うまく死ねなかっただけ
朝から何も食べていなかった。
水も、昨日の昼から口にしていない。
電車に揺られながら、胃が音を立てて鳴るのを聞いて、
ああ、体って勝手に生きようとするんだな、と思った。
終点まで行こう。
誰もいないホームに立って、そのままどこかへ消えよう。
あるいは、線路に降りてしまえば、今度こそ――
そう思ったけれど、
気がついたときには、私は車内で倒れていた。
顔の横に転がったスマホの画面が割れていて、
周囲の乗客が、遠巻きにこちらを見ていた。
駅員が走ってきて、「大丈夫ですか」と何度も聞いた。
目が合わないようにしながら、私はうなずいた。
体が勝手に応答していた。
死ぬ意思すら、伝えられなかった。
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保健室のベッドの上。
あるいは、見知らぬビルの一室。
冷たい点滴が腕に刺さり、誰かが名前を尋ねていた。
私は答えなかった。
「ご家族に連絡しますね」
その言葉で、私は初めて小さく首を振った。
それだけは、絶対にやめてほしかった。
母に知られるわけにはいかない。
“わたしは無事です”という仮面が剥がれるわけにはいかなかった。
⸻
3日後、退院許可が出た。
処方箋と、経過観察の用紙。
誰も、「あなたは死のうとしていましたか」とは聞かなかった。
ただ体が、
「うまく死ねなかった」だけだった。
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部屋に戻ると、蛍光灯がまぶしくて、
私は一度電源を切った。
窓の外には学生たちの笑い声があって、
私はそこでようやく、泣いた。
死ねなかった。
終わらなかった。
こんなにも、すべてを拒絶していたのに、
世界は私を、生かしてしまった。
それが赦しじゃないと、はっきりわかってしまった。
これはただの、失敗だったのだ。
死に損なったというだけの、ただの、不格好な失敗。
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それから数日は、ほとんど何も考えなかった。
でも夜だけは、目を閉じると、あのときのざわめきが蘇った。
倒れた私を囲む人々の視線。
スマホの画面に走ったひび。
救急隊員の「意識ありますか?」という、
全く私を見ていない声。
あの時私は、
「もう大丈夫です」と、はっきり言えたのだ。
それが、何より悔しかった。
⸻
私は、生き延びたのではない。
ただ、死にきれなかった。
それだけだった。