模倣
「君って、ちょっと、人の境界を壊すところあるよね」
それが、彼の最後の言葉だった。
あるいは、最後に“本音”で言ってくれた言葉だったのかもしれない。
彼は、怒っていなかった。
優しい声だった。
でも、それが一層、私を深く切り裂いた。
私は、彼に優しくしていた。
いつも彼のために行動していた。
彼が疲れていると言えば、スープを作って届けたし、
不安そうな夜には、電話が切れるまでずっと話し続けた。
彼が落ち込んでいれば「どうしたの?」とすぐ聞いたし、
沈黙が続けば「わたし、何か悪いことした?」と自分を責めた。
それが彼を追い詰めていたのだと、
彼が「境界を壊す」と言ったときに、
私は、やっと、理解してしまった。
⸻
彼の言葉を聞いた瞬間、ある記憶が脳の奥から這い上がってきた。
小学三年生のときのことだった。
私は、算数のテストで95点を取った。
嬉しくて、リビングに走って行って、母に答案用紙を見せた。
母は一瞥したあと、赤ペンのついた「5点分のミス」を指でなぞりながら言った。
「これ、ちゃんと見直してたら100点だったよね。どうして気づかなかったの?」
私はなにも言えなかった。
正しいことを言われているのはわかっていた。
でも、なんだか、すごく、悲しかった。
それから私は、「喜ばれる答え」を探すようになった。
母が疲れているときは話しかけなかった。
母が不機嫌な日は、食器を静かに片づけた。
母が笑っているときだけ、「わたしね」と話を始めた。
母は、それを「気の利く子」と言ってくれた。
でも、私は“自分の感情をいつ切り替えれば相手が快適か”を
ずっと読んでいた。
⸻
私は恋人に対しても、
「何をすれば安心するか」ばかり考えていた。
彼がLINEを1時間既読にしないと、不安になった。
でも、怒っていると思われたくなくて、
「ごめん、なんでもない」と打って送った。
何も聞かれなくても、予定や感情を報告した。
それは「信頼」だと思っていた。
でも、彼にとってはそれが「逃げ場のない空気」だったのだ。
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ある日、彼が体調を崩した。
「寝てたら治るから」と言ったのに、私は勝手におかゆを作って持って行った。
部屋に入るなり「ほら、ちゃんと食べないと」と笑って、
彼の嫌いな具材も、勝手に変えていた。
その時の彼の顔を、今でも思い出す。
笑っていたけど、目が遠かった。
「ありがとう、でも今はちょっと、ひとりにしてほしいかも」
その一言が、私の中で引き金になった。
「なんで? わたし、心配してるのに」と、口をついて出そうになった。
けれど言えなかった。
代わりに「……うん、わかった」と答えて、
ドアの外で、しばらく立ち尽くしていた。
まるで、自分が“拒絶された母”になったようだった。
⸻
あれは、母が父に言われていた言葉だ。
「お前、気づいてないだけで、人に圧をかけてるよ」
そのとき、母は不機嫌に言い返した。
「そんなふうに思うなら、最初から自分でやれば?」
その横で、私は水をこぼした。
母の怒りはすぐに私に向いた。
でも私は、その時すでに学んでいた。
「わたしが悪いよね。ごめんなさい」と言えば、
大抵の怒りは静まるのだ、と。
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私は、彼にしていた。
母が私にしていたこと、
父にしていたこと、
世界に対して向けていた態度を。
無意識のうちに。
そして、「愛」だと思いながら。
それは、やさしさのふりをした“同化の暴力”だったのかもしれない。
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彼は、離れていった。
特に決定的な出来事があったわけでもなく、
連絡の頻度が減り、会うことが少なくなり、
そして、自然に、完全にいなくなった。
私はしばらく、自分を責め続けた。
でも責めているうちに、
私は“母そのもの”になっていた。
誰かに愛されたくて、
その人にとっての「理想」を演じ、
少しでも予想外の動きがあると、
「わたしのせい?」と自分を責め、
そして、「わたしはここまでやったのに」と、静かに怒る。
その繰り返し。
⸻
私は、気づいたのだ。
私は、母をなぞるようにしてしか、生き方を知らなかった。
だから、恋人にとって苦しかったのは当然だった。
私は彼を、正しさで追い詰める人間だったのだ。
そしてその正しさは、
どこまで行っても、私を幸福にはしなかった。