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加害の継承  作者: 高橋 淳
3/5

沈下

タッパーを捨てられた日から、一週間、誰とも話していない。

スマホは枕の下に埋めたまま、通知も電源も切った。

ベッドの上には、洗っていないパジャマが折り重なり、

部屋の空気は、ひどく静かで、でも妙に重たかった。


私は、自分が何を壊してしまったのか、正確には理解できていなかった。

けれど、すべてを壊したのは自分だという確信だけが、なぜか体の奥にこびりついていた。


私は、やっぱり「変わるふり」しかできていなかった。

過去を捨てたふり。

傷を克服したふり。

やさしい人間のふり。


それが、彼にとっては何より怖かったのだ。



ベッドに寝転んで、天井を見つめながら、

私はふいに思い出した。


中学生のとき、家に誰もいなかった夕方。

私はカップラーメンを作って、テレビの音を上げた。

母が帰ってくる前に、ひとりの時間を味わいたかった。


けれど母は予定より早く帰宅し、私の部屋のドアを開けるなり言った。


「ずっと食べてばっかりね、あんた。本当にだらしない」


その声は、怒鳴り声ではなかった。

吐き捨てるような、でもどこか嬉しそうな、相手の自由を奪う快感に満ちていた。


私はスプーンを持ったまま固まっていた。

テレビを消し、カップの蓋をかぶせ、音を立てずにキッチンへ向かった。

その時、母は何も言わなかった。

ただ、ソファに座ってスマホを眺めていた。


あの沈黙が、

私の中に、ひとつの“決まり”を刻んだ。


私が自由でいると、嫌われる。


だから私は恋人に対しても、

「わたしは自由じゃないよ。ずっとあなたのことを考えてるよ」

というメッセージを、無意識のうちに繰り返していたのかもしれない。


それが、彼の首を締めた。



眠ることが怖くなって、昼も夜も薄暗い部屋の中で過ごすようになった。

体はだんだん冷えて、汗もかかないのにシャツが湿るようになった。


空腹も、満腹も、喉の渇きも、ぜんぶ感じなくなっていく。

それでも、なぜか泣けなかった。

涙が出れば楽になると思った。

でも、出なかった。


かわりに、夢を見た。


母の夢。


私は夢の中で母に、誕生日プレゼントを差し出していた。

包装紙を開けた母は、何も言わなかった。

そのまま棚に置き、テレビをつけて、料理番組を見始めた。


私は何度も母の顔を覗き込んだ。

でも、母の顔は、どんどんぼやけて、

気づいたら、そこにあったのは自分自身の顔だった。


目を覚ましたとき、私は震えていた。

「私は母じゃない」と声に出して言った。

けれど、それを言えば言うほど、自分が母と同じ方法で誰かを痛めてきたことが

皮膚の裏側に浮かび上がってくるようだった。



私は、愛し方を知らなかった。

学ばなかったのではない。

学ぶ機会すら、与えられていなかった。


「やさしい人になりたい」と何度も願ったけど、

その願いの中心にはいつも、誰かに受け入れられたいという焦燥しかなかった。


そうして私は、

「あなたが必要だよ」という言葉の裏に、

「わたしを捨てないで」という叫びを潜ませるようになった。


それはもう、愛ではなかった。

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