表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/21

第八章


 ──どうして湊さんは上靴で外に出た? どうしてフェンスの外の道路にいた? 誰に呼び出されたんだ……なんだろう、何か見逃している。


 悩みながら家の扉を開くと、何者かが士乃武の脚にひしっとしがみついた。


「え? 都?」


 妹だった。妹が泣きながら士乃武の腿に手を回している。


「なんだよ? どうかした?」


「ダメ、ダメ、ダメ!」


 都は顔をくしゃくしゃにして、ダメ、を連呼している。


「うん?」と士乃武が玄関で途方に暮れると、家の奥から母がやって来る。


「あー、もう都。お兄ちゃんを困らせないで」


「だって……ダメ、ダメだよお兄ちゃん!」


 母は都を引きはがすと、表情を改める。


「どうだった? ……お葬式」


「うん……みんな来てた……」それしか答えられない。


 望は一軍女子だ。美冬も含め友達も多い。それらは、彼女の誰にでも気さくで優しい人柄と、明るさによるものだ。


 実際士乃武も、望が誰かを罵った姿の記憶がない、本当に心の清い女の子だった。


 絡まれるのにはまいったが、今となっては良い思い出だ。


「……みんな……悲しそうだった」


 僕も、と内心付け加える。


「そう」と母は静かに頷いた。


「で、何かあった?」


 士乃武が聞いたのは、母の腕の中で都が泣き出したからだ。


 数年ぶりのガチ泣きだ。


「それはね……」だが母の表情は明るい。


「ベアトリーチェちゃんから連絡があったの」


 ばっと士乃武の背景が変化する。


 ベアトリーチェ……その名は彼の世界を一変させる。


 現実から夢幻へと。


「さあ、用意しなさい。ベアトリーチェちゃんの家にあんたはお呼ばれしたのよ」


「お呼ばれ?」


「そう、夕食をごちそうして下さるそうよ」


 うれしそうな母に、士乃武は躊躇した。


 脳裏に美冬の顔が過ぎる。


「それ、行かないとダメかな?」


「ダメよ!」再び、母が何かに酔っているような目になっている。


「お兄ちゃん! やめて!」


 妹が騒ぐが、彼は決意する。


 母がこうなるには理由があるはずなのだ。もしかして父の仕事関係で断れないのかも知れない。


「わかった、いくよ」


「お兄ちゃん!」


「大丈夫だって都。すぐに帰ってくる」


 屈んで目線を遭わせて彼女に優しく伝えると、都は目を涙でぬらし、ざっと踵を返し自室へと駆けていった。


「あの子はお兄ちゃんが取られると思っているのよ」


 母は何でもないかのように肩をすくめるが、士乃武はその意見に懐疑的だった。


 都とはそんな甘い兄妹関係ではない。


 よく喧嘩もしたし、罵り合った。


 だから彼女のこの態度は、きっと他に理由があるのだ……今は分からないが。


 とにかく士乃武は、ベアトリーチェの家に行くために着替えた。 


 母が張り切ってフォーマルな衣装を引っ張り出し、彼はため息をつきながらそれを着る。


 チャイムは約束の7時の10分前に鳴った。


 うずうずしている母を制し士乃武が出ると、扉の前に立っていたのは黒髪のメイド服の女の子だった。


 赤いリボンで纏められた髪が可愛い、士乃武よりいくつか年上の少女だ。ただ、顔は青白く、どこか不健康な印象がある。


「初めまして、ダイアナです。以後よろしくお願いします」


 どう見ても白人なのに滑らかな日本語で彼女は話す。


「士乃武様をお迎えに上がりました」


 士乃武が本物のメイドとの初邂逅に立ちつくしていると、ダイアナは闊達に用件を告げた。


「あ、僕が士乃武ですけど」


「そうですか。私はメイドのダイアナと申します、では参りましょう士乃武様」


 士乃武は背後の都の祈るような視線に気づいていたが、それに軽く手を振り、ダイアナの背に続いた。


 外はもうすっかり夜だった。


 だが今の季節は六月であり、この時間の夜の闇はまだ薄いはずだった。


 しかし、彼がアパートのエントランスから出ると、広がっていたのは濃密の闇だった。


 気づく、今日は霧がかなり出ている。


 周囲の全て、止まっている車や建物、電柱……何もかもが霧のせいで朧になっていた。


「こっちです、士乃武様」


 ダイアナに声をかけられ進み、彼は唖然とした。



 馬車が停車していたのだ。



 白い息を吐く本物の黒馬二頭の背後に、箱型四輪馬車が取りつけてある。


 馬車の側面にはランタンがあり灯されており、辺りの暗黒を照らしていた。


「え? うそ……」


 士乃武が言えたのはここまでだ。


 馬車……日本の道路で走って良いのだろうか? 馬の食事は? 道で排泄とかしないのだろうか? 


 色々な疑問が浮かぶが、ダイアナはするりとキャリッジタイプの馬車の扉を開いた。


「さあ、士乃武様、どうぞお乗り下さい」 


「ええ、ええっと」困惑しながらも、士乃武は生まれて初めて馬車に乗った。


 どうやらダイアナは御者も兼ねててるらしい。


 彼女は御者台に乗ると、「ではまいります」と士乃武に声をかけ、馬車が走り出す。


 ぱかぱかぱかと馬の蹄が鳴り出し、士乃武は座席から呆然と外を眺めた。


 霧に包まれた街が流れ出す。妙に現実離れした経験だ。まるで幻想のようだ。


 ──これ、夢じゃないよな?


 士乃武は何もかもが実は彼を騙すドッキリなのでは、と疑いながら白い霧に蹲るような世界を見つめ続けた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ