滅茶苦茶だ」

「…………どんな感じだった?」

彼はおそらくそうであろうなと考えてはいた。

リンの様子は異常だった。どの言葉でああなったかはわからないが、自分が原因で激昂したことを日上はわかっていたからだ。

高ぶった感情の捌け口であるはずの人物がいないことで、彼女は周りの物を破壊していったのだろう。

「無事な物がまず一つもなかったな。テレビも、壁も、机も、ベットまでズタズタにしていた」

「マジかよ―」

彼は軽く舌打ちした。予想はしていたが、予想から外れていて欲しかったという考えもあったのだ。

もしかしたら自分が出て行った後、冷静になり何も手をつけずに出て行ったと―。

だが実際はそうもいかず、彼にとって最悪なことが起きたという結果だけが残るだけだった。

「六対四ぐらいの割合だ」

「?」

落ち込む日上に向かって悠木羽が意味不明な言葉をかける。

彼はしばらく考え、それが被害状況の割合かと考えた。六割がた被害を受けていて、四割が無事という……。

だが、それだと今先ほど悠木羽が言った言葉と矛盾する。無事なものが一つも無かったという言葉と。

「何の割合?」

理解が及ばないと判断して、彼女にその答えを求める。

「私と彼女の被害を及ぼした割合」

「………………え~と、何か聞き逃してはいけない名前が出たんだけど。誰と誰の割合だって?」

日上は再度彼女に回答を頼む。

「私が六であいつが四だ」

「そっちかよ!! お前が四だと思ったけど、違うのかよ! ていうか、人の家をなに滅茶苦茶にしてきてんだよ!!」

「テレビを壊すのは難しかった。なかなか頑丈だなお前のテレビ―」

「そんな褒め言葉いるか!!」

「机を壊すときは危なかった。ガラス張りの机だったから地面に叩きつけた時破片が飛び散って大変だった―」

「だからなんで俺の生活用品を一々壊してきたんだよ!!?」

彼女が自分の聖域を踏み荒らしてきたことに憤慨する日上。

「…………いやぁ、なにやら可笑しな物をベッドの下から発見してきたんでな。その憂さ晴らしにと思って―」

「…………………………」

先ほどの覇気が一瞬で消え去り、下を向いた日上。

彼女の行動の裏づけが取れてしまったからだ。ベッドの下にあるアレを発見されたことで自分の立場が余りに不利になったと知ったからだ。

(…………リンちゃんに殺される覚悟で部屋に戻って回収しとけばよかった)

悠木羽の手には数枚の写真があった。

どれも目を瞑って眠りについている彼女の姿が映し出されていた。ワイシャツがはだけて胸元がチラリと見えそうで見えないことで、健全な男子高校生が興奮しそうな姿である。

「これ…………私だよな?」

彼女は目に殺気を宿して日上に問いかける。

対する日上は、ハンターに追い詰められた小鹿のように、恐怖で身体を振るわせる。

「これ…………私だよな?」

一言一句まったく違いが無い文章を彼女は復唱する。

その言葉にも彼は無言を押し通して場を凌ごうとする。

「最近……お前にハメ撮りされてる夢を見たんだ。……原因がわかったよ。………………で? いくら儲かったんだ?」

写真によく目を通すと、右下の欄に千円と手書きで書かれていた。

日上はこれを学校で売りさばいていたのだ。しかも商売上手なのかセット販売などをして大金を稼いでいたそうだ。

彼が呟いた金額に悠木羽は一瞬驚いたが、そんな彼女の反応が意外だった日上が顔を上げると同時に本日二度目の鉄建が顔面を貫いた。


数分後、鼻血を止め終わった日上は精、目共に一杯に謝った。

悠木羽は背に漫画の効果音のような雰囲気を背負いながらも彼を許したようで、写真を全て破いた後シャワーを浴びに行った。

どうやら日上の家で余程暴れたようで汗が気落ち悪いと言っていた。

「……覗く? ヒガミン」

「そんな勇気ありません」



日上は繭と悠木羽に許可を貰い、一階に寝床を設けることができた。

初めは事務所として使っている二階を要望したのだが、繭が寝室として使っているということで辞退した。

「一緒に寝る? ヒガミン」

「明日を無事に迎えさせてもらえる保障があるのなら―」

悠木羽から向けられる視線が恐ろしく、繭の甘い誘惑にも屈せず事なきを得た。

そういう訳で、日上は今ダンボールの山に囲まれて横になっていた。

この建物は古いくたびれた見た目とは違い、密閉性は完備されていて風が入ってくることはないので毛布に包まれば寒さは防げるようだ。

だがそれでも彼は寝入ることが出来ずにいた。

(何で今になって思い出してびびってるんだよッ―)

一人になったことで、二時間ほど前のリンの姿を思い出していた。

台所にあった包丁を持ち出して切りかかり、本気で殺しに掛かってきた少女。

悠木羽のことを話していただけなのに、何がきっかけで襲ってきたのかもわからずにいた。

それが逆に恐ろしい。理由がわからないことがとても恐ろしかった。

今まで悠木羽と共に戦ってきた化物にも、殺意を向けられたことはあった。

知能の低下によって、人間の生きるための欲求――食欲を理由にした狩による殺人。

それが今まで出会ってきた化物……いや、ドラッグによって形を変えた人間の末路だった。

だが、彼女はそういったもので動いた感じではなかった。

彼女は知能があり、常識から逸脱した部分はあったが人間としての心理を持った女の子だった。

日上は彼女のあの様子を見たことがあるように思われた。違う人物で、見知った人物で―。

自分を邪魔者のように見る目。存在を否定されるかのような態度。

「―親父か」

日上の父は彼を恐れていた。妻であり、日上の母である近衛が起こした事件によって彼に不祥の事態が起きた。そしてその母に似ているという息子を恐れているのだ。また不幸なことが起きると怖がっているのだ。

普通ならばそんな不平に文句を言っても可笑しくない。母は母で、彼は彼なのだ。そんな理由で怒らないほうが可笑しい。

だが、そんな父に自分を嫌う理由を言われても、日上は何も言わなかった。それは、もうすでにやる事はしたからである。幼いときに理由を問うても答えず、怒り狂おうと無視された。

だから彼はただ諦めただけだった。

そしておそらく、それが、彼という人格を生み出したのだろう。

近づく者を恐れて遠ざけ、友を作らない。

親から信頼という言葉の意味を教えられなかった彼は、高校に上がるまで一人だった。

小学生の頃から欠席と早退を繰り返し、人と関わらず、気の毒に思った先生の同情すら溝に捨てる。

イジメを受け、更に人を信じられなくなり、部屋から出なくなった。

家で独学し、成績は良好であったが世間との関わりを失っていたがために常識を得られなかった。

そのままでは、彼は永遠に人を疑いながら生きていただろう。

だが彼は十六歳の春に、加賀沢に出会った。今では親友となったクラスメイト。


「お前さ、この学年でトップなんだって? ひとつ聞きたいことがあるんだけどさ、量子力学ってオカルトじゃないの?」

前の席に座る彼は身体の向きを完全に後ろに回して、辞書やネットで調べるだけでわかることを聞いてきた。

日上はその時、彼が自分の後ろ向きな噂を聞いて同情観念から話しかけてきたお人好しだと思っていた。話しかけられる数分前、友達グループと思われる集団の中にいたので、寂しさ紛れに話しかけたのではないと確信していた。

机の死角で震える手をもう一つの手で抑えて、冷たい感情を乗せた言葉で質問に答えた。

「目に見えない粒子とかの物理法則を知る学問だよ。中二が好きなシュレディンガーの猫もオカルトじゃなくチャンとした実験だよ」

家で出来ることが勉強以外見つからなかったため、日上は義務教育では習わないことまではっきり答えることが出来た。

声をなるべく低く、視線を目の前の彼ではなく窓の外の雲に向けて答えたので、これでもう関わってこないだろうと日上は考えていたのだが―。

「正解。意外と量子力学をオカルトと信じてるやつが多いけど、そんなもんが現実主義の現代においても学問として認められるわけがないよな―」

この時日上は彼が自分を試したことに腹を立てることがなかった。それよりも自分の冷めた態度を見て笑っていたことに驚いた。

そして加賀沢は日上と距離を置くことなく、そこから更に話を広げようとしていた。

趣味や得意なこと等の平凡な質問ではなく、格ゲーの裏技談義や女子のレベルなど、初めて話す相手に対してとても一般的とは思えない質問ばかりだった。

そして極めつけは、「好きな体位は何だ!!?」

その時、日上は自分の体裁すらも忘れて筆箱で彼の頭を叩いた。けっこうな力で―。

「あ、ごめ―」

叩いてすぐに、自分が何をしたのかを理解し、謝ろうとした。

だが、彼は尚も笑って放送コードを無視したトークを続けた。

謝ろうとした日上の声は聞こえたのか聞こえなかったのか―。何事も無かったように話は進んでいった。

そうして…………数日後には十六年の無意味な人生は無意味な人生として終わり、信頼を親からではなく親友によって教えられた。


加賀沢のおかげで、彼は他人を信頼するという人間が持つ当たり前の考えを得ることが出来た。

その日から、日上は周りにいる人たちに対して情を持つことを覚えた。困っている人間がいたら助け、出来る限りのことをする。

それは加賀沢によって伝えられたものではない。彼自身が覚えたことだった。

だが、それの基点となったのもまた加賀沢であることには違いない。

それに気づいていた日上は、この礼をいつか返さないといけないと考えてはいた。

だが彼にそんな隙があるようには思えない。どんなことが有っても笑顔が無くならず、ふざけ、周りの人たちに笑いを振りまく。

自分には出来ないことで、得ることもできないものを彼は持っていると日上は思った。

加賀沢は芯が強く、まずその心が変わることはない様に見える。

例え大切な存在がいなくなっても、次の日には持ち直すほどなのだから―。

「十六年も塞ぎ込んでいた俺とは大違いだな―」

「―まったくだ」

「!?」

驚いた日上は自分の身体に巻きつかせていた毛布を投げ捨て、声の主から一足の距離を取る。

「ゆ……悠木羽?」

「お前は寝込みを襲われた野良猫か―」

悠木羽が先ほどまで日上が寝転んでいた場所のすぐ横にいた。なぜか両方の手にそれぞれコーヒーカップが握られていた。

彼は別に寝入っていたわけではないが、彼女の気配や物音はまったく感じなかった。おそらくこれが戦闘員と非戦闘員の違いだろうと日上は心の中で思った。

「…………いつも思うんだけど、お前警戒心強すぎないか?」

それはおそらく未だに昔の癖が抜けていないのだろうと日上は思う。一人暮らしになるまでいつ父が襲ってくるかと怯えていたからだ。

「音もなく忍び寄るお前が悪い。あと、お前にいつ暴力を振るわれるかわからないから警戒する必要があるだろう」

悠木羽が顔を真っ赤にして反論する。

「お前があんな写真を持っているのが悪いんだろうが!!」

「別に俺個人は興味はないよ。だけど、需要があるんだから仕方がないだろう? お前の肢体と顔に次なる要望が押し寄せてくるんだ……冗談だ、反省してる。だからコーヒーカップを床に置いてファイティングポーズをとらないでくれ」

「……本当に反省してるんだろうな?」

「ああ、本当に反省してる。…………それと、俺は今までお前の写真を個人的に使ったことはないぞ。お前の身体にはまッッッたくもって興味はないからな」

「なッ!!」

それを聞いた彼女はショックを受けたような顔を見せて、ガックリと雪崩れてしまった。

そして―

「何でファイティングポーズを取り直してるんだ? ちゃんと反省してるんだってばッ!!」

その言葉を言い終わる頃には悠木羽は日上の目の前まで来ていて、彼女の目がギラリと光るのを見て日上は―

「だからお前には興味ないんだって!!」

とどめの言葉を言ってしまった。

「少しくらいは興味もてやああぁぁぁぁッ!!」

見事なアッパーカットを食らわされた日上は、更に上から振り下ろされる拳を見てこう言った。

「ホ、ホワイトファン―」


「―で、何をしに来たんだよ?」

ヴォ○グ・ザンギエフの必殺技をもらった日上は壁に背を預けて、悠木羽ダンボールの上に腰かけて互いに向かい合って彼女が持ってきたコーヒーを啜りながら話を始めた。

「……別に、暇だから雑談を―」

「雑談………………って、どんな?」

「雑談は雑談だろう」

「………………これ以上尋問しても何もでないぞ」

「だから話に来ただけだって―」

温かいコーヒーは話をはずませるには十分効果を発揮したようで、その後二人は他愛もない会話をしていた。

駅前のドーナツ屋が潰れて悲しいだの、この前見た映画が存外面白かっただの―

第三者から見ても、仲の良い二人組くらいにしか見えない光景だった。

事実、この二人は半年間の間に親友の域ぐらいの関係にはなったはずだった。

だが悠木羽は隠し事をしていて、自分がそれを聞き出せば離れていってしまう。

彼のそういう考えが踏み出すことを留める壁になっている。踏み込むことで目の前の彼女がいなくなってしまうのではないかと恐れて聞きだせずにいた。

エンドのことを、母のことを、彼女と繭のことを―

「なあ、悠木羽―」

「なんだ?」

「リンちゃん、お前をどんな風に思ってるんだろうな―」

「……………………日上はどう思ってるんだ?」

悠木羽は頬を赤らめ、日上の反応を待つように視線を泳がせた。

「ダメ人間………………おっと、コーヒーカップを投げるな」

「ふざけるからだ、ワンモア」

日上は掴み取ったカップを床に置いて、今のも本気だったという言葉は出さずに、悠木羽が怒らないであろう感想の中で率直な意見を言った。

「非常識」

「………………死にたいのか?」

「まあ最後まで聞けよ―」

日上は自分のコーヒーを飲み干して――だからといって気合を入れ直したわけでもなく、淡々と続きを語る。

「非常識で野獣だけど、やっぱり女の子ってところだよ」

彼はただ今までの彼女を反芻してそれを言葉にしているつもりだった。

昼まで眠り、何かがあれば殴る。

「隠し撮りされた写真に羞恥を感じるんだったら女の子だろう」

「私は…………一般人にはない力があるぞ」

「意味もなく害を及ぼすわけじゃないだろう? 俺の持論から言えば、人間なんて変なのが当たり前なんだ…………だから、お前が人じゃないとは思えないよ」

それは個性という概念を間違えて理解した結果だった。

家に篭り、外を知らずに文献だけで考え付いた論理。

「………………お前は、リンも……あの女も人間に見えるのか? 外見こそ人間だろうが、中身は違う存在も―」

「…………十分範疇だよ。それに、あの子泣いてたし。悲しくて泣く奴なんか、人間以外どこにいる」

「………………ッハ」

「なぜ鼻で笑う?」

「お前があまりにも変態だからだよ」

「だから言ってるだろう。人間、変態が当たりまえなんだよ」

話は済んだとばかりに、悠木羽はダンボールから立ち上がり自分と日上のコーヒーカップを手にとった。

「もう眠るよ、おやすみ」

そう言って、彼女は日上に背を向けて階段へと歩いていった。

「おやすみ、悠木羽」

日上は自分の部屋へと戻っていく悠木羽に目を向けず、だが彼女が階段を上っていく音だけには意識を傾けていた。

彼は先ほどまで、悠木羽が来る前は恐怖で身体が震えていた。

先刻のリンの行動を恐れ、そして先ほど彼女が送ってきたメールにどう対応すれば良いかを決めあぐねていた。

「何カッコつけて語ってんだか…………おかげで、やらなくて良いことまでしなくちゃならなくなったじゃねぇか」

そのメールは『一人で会いに来い』というものだった。

指定された場所には覚えがあり、工場通りの一角にある不良の溜まり場のひとつだ。

(……言ったことには責任を取ることにしよう)

それは彼のなりの意地であった。

リンを人間として扱うと言った自分の失点。だけど、それを後悔したが間違っているとは考えてはいなかった。ただ自分の本性が間違っていたとしか思えなかった。

日上はメール画面を開き、彼女に了解の返事を送って事務所を出た。


歩いて十分もしないうちに指定された場所の手前までたどり着いた。

そこは建設途中の建物で、支柱となる赤い鉄柱からこれから立てられる建物の大きさと相貌を測れるが―。半年前からこのままであるので、おそらく建設中止になったのだろう。きちんとした壁がなく大きなビニールシートで覆われているため、時たま強く吹く風が当たって所々で鉄骨が軋む音がする。

今はこの街の不良たちの格好の場所となって、あちらこちらに捨てられた空き缶や菓子の袋がその後を知らせるが―。

「―いつもこの時間には騒いでるはずだけどな……」

今日はその喧騒がなく、辺りには一人たりとも影がない。

彼らが毎夜毎夜、自慢げに話すバイクもなく。この寒い季節にも関わらず、どこから仕入れてきたかもわからない花火も―。

いつも彼らの騒ぎに眉を寄せていた最寄のコンビニも今夜は静かに営業している。

そうして周りの静けさの異常に不安を感じ始めた頃、ポケットに入れていた携帯電話のバイブレーションを感じ、画面を開く。そこには『入ってきて』とだけ書かれていた。

(どこかで見てるって事か……)

メール経由の命令に従い、警戒する様子もなく立ち入り禁止のテープを潜り中に入っていく。

外からではわからなかったが、中には建築資材が山済みになっていた。

鉄パイプや赤い色をした鉄柱がまとめて青いビニールシートに被せられて、セメントの材料が入っている茶色い袋も不良が散らかした後なのだろう、綺麗に陳列されている袋の一部が崩れている。

だが何よりも、ここに入って気分が滅入ったことがあった。

余す所なくカラフルに彩られたスプレーアートの跡である。

一つ一つは意味のある文字であったり絵であった。だがそれを作る側の人間が多すぎた結果だろう。個々としてみれば悪くはない芸術品でも、密集してしまえばただの異空間である。美術館の様にそれぞれの作品が特色を放っていれば文句はないが、これらはいかんせん大した長所も短所もないので、あえて表すのならば有象無象だ。

「目がチカチカして疲れるな……」

中に入った日上の開口一番がそれだった。

ビニールシートの中は電気もなく今夜は月も細長く曲がって見えたので、目が慣れるまでは周りの明るい迷彩色意外彼には認知できなかった。

代わりに音で周りの状況を知ろうと考える。

外から吹いてい来る微風に煽られてバサバサと振れるビニールと鉄骨の軋む音以外に定期的な枯れた呼吸音が聞こえ、それが何なのか考えたがわからず。女性のものではないとだけは理解した。

「こんばんわ、ヒガミンさん」

その声が邪魔になり、詳しく聞きたいと耳を欹てた彼の集中が無理やり視覚に戻された。

よく見ると、目の前の青いビニールシートに人の足の模様が浮き上がっているのがわかった。おそらく足をぶら下げる形でその上に座っているのだろう。

「数時間ぶりだね、リンちゃん…………あと、やっぱりその呼び方やめて欲しいんだけど」

日上は堂々とした態度で彼女に返事を返した。恐怖で足を一歩下げようとしたが、それを堪えて姿勢を崩した。

「あら? どうして?」

「ヒガミンの専売特許は繭さんしか持ってないから―」

「残念、語呂が気に入ってたんですけど―。じゃあこれならどうです? この僻みやろう」

「…………別に良いけど、一々呼ぶときに面倒くさくないか?」

「僻み」

「発音が違うだけだね」

「……まどろっこしいから今までどおりにいきます」

「あきらめちゃった……」

次第に目が暗闇に慣れてきて、少しずつ輪郭が捉えられるようになってきた。

やはり座っているのはリンであった。先ほどと同じようにこの冬には合わないホットパンツにTシャツという服装だ。

しかし、彼女が右手と左手にそれぞれ握っているものが未だわからない。

「先ほどはごめんなさい。彼女のことを私より知っていたことに腹が立って……当たり前のことですよね。貴方の方が長く付き合ってるんだから」

「…………あぁ」

「それで気づいたんです。あなたもこちら側の存在なんだって―」

「…………はぁ?」

リンはビニールシートで覆われた建築素材から降りる。

そして日上は彼女が左手に持っているだろう物がわかってしまった。

(…………あれってハンマーだよなぁ…………逃げる準備はしておいたほうが良いかも―)

顔を引きつらせながら逃げるために自然と足に力が入る。

「私…………ずっと夢見ていたんです。ファンタジックな世界を―」

「……………………」

ゆっくりと日上の方へと歩いてくるリン。近づくたびに何かを地面に引きずる音が聞こえて、その中にハンマーが地面とぶつかって響く音も聞こえてくる。

「そうして見つけたものが……この街と彼女だったんです」

リンが立ち止まり、それと同時に日上は彼女が右手に持っている…………いや、引きずっているものがわかった。

「そして……あなたに出会えた」

人だ。顔面が血まみれになってひしゃげている。

状況から判断して、あのハンマーで殴ったことは明白だ。

どうやら瀕死の状態ではあるが生きているらしい。先ほどから聞こえていた枯れた呼吸音は彼のものだったのだ。

日上が瀕死の男性を凝視していることに気づいたリンは思い出したように話を始めた。

「あぁ、彼はですね。先ほどまでここで騒いでいた連中の一人です。少し痛めつけたらこぞって逃げ出して面白かったですよ。まだ仲間がいるのに逃げ出してそれっきり音沙汰なし―」

口元を抑えて小さく楽しそうに笑う。まるで他人事のように話す姿に、日上は改めて彼女の危険性を感知した。

「……もし彼らの中に私たちと同じ素質を持つ人がいたら、私のことを恐れずに向かってくるでしょう? 非日常をどうにかできるのは同じ非日常を過ごす人だけなんですから―」

「……だから、君の下に来た俺は……君の言う非日常を生きる人間なのか?」

「はい……しかし私はあなたのことを先ほどまで誤解していました。あなたも彼らと同じ、日常しか知らない存在なんだって―」

服の襟首を掴まれていた男は地面にドサッと降ろされた。

「―けどそれは早計でした。あなたは紛れもなく私や悠木羽さんの同類です。自分の観察能力を過信し過ぎていました。本当に悪く思っています」

「……………………」

「…………だから、お友達になりましょう」

リンは日上に向かって片手を伸ばす。この手を握って先ほどのことは水に流し、信頼関係を持とうと呼びかけている。

彼女はおそらく日上から篭絡すれば悠木羽に近づきやすいなどの考えはまったく持っていないのだろう……ただ純粋に自分勝手に、日上を認め受け入れようとしているのだ。

彼女はどこまでも自分の世界で生きている。この街に来て、未知の存在を知ったためにそれは堅固に確立してしまい今に至る。限界を知らない想像は無尽蔵に彼女の世界を作り広げる。そして彼女はそれを表に出し狂人となり、対峙する日上に果てない恐怖を植え付ける。

「俺ってさ―」

それをわかった上で、彼は返事をする。

どうすれば良いのかなど考えず、彼もまた自分勝手に話を進めていく。

「―究極的に人間ってやつが嫌いだ」

目を瞑り、昔の周りの人間――母を除いた家族を思い出す。

父は母を理由に息子を恨み、それに影響を受けた日上の兄も程度は低いが彼を訝しんだ。

父に話しかけても無視を決め、兄が口を開けば罵詈雑言。日上が家から居なくなるまで―いや、おそらく会わないだけで死ぬまで日上を嫌う。

「理由もなく相手を嫌いになって、それに合わせて周りもそいつを嫌いになって、傷つけていることも気づかずに少しずつ追い詰めていくんだ」

「…………」

リンは微笑を交えて彼の言葉に耳を傾けていた。これから友となる彼の心を少しでも知ろうとする彼女なりのルールによる行動だった。

「ガキの時それを知って、自分だけはそう成らないでいても周りは知ったことなしで追い詰める―」

彼女はもう彼を敵対する必要はないと判断した。彼も自分と同じく、周りの世界に蔑まれてきた存在なのだと高を括っていた。

だが、それも次の言葉で終わってしまう。

「―で、俺には親友が出来た」

「………………は?」

唐突な文章の流れの変化に彼女は対応できないでいた。逆接も使わない、現存する法則を無視して鈍器で叩いて無理やり流れを変えたような変化―

「だから、親友だよ。…………もしかして、俺が君の言うそっち側の人間になるとでも思った?」

―その変化に彼女の反応はひどく鈍感だった。

「…………ぇ……」

彼女は驚いている。

そういう反応になるだろうとは日上も考えてはいた。だがここからの彼女の行動はさすがに知る由もなく、これから起こるかもしれないことを考えず軽く自虐気味に話を進める。

もう一度目を瞑って、今度はこの街に訪れてからのことを思い出す。

「俺の親友はバカだけどすごい奴でさ。いつでもどこでもバカやってるんだ……自分の妹が死んでもふざけてるんだぜ!? さすがに空元気だって事はわかっていたけど、だからこそすごいと思ったね―」

彼の親友、加賀沢 真には妹がいた。生まれたときから心臓が悪く、ついに半年前いなくなってしまった妹がいた。日上も彼女と知り合い、放課後には彼女の入院している病院でよく過ごした記憶があった。

「可愛い子だったよ……あいつが溺愛するのも理解できるぐらいいい子だった……って、この話は関係ないな」

「な…………何が言いたいの?」

リンの顔には疑問が浮かんでいた。冷たい目ではなく、ただ本当に彼の言いたいことがわからないのだ。

「だからちょっと話脱線しちゃったんだよ。……え~と、何が言いたいかと言うとだな―」

彼の口がニヤリと歪む。今まで散々驚かしてきた彼女が困惑しているのが愉快でたまらなかったからだ。

「俺はさ……人間っていう括りでは嫌いだけど、個人個人は好きだって事―」

外との関係を持たなかった彼が決めた人間の感想は前者だった。だが高校に上がってからそれに付け足された補足事項が後者だ。

「…ぇ……ぁ……………」

それを聞いた彼女は尚も対応を図れずにいて、声を出すだけで反論できずにいた。

「俺よりすごい奴なんてごまんといるし、あいつは俺が会った中でも別格だね―」

それは彼女にはわからないことだった。演技をして手を抜いても満足する結果を手に入れられる彼女にとって、現実においては自分が劣等とは考えたことがなかった。自分が頭を下げるのは現実では有り得ない物しかないと決めていた。

だから彼女には日上の心中を図れなかった。自分と同じく、こちら側の住人であるはずの彼の言葉が今まで自分がいた世界と酷似していたために―。

「それともう一つ、君に言いたいことがある」

驚くリンに心の回復もさせず、彼は次の言葉を紡いでいく。

「君が自分をどう思ってるなんかどっちでもいいけど、俺は君を人間として扱うとパートナーに言ってしまったんだよ―」

「?」

最後に思い出したのはつい二十分ほど前の会話。

悠木羽がどんな理由であんな会話を始めたのかはわからないが、彼女がどんな答えを求めていたかはわかっていたつもりだった。そしてその時の流れで口走ってしまった言葉に責任を感じて、そしてそれを理由に言いたかったことを口にする。

「―だから、おまえ…………病院行け」

その言葉は、リンにとって最悪の言葉であろうものだった。

常人が非常人に言う真っ当な言葉、世界の規範に沿った言葉。

もしこれが、『おまえを人間として殺す』等の漫画で出てきそうなセリフだったならばここまで彼女が怒ることはなかっただろう。

悪役にされたとしても彼女の中では、自分をそっち側の世界の住人として認めてくれていることになるのだ。

そして、日上の今の言葉は彼女を悪役にした上で、あまりに現実じみたセリフだった。

だから彼女はまた自己完結で自分の世界を広げていった。

「……やっぱり私間違ってなかったですね」

「―はい?」

「あなたは部外者でした」

「………………うわぁ」

日上は彼女の表情が大きく崩れるのを見て、呆れながらも後悔していた。

(…………ていうか、さっきから思ってたんだけど昔のこと思い出すとか死亡フラグじゃん。ここで降板すか俺?)

リンが彼の一歩手前まで来ると、十キロはあるハンマーを片手で振り上げてこう言った。

「ここであなたは舞台から降りてください」

それは彼が心中で誰ともわからずに聞いた質問の答えであった。

日上は恐怖に駆られたのかそうなのかもわからず、ただその場で立ち尽くして笑ってしまっていた。

「……やっぱり死亡フラグだったか」

自分の死期を感じて笑い、最後は格好よく死のうと考えた結果。この短い間に出来ることと言えば白目を剥かないように目を瞑っておく程度だった。

目を閉じる寸前、彼女の口が動いたのが見えた。その内容を聞いて理解するための思考が働かず、仕方なく彼は頭の中でなんちゃって読唇術をしてみた。それは皮肉にも正解だったようだ―。

『さよなら』

そして彼女は自身の敵に文字通り鉄槌を下した。



「―行ったか…………」

繭は彼女を窓越しに見送り、彼女とそのパートナーがうまくいってくれることを、少しばかりの嫉妬を交えて祈った。

篠峰探偵事務所の二階――すなわち繭が寝室兼仕事場として使っているこの部屋には明かりが点いていた。

いつもならば夜九時を回ったあたりで彼女は眠りにつくはずだった。

だが今夜は彼女の部下である日上が顔を真っ青にして戻ってきたのでその定時サイクルも狂ってしまい。

加えて、今日は何かが起こる様な気がしてならなかった。これはあくまで虫の知らせといってもいいものだ。このまま眠ってはいけないような錯覚がおさまらず、こうして意味を成さぬかもしれない準備を彼女はしていたのだ。

「―さっむ」

この部屋は毎日ある一定の温度を保っていた。人が風邪を引かない程度の暖かさで、汗を出しすぎて脱水しない程度の温度に―。だが今はその温度を保っていた暖房器具も電源スイッチを切っており、この部屋は外とそれほど変わらない気温になっていた。

そしてもう一つ、いつもと違うことがあった。

彼女が服を着ていることだった。

今彼女は黒のドレスを着ている。それはゴシックなどのゴワゴワしたものではなく、パーティーなどで見かける肩紐のついた布一枚で身体を覆うものだった。いつも下着姿を見せられた日上からすれば、これは槍でも降ってくるんじゃないかと驚くほどのことである。

「ヒガミンに見せたかったな~、私の晴れ姿―」

だがこれを着た理由は他にあった。

これを着て彼を出迎えなければ後悔するような気がしたのだ。

もしその男性が来て今の楽しい生活が終わってしまっても、彼との再会を綺麗なものにしたかったのだ。

そして―

「相変わらず綺麗だね……繭」

ドアノブを回して入ってきた白衣の男は彼女を見るなりそう言い、彼女はこの選択を心中で納得した。



目を瞑ってどれくらいが経っただろうと考えた。

視界には黒、黒、黒しかなかった。頭部を殴られたらもしかしたら血の赤が混じるかも―と考えて待っていたのだが、一向にその気配はなかった。

もしかしたら一瞬で意識を断ち切られて目を開けたら地獄なのかもと考えたが、そう考えると怖くなって余計目を開けられなくなった。

ならば、彼は何か切欠が欲しいと思った。目を開けるための切欠を―。閻魔大王の声でも、身体を貫く針地獄の痛覚でもいいから切欠を求めていた。

だから、最悪の切欠ばかりを考えていた日上はその声の意味することがわからなかった。

「死亡フラグって最近は逆に生き残りフラグとして利用されることの方が多いと私は思うんだけど……どう思う日上」

目を開ければすぐにわかったことを、一々声にされて始めて気が付いて目を開けた。

「お助けヒーロー参上」

聞きなれたその声は、彼の最強のパートナーのものだった。


「お助けヒーロー参上」

リンが振り下ろしたと思った左手のハンマーは、彼女の意思に逆らい動きを物理的に止められた。

なぜ自分の腕が振り上げたまま自分の視界に現れないのか。力を入れたはずの手は未だ自分の頭上にあった。

そして自分が握っている柄のすぐ上、自分のものとは違う腕が横から生えているようにそれもまた柄を握っていた。そしてそれを辿った先にいた者は―

「…………悠木羽さん」

「やぁ、私の同僚によくも―」

緊張したリンの言葉とは裏腹に、悠木羽のものはとても軽薄だった。一ヶ月前、彼女はリンに恐怖を感じて追い出したはずだが、今はそんな気配が微塵もなくまるで旧友との再会を果たしたようであった。

だが、その語調とは裏腹に彼女の心はひどく冷めていた。

「―よくも手をだそうとしたな」

言うや早く、彼女は握る部分をリンの手首へと変えて―

「…………ぇ?」

目を開けて事態を把握した日上の目の前で―

彼女を鉄柱の山に向かって放り投げた。それも、彼女に当たった山が崩れて砂煙が上がるほどの速度だった。

「ゆ、悠木羽―!!」

顛末を始終見た日上は、なぜ彼女がいるのかという疑問も後にして、彼女に詰問しようとする。

「彼女は一般人なんだぞ!!? あれじゃあ重症になムギュッ!!」 

だが悠木羽は後ろにいた日上に向き直ると同時に、彼の口が縦に閉じてしまう程の力で彼の両頬を片手で掴んだ。

「ひゅ、ひゅひは!?」

「私は浮気をされたら浮気をしたほうとその相手を地獄に叩き落すタイプなんだ……というわけであとはお前だ」

(いやいやいや、浮気ってお前いつ俺の女になった……ていうかお前、ラブコメに出てくるツンデレが怒ったときに見せる目やめろ!! どうやったら目が真っ赤に光るんだよ!! 言いたくないけど今おまえバケモンだよ!!?)

本気で彼女が恐ろしくなった日上だが、そんな時悠木羽の握力が緩まりだした。

「―何か遺言はあるか?」

「話を聞け」

「『話を聞け』それが彼の最後の言葉だった」

「違う!―ッていうか、お前ちょっとふざけてるだろう。いいから話を―」

「…………ふざけてる?」

彼女は未だその鬼哭しゅうしゅうとした気配を崩さず、再び彼の口を縦に割ろうとする。

「ひぃたひぃ!! ひぃたひぃひょ、ひゅひは!!」

「私が―!!」

初めのうちは本当に彼女がふざけているとしか日上は考えていなかった。この危機迫る殺気を彼は今まで感じたことがなかったためだ。

だが― 

「私が…………どれだけ心配したと思ってる」

彼女の目尻に涙が溜まっていたことが、彼女が本気で心配していたのだという証拠だった。

「お前が急にいなくなって……あいつに襲われたんじゃないかと思って急いで繭に調べてもらったんだ」

彼女が彼に向けた殺気はただ、彼女がそれ以外の感情のぶつけ方を知らなかっただけのことだった。今までの人生の中で自分の気持ちを伝える方法を、怒ること以外教わったことがなかったためだ。

「…………黙って消えないでくれ―」

彼の顔面を掴む手を離し、彼女は日上の胸に顔を埋めた。これ以上泣き顔を見せたくないし、傍にいて欲しいという彼女の意思表示だった。

胸の中で泣く女の子という美味しいシチュエーションには何かしらの洒落たことをしようと親友と談義し、そうなった場合の答えも彼の中では昔から決まっていたのに―

「悠木羽……」

全国共通で月並みに過ぎない反応しか今の彼には出来なかった。

ただ抱きしめて自分の為を思ってくれた彼女の苦しみの一部を受け取って、放心するしか出来なかった。どうすれば彼女が泣き止んでくれるだろうか―そればかりが頭を巡り、あれでもダメだこれでもダメだと反芻した。


「…………………ッで?」

「…………………はい?」

自分の胸で泣いているはずの悠木羽が突如至近距離で日上を見つめる。その目には先ほどのような涙はなかった。

「…………終わり?」

「…………なにか御気に召しませんでしたか?」

そしてお互いに沈黙の時間が訪れる。

悠木羽はただずっと日上の目を見続け、まだほんのりと麗せた瞳に見つめられた彼は恥ずかしいながらも彼女を見ていた。

―すると、悠木羽は何を思ったのか彼の腕の中でもぞもぞと動き出して、ポケットから携帯電話を取り出した。

「悠木羽?」

日上の言葉を無視して彼女は携帯電話をいじくり、誰かに電話を掛けだした。

「……………………あッ、繭? ダメだ、お前の勝ち。こいつボーっとして何もしてこなかった」

何が起こっているのかもわからず、日上はとりあえず悠木羽の電話の相手が繭ということだけは認識した。

「―キス? ないない。そんな様子欠片もない。とんだ甲斐性無しだよ」

「あの―、悠木羽?」

日上は尚も状況がわからずにいた。何が理由で彼女が自分の上司に電話をしているのかもわからない。

一つだけ仮説を立てたが、まさか彼女たちでもここまでひどいことはするまいと考えていたため、だからこそ本人に確認をとってみた。

「……まさか、賭けの対象にされてないよな? 俺―」

苦笑いを浮かべて、彼女の反応を待つ。

彼女はというと、携帯電話をポケットになおした後、彼の質問に対して無表情を見せ―

「…………………………………………てへッ」

「てへッじゃねええぇぇッ!!」

ウィンクと申し訳程度に舌を出してカワイ子ぶったパートナーに怒り狂った。腕は彼女の背に回したまま、至近距離で―

「何!? じゃあ、あのお前の涙もウソ!!? お前が泣いてるところなんて見たことないから尋常じゃないと心配した俺の気遣いは無駄!!?」

「無駄」

「即答しやがった!! ていうかおまえの泣き顔の前とのギャップが酷すぎて完全に騙されたよ!!」

「繭の提案」

「あのババアアアアアアアアアアアアアッ!!」

日上の絶叫がビニールシートによって覆われたこの場所を満たしたとき―


「仲が良いですね。お二人とも―」


その声の後、そして反対の場所から轟音が響いた。

日上が轟音のしたほうへ、悠木羽は声のした崩れた建築素材の山から無傷で出てきたリンへと眼を向けた。

「なんだよこれ―」

日上が見たのは地面に突き立てられた鉄柱に別の鉄柱がぶつかって凹んでいるものだった。何で打ち出されれば鉄柱がこんな風に曲がるのかわからないほどの力の痕跡があった。

「こっちも面白いぞ日上」

悠木羽の言葉に誘われて彼も反対を向いた。

そこにいたのは無傷で、要所要所の衣服が破けていて、鉄柱を片手で持ち上げているリンだった。

「ウソだろ」

「おかしいと思った。さっきハンマーを止めたとき、全力で止めなくちゃいけなかったからな」

微笑して、日上に彼と別れた後の顛末を教えはじめる悠木羽。

「お前がいなくなった後、繭に探してもらったのは本当だ」

まだ眠りに入っていなかった繭がパソコンを開くと、常時配信される警察の盗聴記録を調べた繭はこの場所が唯一不審な場所だと断定し、ここにリンとそいつにおびき出されたバカがいるだろうと判断したと説明する。

「バカって誰だ」

「お前だ」

「おいッ」

そして、その警察に集団で訪ねてきた不良達の説明から彼女がどういったものかを悠木羽は話した。

「何度殴っても倒れなくて、腕を折ってもすぐに元に戻って、挙句が素手で殴られた奴の頭蓋骨が粉々になった」

折れた骨が瞬時に治った時点で逃げろよと日上は考えたが、そこは不良魂が勝ったらしく―

「逃げても追ってきて、リーダーが犠牲になって逃がしてくれた。だから急いで助けてくれ―」

―最後まで誇りを捨てずに戦ったけど、相手は化物過ぎた。

(うちの街の不良カッコ良すぎだろう。話が違えば絶対に主人公だよ彼)

だが今彼は血まみれで、仲間の助けを待ってるわけで―

(そういえばハンマーにも血は付いてなかったな―)

待っている間、彼は彼女にサンドバックとして扱われた故だった。

「同類……かな?」

「悠木羽?」

説明を終えた彼女が呟く。

「傷がすぐに治って、馬鹿力」

日上もそれは考えた。リンはあまりにも悠木羽と似ていると―。だがなぜ?

「私と同じ出身というわけじゃない。彼女の出身もここまでの経緯もすでに彼女が私たちの事務所に来たときに繭が調べた」

先に言えよと日上は言ったが、彼女は無視して先を話す。

「……平凡だよ。あまりに平凡な家庭で、平凡な学生だったはずだ」

悠木羽は繭が調べて自分が目を通した情報を反芻する。

「だけど、それもこの街に来るまでのことだ―」

そこから先はわからなかったと彼女は言う。リンがいなくなってから、今日まで彼女の情報は何をしても手に入らなかった。

「あまりに用心深いのか、痕跡すら残さない」

「―それぐらい簡単ですよ」

彼らの会話を聞いていたのか、間に入って話を始めるリン。

「本当はそれぐらいいつでも出来る自信はありました。だけど、そんなことをしたらみんなビックリしちゃうでしょう?」

数百キロはある鉄柱を肩に担いで、リンは冷めた眼を二人に向ける。

「だから平凡であったんです。いつでも普通、いつでも一般人…………虫唾が走りますね。だけど、ここに来る迄そうして生きてたんです。普通の人たちより、特別である自覚はありました」

みんなが本気で走っているのに、自分は半分以下の速力で走っても勝てる。同年代の男でも持ち上げることが出来るか分からない物も軽い。皆が難しいという難関入試の問題も一問に一秒も掛からず解ける。

―だから平凡であろう。突出していては一人になってしまう。だから力を抑えて生きよう。

そして待とう。いつか自分と同じ力を持った存在が現れることを―

「そしてこの街に来たんです。ここなら自分が自分でいられる。私を受け入れて、一人ぼっちにならずに済む」

人は恐怖する、阻害する、疎遠する、攻撃する、忘れる、認めず、知らず、妬み、僻み、離れて離れて離れて離れて離れて離れて離れて離れて離れて離れて離れて離れて離れて――――――――いく。

「悠木羽さんに会って嬉しかった。初めて本当の自分が出せると思ったの」

「私は本当のお前を見て恐怖したよ。並みのお化け屋敷なんか目じゃないほどにな」

「…………うん、わかってます。私振られたんですよね…………でもいいんです。今はあの人がいますから―」

そう言ってリンはズボンのポケットから青い錠剤を取り出した。

「ブローカーに会ったのか」

日上と悠木羽はその青い錠剤を見て直感した。

「これを呑んで、わかったんです。悠木羽さんだけじゃなく、他にもあなたのような存在がいるんだって―」

「それを呑んだのか!?」

それを聞いて、日上は疑問に思った。どうして彼女は今までの服用者のように禍々しい姿にはなっていないのかと―。

「多分……付け入る隙がなかったんだと思う。エンドは本来、ただ進化を誘発する薬だから―」

「……初めて聞いたぞ、そんなこと―」

「…………繭が―」

「?」

悠木羽がここにはいない上司の名を出したことに、日上は疑問を持つ。

「ここに来る前に言われたんだ。時間が来たから何もかも話してやれって―」

「……エンドのことをか?」

「ああ…………けど、とりあえずあいつを止めた後でな―」

「…………オーケイ」

彼女の考えを肯定する。

確かに彼女を放っておいたままここで説明されても困るなと日上は思った。

「お二人、ずっと抱き合うほど仲がいいんですね」

リンのその言葉に、日上と悠木羽はゼロ距離まで近くにいる互いを見た。

「いつまで抱きしめてるんだ?」

「……さぁ?」

注意しても尚も離ず、笑いあっている二人。

羨ましく、妬ましい―リンはその言葉を頭の中で何度も何度も呟く。

「嫌だった。常人である彼に触れているあなたが穢れていくのが―」

自分を支えた両角の一角。それが錆びて崩れていく感覚が彼女を支配する。

「だからもういい、綺麗な記憶はそのまま―」

――ここで壊す。


リンが持っていた鉄柱を二人に向かって放り投げる。それはまるで大砲で打ち出された弾頭のように、まっすぐ二人に向かった。

悠木羽は横にいた日上を突き飛ばして、それを避けるでもなく彼女はもっと物理的な方法で対応した。

「アアアアッ!!」

軽く飛び上がり、右足で飛来した鉄柱を蹴って軌道を逸らしたのだ。

それは人間業を遥かに凌駕した行動だった。もしただの人間が彼女と同じように偶然にも高速で近づく鉄柱目掛けてハイキックを当てられたとしても、その速度に押し負けて軌道を逸らすなど不可能だし、そもそも足の骨が折れるかもしれない。

人間の身体を超えて、そしてそれとともに得た化物業が悠木羽の反応を可能にした。

だがリンはどうだろうか。

彼女は生まれたときから不死ではないが、人には出来ないことが出来た。もしかしたら小学生のときには今と同じように鉄柱を持ち上げるぐらいは出来たかもしれない。だが精神的な枷を自分に科すことによって孤独から遠ざかろうとしたことでそれが発揮されることはなかった。

でも今は違う。今は一人にならずに済む。例え悠木羽が彼女を認めなかったとしても、彼女には彼がいる。

彼から貰った薬は彼女に変化をもたらす事はなかった。彼女はすでに完成していたため、付け入る隙が無かった為である。

その代わりに彼女はその一錠で全てを理解した。この世界にはこんなにも現実から乖離した存在があふれているのだと。その存在を感覚的に理解した彼女は自らの枷を外すことに躊躇わなかった。

そうして、一人の怪物が生まれた。

「人工と自然―」

鉄柱を蹴り落とした悠木羽は空中で体勢を直し、地面に着くと同時にコートの中からナイフを取り出す。

「―それだけの違いしかないが、他は同じだな」

自嘲気味に呟き、悠木羽は今迄そうしてきたように自分を化物として容認する。

こんな身体になって繭と共に日本中を旅して、多くの人間と自分を比較して、その都度異常性を自覚した。

だれも自分を知れば関わろうとしないだろうし、蔑むか逃げるに決まっている。

だから関係を持って傷つく前に、自分から関わらないでおこう。それが彼女の答えだった。

だが、今彼女は満たされていた。今までの人生で最も、自分を幸せだと誤認させるための妥協でもなく、本当に幸せだと感じていた。

彼女は避けていたつもりだった。初めから、日上という男を雇うと繭から言われたときから決めていたはずだった。

だが彼はそんなに無視されて楽しいのかと彼女が疑問に思うほど仲良くなろうとした。

それは彼が人と接することを親友によって教えられたからだが、そんな彼の行動が彼女を不快にさせた。

それが原因で喧嘩もした。互いに気まずくなって事務所が不穏な空気に巻かれ、どうしたらいいだろうかわからなかった。謝ろうと考えてはやめて、考えてはやめた。収集がつかなくなってしまったところで彼から謝られて、気が抜けて笑ってしまった。

それも含めて悠木羽とリンは似ていた。互いに、自分を認めてくれた存在を守るために動く。

「なぁ、リン」

「なんですか、悠木羽さん」

二人の声色は窮めて平坦なものだった。

悠木羽は自分と日上の間に結構な距離があると見て、これなら聞こえまいと言いたいことを彼女に言う。

「さっきの言葉―」

「はい?」

「よくも手を出したなという言葉さ」

「―あぁ」

「あれ本気なんだ」

「―でしょうね」

「だから…………うん。たぶん許さない」

「日上さんは色んな人に愛されてますね」

「それは困る。あいつは私が貰う。他の奴に手を出させない」

「お熱いですね」

「しつこいんだよ私は―」

リンが少しずつ悠木羽に近づいていく。

「いつまでも付き纏ってやる。残り短い時間あいつで記憶を埋め尽くしてやる」

「?」

「こっちの話だよ」

悠木羽のその言葉を切欠に、二人の戦いは始まった。

初撃はリンのほうだった。何の変哲もない右ストレート。だがそれは一撃で鉄の板を突き破る威力と強固さを持つ一撃。

それを悠木羽はリーチの差で無傷で打ち返すことに成功した。足をリンの胸に突き刺してリンを突き飛ばす。

「グッ!!」

彼女は十メートルは吹き飛ばされて、だが足で地面を踏ん張り止る。

リンは急いで揺らぐ視線を戻そうとするが、悠木羽は彼女を突き飛ばすと同時に接敵し、彼女の首に向かってナイフを横薙ぎに振るう。

それを間一髪で避けきり、リンは再び周りに点在する建築素材をあらん限り放り投げた。

リンの投げた物は疎らだった。鉄パイプや先ほどと同じく鉄柱、リンが持っていたハンマー。

まるで針の壁のようになっているそれを―

「えッ!?」

悠木羽は全て避けていた。

飛んでくるもの一つ一つに視線を向けて、横を通り過ぎれば次の飛来物を避ける―彼女はただ単純に避けただけだったが、傍から見れば計算しつくされた避け方にしか見えない。

だから、いずれは当たるだろうと考えていたリンはその後の判断が遅れてしまう。

再び悠木羽の接近を許し、今度は横殴りにされる。

地面を転がって力なく立ち上がるリンを見て悠木羽は答える。

「実戦経験の違いかな―」

彼女と自分の決定的な差をその一言で言いくるめた。


その一部始終を見ていた日上もひどく冷静だった。

目の前の光景は少なくとも半年前の彼が見れば驚くものだったが、今まで悠木羽の一騎当千ぶりを見てきた彼には見慣れた光景だった。

(こうなるだろうとは思ったけど、あまりに可哀想だな)

呆れた顔をして悠木羽に近づいていく。

「どこのバトル漫画だよ」

戦闘が始まって数分で片は付いてしまった。

横殴りにされた後もリンは勇敢と立ち向かって行ったが、その事如くを払われて抑えられ弾き返された。

今はもうリンは地面に倒れて動かず、気絶していた。

「エネルギー切れみたいなものだよ。私も経験がある」

近づいてきた日上に彼女が気絶した理由を言った。

悠木羽は不死である。どれだけ出血してもしなず、心臓がなくなっても再生する。だが疲れは残るし、腹が減れば何かを食べたくなる。それと同じように、活動限界までダメージを受けると脳が身体の活動を止めてしまうのだ。

ただ死なないというだけで、悠木羽の身体も元はただの人間のものだ。それを長い年月で脅威の身体能力を得るまでに強くなったのは彼女の努力の賜物であるが―。

「でもお前はエネルギー切れないんだろ」

「切れないわけじゃない。ただ根性で動くだけだ」

「―根性論すか」

「根性論の何が悪い」

彼女は長い戦闘経験のおかげで、リンのようなエネルギー切れという欠陥をなくしていた。彼女の言うとおり、ただ根性で脳からの危険信号を防いでいるだけだが、それでも並大抵のことでは得られるものではない。

「勝ててもおかしくなかったわけか―」

「まぁ、こいつが私よりも強かったとしても持久戦に持ちこめば―」

「でも今回は実力で―」

「―勝った!!」

無表情でピースを日上に向ける悠木羽。

それを見て心底呆れたが、日上は安心した。

(もしこれからリンみたいな奴が来ても負けることはないわけだ)

とりあえずこれからのことを日上は考えてみた。

今までならエンドに関わっていた人物は決まって化物になり、殺すと溶けていなくなっていた。

だが彼女は死なないし、そんなつもりもなかった。

警察に引き渡すわけにもいかず、ブローカーの所在を聞いたらどうするかと悩んでいたが―

「…………悪いけど、そいつは返してもらう」

その考えは意味を持たず、これから日上は自分の人生を狂わす存在と会うことになった。

だが、そもそも彼の人生はその人物なくして始まらず。ここはある意味、これからの彼の人生の分水嶺だったのだろう。

「加賀沢―」

「よお、親友」

日上の親友、金の髪を輝かせたブローカーが入り口に立っていた。


第三章 END


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