第十九章
「くっ」とベアトリーチェは息をついた。
目の前のグールの姿が一変していた。
マーヤの皮膚がばりっと突然割れ、肉がむき出しになったと思ったら、ぼんっと風船のように膨らみ、凄まじいスピードで巨大化したのだ。
今は短く細い手足が突いた、ボールのように丸い巨大な肉塊だ。
ただ体に大きな口がついており、どこからか大量に集まりだしたグールたちが躊躇無く、その中に飛びこんでいく。
「グフフフ。あたしの力は喰った人の数で変わる。だがこうしてあたしがグールにした者の力も取り込めるんだ」
わらわらとグールたちが絶え間なく走り寄ってくる。
全員マーヤの黄色く尖った刃がを備えた口内に身を投げ、ぐちゃぐちゃとマーヤが咀嚼した。
ベアトリーチェはすばやくドレスに隠していた、銀色のアメリカン・デリンジャーを抜いて撃ったが、マーヤのぶよぶよとし出した肌により弾丸は弾き返される。
「グハハハ、無駄だ。あたしは一二〇〇年生きたグーラーの中のグーラー。お前など敵にならない!」
ついに百体以上喰らったマーヤが、血管の蠢く目で、ベアトリーチェを捉えた。
「さあいくぞ!」
校庭の真ん中で、もはや背後の校舎より大きくなったマーヤの、枯れ木のような手に稲光が走った。
「いけないっ!」ベアトリーチェは予感に回避しようとしたが、その前に彼女に雷が落ちる。
「ぐっ、ううう」ベアトリーチェはその場に打ち倒され、全身を麻痺させる痺れに呻いた。
「グハハハハ! これがグールの真の力だ!」
──侮っていました。こいつ……しかし……。
地面に伏したベアトリーチェが次の算段を考えていると、何者かが遅れて校庭にやって来る。
──またグールか?
だが疑うベアトリーチェに、彼が声をかけた。
「ベアトリーチェ……」
「え?」と顔を上げた。それは聞き間違えるはずのない愛する者の声なのだ。
士乃武だった。
彼女の最愛の夫……まだ契りは交わしていないが、何よりも大切だ、と思える存在。
「バカめ! 死ね!」
マーヤが士乃武に雷鳴を振らせようとする。
ベアトリーチェは跳ね起きて、それを腕でかき消し、彼の前に立った。
「どうしてここに来たんですか? ここは今とてもあぶな……」
くらり、彼女は目眩に襲われる。
血だ。士乃武は額に傷を負っていて、滑らかな頬に真っ赤な血が流れている。
「ああ」思わず熱い吐息をついてしまう。
甘く甘美な血の臭いが、ベアトリーチェの身体を芯から身震いさせた。
「……士乃武様」
もう、彼女は耐えられない。
「少しで構いません、ほんの一滴、私に血を下さい……あなたの血を」
きょとん、とした風の表情になった士乃武が、
「え? いいよ」と答えるから、彼女はそっと大切に士乃武の額を撫でた。
温かな血液が指をべったりと染める。
ベアトリーチェはそれを口に持っていき、舌で舐め取った。
びりり、とした感覚が身体中に巡り、同時に肉体の底に眠るマグマのような力が蘇る。
「グフフフ、共に殺してやろう!」
マーヤが笑っている。
もうベアトリーチェの心は穏やかだった。
「そこにいらして下さい。今度こそ、守って下さいね」
彼女は士乃武に釘を刺すと、踵を返した。
巨大な肉塊がある。百体のグールを一気に喰ったグーラーの王族だ。
ただの、グール、だ。
1200年? それがどうした、である。
ねじくれた小さな腕から電撃が放出される。
それはベアトリーチェに直撃した。
が、彼女は顔色を変えない。
「な!」マーヤの巨大な笑顔が歪む。
「もう、遅いのですよ」
ベアトリーチェは何事もないかのように、掌サイズのアメリカン・デリンジャーに弾を込める。
一発、二発……急がなかった。身体の全てが彼女に教えているのだ。
……目前のグールなど、もはや意味など無い。
「あんた!」ここでグールが真顔になる。
「待て! あんたは何者だ? 考えれば何なんだ? この力は? この生命力は? この魔力は?」
「滅びる者には知る必要のないことと、申しました」
ばっとベアトリーチェがジャンプする。
簡単に巨大なマーヤの顔まで跳ぶと、空中でアメリカン・デリンジャーを敵の額に向ける。
銃声。