美姫、奮起
書物庫を出たわらわはエルシュと共に、真っ直ぐに父上の執務室へ向かった。
ニコラスも少し縮こまりながら、おずおずと後を付いてくる。
「は…これはオリガ様!如何なさいましたか?」
執務室前で警備の近衛兵が声をかけてきた。
「父上はおるか?」
「はい、いらっしゃいますが…ただいまお取り込み中でして。騎士団長殿もいらしております」
「なんじゃ、ヴィーゼルもおるのか。丁度良い」
「え?っあ、オリガ様…!」
近衛兵の声を聞き流し、わらわは執務室の扉をノックした。
「父上、失礼致します」
開いた扉の先には執務机に着く父上と、そこに向き合う騎士団長ヴィーゼルの姿があった。
二つの視線が、同時にわらわを捉える。
「オ、オリガ様…⁉︎」
ヴィーゼルは戦場で畏れ知らずと名高い、巨漢の壮年の男である。
此奴は毎回わらわに会う度に、石化の呪いでも受けたかのようにビシリと固まる。
何をそんなに緊張しているのかと思っておったが、まさか此奴もわらわを…。
「何事だ、オリガ。火急の用でなければ後にせよ」
眉根に皺を寄せ、父上が言う。
その様子から見るに、かなり重要な話し合いの最中であったらしい。
「突然申し訳ございません。お時間は取らせませぬので、今お話ししてもよろしいでしょうか」
「…」
父上は小さな溜息を吐き、わらわに向き直った。
「よかろう。申してみよ」
「ありがとうございます。…3日後の『悲嘆の墓地』への騎士団遠征についてなのですが」
『悲嘆の墓地』とは、王都の外れに広がる荒野の通称である。
100年程前に起こった戦の跡地らしく、当時の怨念が渦巻く死の土地となっている。
その為アンデッド類が異常に発生しやすく、夜間の通行が禁止されている危険地帯であった。
「ふむ。それがどうしたというのだ?」
「此度の遠征、わらわも同行することをお許しくださいませんでしょうか」
予想外の発言だったようで、父上は僅かに目を見開いた。
ヴィーゼルに至っては、固まったまま小さく飛び上がっている。
「な…なりません、オリガ様‼︎あのような不潔で悍ましく、気の滅入るような場所に貴女様をお連れするわけには‼︎」
「待て、ヴィーゼル。…オリガよ、理由は何だ?」
わらわはチラリと背後を見た。
エルシュの陰に隠れるようにして、ニコラスがこちらの様子を伺っている。
「ニコラスから相談を受けたのです」
ニコラスは5日後、王都内外のあちこちへ遊学に赴く予定である。
その際、初めに通るのが『悲嘆の墓地』を横断する道なのであった。
アンデッドは陽の光に弱く、昼間は地上に姿を現さない。
悪天候で陽が差していない日以外は、王都に隣接する侯爵領への安全かつ最短の街道となっていた。
しかし、5日後が晴天とは限らない。
運悪く曇天や雨で陽が遮られれば、ニコラス達はアンデッド共がひしめく中を進まねばならなくなる。
おまけにニコラスは重度のアンデッド恐怖症。
そもそも出立を拒否し出す可能性もあった。
此度の遠征は、それを防ぐためのもの。
天候までは変えられずとも、先になるべく多くのアンデッドを駆除しておく。
そうすれば、しばらくの間は地上に湧いて出るアンデッドも減るのである。
父上はビクビクしているニコラスに声をかけた。
「ニコラスよ。余は遠征にはヴィーゼルを含む、騎士団の精鋭達を向かわせる手筈だと言ったな」
「は、はい父上」
「だというのに、其方は何が不安なのだ?何故オリガにまで、彼の地に向かってほしいのだ」
ニコラスはお叱りを受けた時のように、首をすくめて言い淀んだ。
そこに、わらわが口を挟む。
「いいえ、父上。ニコラスがわらわに頼んだわけではありません。わらわが自ら征くと決めたのです」
これもまた、予期せぬ言葉だったようである。
「オリガ様、それは一体…?我々騎士団には任せておけぬと、そういった意味でしょうか…?」
精悍な顔に情けない表情を浮かべ、ヴィーゼルが問うた。
「そうではない。有事の際、其方ら以上に頼りになる者達はおらぬ」
「では、何故…」
「決まっておろう」
察しの悪いヴィーゼルに、わらわはピシャリと言った。
「弟が、どうしても恐ろしいと怯えておったのじゃ。姉であるわらわが、この手でその不安を晴らしてやりたいと思うた。それだけじゃ」
背後でエルシュがにんまりしているのが、気配で伝わってくる。
眼前ではヴィーゼルが落雷に撃たれたかのような顔をし、父上は再び溜息を吐いていた。
「…まあ、よかろう」
「陛下⁉︎」
「ただし、エルシュを連れて行くように。単独での行動は許さぬ。よいな?」
「ありがとうございます、父上」
「其方もよいな?エルシュ」
「はい、陛下。この命に変えましても、必ずやオリガ様をお守り致します」
ふとニコラスを振り返ると、半泣きになった弟は何度も何度もわらわに頭を下げていた。
***
「…どうした、ヴィーゼル。まだ何か不満か?」
「い、いえ。不満はないのですが、やはりその…」
「其方の思いもわかるが、ああなってはオリガは止まらん。諦めよ」
「…はい、わかっております」
「それに、案ずる必要はない。この国に『魔法銃』の腕で、オリガに勝てる者などおらんのだから…」