美姫、出陣
それから3日後、遠征当日。
天候が良好のため、アンデッド退治は日が落ちてから開始することとなった。
『悲嘆の墓地』までは、騎竜を飛ばせて2時間の距離にある。
わらわはエルシュや騎士団の者達と共に、皆から見送りを受けていた。
「い…いってらっしゃいませ、姉上」
まだ申し訳無さそうな顔をしているニコラス。
「いつまでもそのような顔で居るでない。わらわも久しく、姉らしいことが出来ておらぬでな」
「…!」
わらわは小さな弟と目線を合わせた。
「こちらは任せて、良い子で待っておれ。良いな?」
「は、はい!」
パッと表情を明るくしたニコラスを背に、わらわは隊列の中央へ向かった。
待っていたエルシュが自身の騎竜を屈ませ、わらわを鞍の前側に座らせる。
「ヴィーゼル」
「はっ。…総員、飛翔用意!」
30対の大翼が、一斉に天へ向けて広げられる。
「始め!」
ヴィーゼルの号令で、最前列に立つ彼の騎竜が笛の音に似た咆哮を上げた。
持ち上げられていた翼が勢いよく両側に振り下ろされ、強靭な両脚が硬い土を蹴る。
他の騎竜達もそれに続き、青い空へと次々に飛び立っていった。
無論、わらわ達もそれに倣う。
初めは吹き付ける風のせいで、目を開けることも出来ない。
しかしすぐに顔前に現れる透明な魔法の幕が、風や寒さから乗り手を守るのである。
「オリガ様、怖くはありませんか?」
エルシュがわらわを背後から声を掛けてきた。
「まさか。空を飛ぶ魔物に連れ回されたことも、一度や二度ではないのでな」
「それもそうですねぇ。その度に護衛やメイドの皆さん、顔面蒼白で大パニックでしたっけ…私は慣れましたけど」
果たして、それは慣れて良いものなのであろうか。
わらわが言えた義理ではないが…。
「…そうじゃ。そんなことよりエルシュ、詳しく聞いておきたいことがある」
「『悲嘆の墓地』についてですか?それとも、アンデッドについて?」
「両方じゃ。生憎わらわは『悲嘆の墓地』に出向くのも、アンデッドの退治も初めてでな」
「機会があんまり無いですからねぇ。でもご安心を!このエルシュが、ばっちり解説しちゃいます!」
以下、エルシュの説明である。
『悲嘆の墓地』は地上の荒地と、3層の地下空間で構成されている。
昼間は安全な地上と違い、陽の届かない地下は四六時中アンデッドで溢れ帰る空間。
しかし洞窟最深部には珍しい魔法素材が眠っており、それを求めて攻略に挑む冒険者が後を経たない。
「攻略自体は、そこまで難易度が高いわけじゃないんですよ?弱点の聖属性を、範囲攻撃で連発出来さえすれば」
「簡単に言うでない。聖属性は最も魔力消費の激しい属性であろうに」
「あっ、そういえばそうでしたねぇ」
通常の《魔法士》よりも、高い位と能力を待ち合わせる《魔道士》。
若くしてその称号を得た天才・エルシュは、時折さらりと無茶を言う。
「んっと、『悲嘆の墓地』自体の説明はこんなものです。次に出現する魔物について解説しますねぇ」
「アンデッドが大半と聞いておるが」
「大半…というか、ほとんどアンデッドですよ?鬼火に骸骨兵に屍人…あとは各種ゴースト系がワサワサと」
「…ニコラスが嫌がるわけじゃな」
小さな鬼火を1匹見ただけで卒倒するあやつが、まともに通過できるとは思えない。
「あの場所の危険な点は、大量のアンデッドが同時に襲ってくるところです。特にゴースト系って、状態異常の攻撃を使ってくるじゃないですか」
「なるほど。群れに囲まれた状況で"麻痺"や"眠気"を引き起こす一撃を受け、なす術なく命を落とす可能性があると」
「その通りです。まあ今回は囲まれる前に、私や騎士団の魔法士さん達がまとめてやっつけますけどね」
今回の攻撃の要は、エルシュや魔法士達。
それ以外の騎士達は、前線を守る盾役となるのである。
「ただし、です。出現するのが普通のアンデッドだけとは限らないんですよねぇ」
「変異個体や、上位進化個体のことか?」
「はい。アンデッドって他の魔物に比べて、変異したり進化したりしやすいんです。特に死霊は」
死霊は本来、アンデッドの中でも小物の部類に入る魔物である。
簡単な攻撃魔法を行い、触れた対象に軽度の状態異常を引き起こす程度。
他に目立つ点は無く、物理攻撃もしてこないため脅威度は低いとされていた。
「夜幽鬼になったり影幽霊になったり…珍しいタイプでは
"悪霊"ですね。並の魔法士じゃ太刀打ちできません。まぁでも、最近は目撃されてな…」
そこで急に、エルシュが口をつぐんだ。
これは唐突に何かを思い出した時の仕草である。
「そういえば…変な噂がありました」
「なんじゃ、それは」
「最近『悲嘆の墓地』に、灰色で右腕だけのアンデッドが出るんだそうです。冒険者達が稀に遭遇してるみたいですよ」
「隻腕のアンデッドは、そう珍しくないのではないか?」
「いえ、右腕しかないアンデッドらしいです。それ以外は頭も胴体も見えなかったんですって」
暗闇の中に浮かぶ、気味の悪い灰色の腕。
わらわはそれが掴みかかってくる、嫌な想像をしてしまった。
「…其奴は手強いのか?」
「それがですねぇ」
背後でエルシュが首を傾げたのがわかった。
「遭遇した冒険者の人達が言うに、その灰色のアンデッドは襲ってこなかった…むしろ、助けられたそうですよ?」
その言葉に、わらわは耳を疑った。
「助けられた、じゃと?アンデッドに?」
「信じられませんよねぇ。でも確からしいんです。地下に引きずり込まれかけた時、腕を掴んで引っ張り上げてもらったとか色々」
一体そのアンデッドは、何が目的でそのようなことをするのか。
何か狙いがあるのであろうか。
それともまさか、善意の人助けだとでも…。
「エルシュよ。その灰色のアンデッド、其方は何者だと思う?」
「知能が高い個体なのは、間違いないと思います。恐らくは死霊系…進化した上位死霊?うーん、実物を見ないとわかりませんねぇ」
「…まぁ、良い。今は其奴以外の、危険なアンデッド共に集中せねばな」
警戒はするべきであろうが、敵対しないというならば一先ず後回しで良いはず。
わらわは胸の内でそう結論付け、進行方向へと目を向けた。