【第一章】存在しないまち
男の手元にはノートが広げて置いてあり、
綺麗な字で“つきかけまち” “九州”と書かれていた。
「あ、これ?僕の出身。
九州にあるつきかけまち。
来てみてよ、いい場所だよ」
そう言ってにっと白い歯を見せて微笑した。
レトロな喫茶店で知りもしない男。
名前も年齢も趣味すらも知らない。
一体ここはどこ?
日本人離れした顔立ちで黒髪。
真っ黒のシャツに真っ黒のパンツ。
年齢は20代後半くらいだろうか。
一体こいつは誰だ?
ノートに視線を寄せていると突然、
視界が真っ暗になった。
夢だった。
重たい瞼を開けると、いつもの自分の部屋の天井がぼやけて見える。
それにしても解像度が高い謎に満ちた夢だった。
ぱっと横にあるスマホを取る。
時刻は4:10。
なんだよ、もっと寝かせてよ。
そう思いながらも、さっきのワードが記憶から離れる前に、検索する。
“つきかけまち”
違う。
じゃあ“月欠町”?
出ない。
んー“月掛町”?
…………。
………………。
やっぱり出てこなかった。
九州にあるって言うんだから、福岡ではないな。
福岡の人は福岡出身って言いそうだし。
そう考えながら結局歯を磨く。
なぜ喫茶店だったんだろうか。
あの子は何者だ?
顔も洗って、ブラックコーヒーを入れて一口飲む。
今日はちょうど会社が休みなので、
図書館に行くことに決めた。
それにしても早い起床。
いつも休日はだらだらして午前中がほぼ消えてるというのに。
昨日購入した近所のパン屋さんのダマンドクロワッサンでも食べて、散歩しながら図書館に向かおう。
九州のガイドマップに消えた町、都市伝説など片っ端から関連がありそうな書物を借りることにした。
図書館の受付のお姉さんは、私が九州の廃墟に肝試しにでも行くんだろうかと思っているに違いない。
違いますからねーと思いながら、
図書館を後にした。
ただの夢に出てきた町のワードなんか探しても見つかるわけがないと思っていた。
信じてはいなかったが、妙に引っかかる夢だった。
ヒントになるような内容はどの本も書かれていなかった。
夕方になり、完全に諦めモードの私はじゃがりこを食べながら、パソコンで掲示板サイトをきつねのような目つきでたらたらと閲覧していた。
マウスでスクロールしていると一件の投稿が目に止まった。
「今日つきかけまちという存在しないまちの話をする人と会った夢を見ました」
数ヶ月前の投稿だった。
30代のこの女性と奇跡的にネット上で繋がることができた。
蓑田恵さんと言い、彼女もまた同じ男と夢の中で会ったという。
ただ、“九州”という単語は知らず、“つきかけまち”“温泉”と言う2つの単語だけだったと言う。
これで3つの重要な単語が集まった。
しかし九州には様々な温泉地がある。
有名どころで言うと大分の別府、湯布院、長崎の雲仙、佐賀の嬉野、熊本の黒川に鹿児島の指宿。
3つのキーワードでは見つかりそうにない。
どれも月の漢字は使われておらず、
調べれば調べるほど、そのまちが遠く離れてしまったように感じた。