第三章
「…………」
不似合いな沈黙が続く、居間のLEDライトの電灯が妙に空々しかった。
一瞥すると、二人の会話を期待しているのか、両親はにやにやしながら見つめている。
──なんだよこれっ!
突如、士乃武の心が燃えた。
まるで観察されているかのような視線に、怒りを覚えたのだ。そもそもいきなり『結婚』だなんて、非常識にも程がある。
「あのっ」と勢い良く、彼はベアトリーチェに話しかける。
「はい」
「……すみません……迷惑だったでしょ? いきなりこんな訳の分からない話に巻き込まれて……結婚……なんて聞いていないですよね?」
ベアトリーチェはふるふるとたっぷりとした髪を揺らした。
「いいえ。わたくしはずっと今日を待ちわびていました。士乃武様と結ばれると思うと、楽しみで夜も眠れないほどでした」
きっぱり言われて狼狽する。
彼は自分の価値がそんなに高いと思っていない。どこにでもいるダサい陰キャの中学二年だ、と自分で分かっているのだ。
だから理解できない。
どうしてベアトリーチェはこんなに幸福そうなのだろう。
無理矢理の決められた結婚だ。しかも彼女はこんなに見目麗しい。どこの国の人か分からないが、母国でもさぞモテただろう。
「あの……士乃武様は嫌なのですか? わたくしとの結婚」
切り返されて士乃武は言葉に詰まる。
赤い双眸で見つめられると胸がひどく高鳴った。だが、同時に彼の記憶層に一人の少女が蘇るのだ。
桑原美冬だ。
「……そうですか」
ベアトリーチェは何かを見抜いたように一つ頷いた。
「どうやらわたくしにはライバルがいるようですね」
一瞬、彼女の顔が更に活き活きとする。
「わたくしは今日このまま結婚生活を始めるつもりでした。今日士乃武様に身を任せ、妻になる覚悟でした」
「え?」
「ですが、これはゆっくりとお互いを知っていく必要があるようですね」
優雅な動作で、ベアトリーチェはすっと立ち上がる。
「士乃武様、わたくしの価値をその目で見定めて下さい」
「い、いや」展開に狼狽したのか、父があわあわと手を振る。
「ウチのバカ息子なんて無視して下さい。ベアトリーチェさん。あなたと結婚するのは決まっているんですから」
「そうよ。こんな良いお話はないわ」
母も同調したが、ベアトリーチェは二人を穏やかに見やる。
「いいえ、結婚とは両者が思い合って行う物です。士乃武様の心にはまだ誰かがいるようです。でも、わたくしは諦めたつもりはありません。むしろやる気になりました」
ベアトリーチェはじっと士乃武をの目を見つめた。
「士乃武様、わたくしは如何なる者にも負けるつもりはありません。かならずあなたの唯一になります。ですから『結婚』の話は置いておいて、ひとまず『婚約』に致しましょう」
婚約者……よく分からない展開だが、一足飛びに結婚よりは良いかと考え、士乃武は小さく頷く。
「では、わたくしはこれで帰ります。しかしこれはあくまでも一時の措置です」
丁寧に頭を下げ、ベアトリーチェはふと士乃武の顔に目を留める。
そっと彼女は彼に耳に唇を近づけた。
「士乃武様、わたくしはあなたの悲しみは見たくありません。ですから『本当にあなたが嘆くとき』、必ずわたくしがあなたをお救い致します。覚えておいて下さい」
そう告げ、ベアトリーチェは敷島家を辞することとなった。
両親は玄関の外まで送っていったが、どっと疲れた士乃武はただ椅子の背に寄りかかる。
ふと妹が気配を殺していたと気づいた。
都は居間と続いているキッチンの陰から、半身を壁に隠し怯えた目で窺っていた。
「うん、どした?」
士乃武が何となしに聞くと、都はがたがたと震えている。
「お、お兄ちゃん……本当に? 本当に『アレ』と結婚するの? ……ダメだよ! お兄ちゃんダメ! 行かないで」
九歳の女の子には外国の人は恐く見えたのか、と思いながら士乃武は優しさを声に込める。
「聞いたろ。まだ分からないよ。きっと僕なんか彼女も選ばないだろうし」
「ダメだよ……お兄ちゃん……アレはダメだよ」
ぶつぶつと都は続け、その後彼女は珍しく、就寝の際にも母に横にいて欲しいとねだった。
「まあ、珍しい」
と数年ぶりの娘の催促に母は目を丸くしたが、笑って頷き、都は母に眠るまで添い寝してもらった。
妹が何に怯えているか……など士乃武には察する精神的余裕もなく、彼は昇った血を抑えながらベッドに入った。
ベアトリーチェの夢を見た。






