壱に帰す 〜たった二人の呪文作り〜
何事も上手くいかないハルマの前に現れたのは、死神の女の子チサト。チサトは仕事でハルマを冥界に送ろうとするが、呪文を間違えハルマ以外の全人類を冥界に送ってしまった。
二人以外誰も居なくなってしまった世界の中で、二人は信頼を深めながら世界を元に戻すための呪文を作ろうとする。
果たして二人は世界を元に戻せるのだろうか?
これは少しだけ切ない現代ファンタジー。
第18回書き出し祭り参加作品
連載開始時期未定
ふと空を見上げていると鳥が頭上を通ってフンを落とされた。渋々僕は家に帰って顔を拭いたら、あろうことかアルバイトの時間に遅刻をしてしまった。それが今から三十分前までの出来事である。
「君、これで何度目の遅刻だよ。もう十日連続だよ」
十分前のこと、バイト先の店長が爪を切りながら僕のことを冷めた目で見つめる。
「すみません! 昨日はバスが遅延していて、一昨日も通りがかりに水を被ってしまって、それで……」
「もう、いいよ。君、明日から来なくていいから」
またか。その瞬間、僕の中でドス黒い感情が湧き上がった。
というわけでバイト先を追い出されて今、僕は帰り道をトボトボと歩いている。こんな時に限って夕日がとても美しい。しかも、二分前から誰かに背後をつけられている気がする。最近世間を騒がせている通り魔だろうか。はあ、今日が僕の命日なのだろうか。だったらこんな美しい空の下で死ねるのは少し嬉しいかもしれない。
僕は背後を振り返った。もちろんナイフで刺される覚悟を持って。そうしたら、背後にいたのは可愛い顔をした黒服の女の子。外見からして十代後半くらい。黒髪のボブカットに赤い目、よく見るとパンツスタイルのスーツ姿である。僕の感性からしたら全くもって似合っていない姿だ。
「もしかして、私のことが見えてますか?」
「はい……」
声が高い。まるでどこかの若手声優のような感じがするその声には自信が感じられなかった。
「しぇしぇしぇ!?」
彼女のリアクションはとてもわかりやすかった。飛び跳ねて、そばにあった電柱に隠れてしまう。
「どうして見えてるの? 来ないで! 悪霊退散!」
「あのー」
「なんですか!?」
「そちらこそ、どなたなのですか?」
すると彼女は我に返ったような顔をした。途端に電柱の後ろから姿を現して僕に向かって一礼する。
「申し遅れました。私、死神です」
「死神?」
僕は疲れているのだろうか。また訳の分からない人に出会した。先週は自分が神様だと言い張る半裸のおじさん、一ヶ月前は自分はクレオパトラの末裔よと言って、無理矢理僕をどこかへ連れて行こうとしたおねえさんに会った。どちらも直ぐに警察に捕まったが……。
ということで、この子もすぐに警察に捕まるのだろう。丁度、目の前にお巡りさんが現れた。だから僕はこの子をお巡りさんに突き出してやる。そう思って手を振った。
「どうしました?」
「目の前の女性が僕の後をつけてたみたいです。捕まえてください」
僕は彼女に向かって指を指した。彼女は驚いた顔をして「待ってください!」と言っているが僕には関係のないことである。
「あなたねえ、ここに女の子なんていないじゃないですか?」
「えっ、だってそこに……」
「いや、居ないよ。疲れてるんじゃないの?」
するとお巡りさんはすぐにまた歩き始めた。
「待ってください……」
僕は慌ててお巡りさんの手を掴む。
「居ないったら居ないよ! それ以上言ったら連行するよ!」
そう言われて僕は、お巡りさんの手を離した。お巡りさんは再び巡回に戻っていく。どういうことだろう……。
「ふう、助かった……」
「助かったって言われても……」
僕は今度は一体何に巻き込まれたのだろうか。そう思っていると、彼女はジャケットのポケットから一枚の紙を取り出してこちら側に向けた。
「これ、あなたへの令状です。あなたは冥界の法により、本日付けで死亡することが決定しています」
「はぁ!?」
僕はその紙を凝視した。だが、そこには人間には理解できなさそうな言語が記されていて、内容は読み取れない。
「では、早速あなたを殺しますね!」
「ちょっと待ったー!」
「どうしました?」
「殺すってどういうこと? どうやって僕を殺すの?」
「それは簡単です。私は呪文一つ唱えれば、あなたの意識を五秒で奪うことができるのです! えっへん!」
「えっへんって……」
「じゃあ、行きますよ!」
「おいおいお……」
「○×△□◇」
それは、僕には全く聞き取れない言葉。こんな訳のわからない言葉を発音できる自称死神の女の子を目の当たりにしたら、僕は本当に死ぬのかもしれないと思った。だが、僕は何秒、何十秒経っても死ななかった。生きている。
「あれ、おかしいですね。ちゃんと呪文は唱えたはずなのに……」
「ねえ、その呪文っていうのは本当に効力があるのか?」
「はい! ありますとも!」
「そうなのか……」
そこでふと気がついた。彼女が呪文を唱えた直後からうまくは表せないが人の気配を感じない。
「なあ、人の気配が無くなったような気がするのは僕だけか?」
「え、待ってください。それ本当ですか?」
「うん、本当」
彼女の動きが一瞬硬直する。それから瞬く間に彼女の顔が青ざめ始めた。
「まずいです。非常にまずいことになりました」
「どういうこと?」
「実は……」
「それは私から説明しよう!」
彼女が説明をしようとした時、どこからか男性の声がした。辺りを見回しても誰もいない。訳が分からなくなっていると彼女が上の方を示す。その方向にはいかにも死神のような出立ちの男性が空に浮いていた。彼女は男性の姿を見てから焦燥とした顔を浮かべている。
「ああ、マスター!」
「マスターって?」
「私の上司です……」
なるほど、死神の上司まで現れたか。もはや何でもありになってきた気がする。
「チサト! 君は何をやっているんだ! 君が呪文を間違えたせいでそこの青年以外の全人類が死んでしまったぞ!」
「申し訳ございません!」
「それで済むと思うのか! おかげでこっちの仕事はてんてこ舞いだ! どう責任を取るんだ!」
え、どういうことだ。「僕以外の全人類が死んだ」だと。話についていけない。
「あの、どういうことですか? 僕以外の全人類が死んだって……」
「ああ、そこの彼女、チサトは君だけを消して冥界に送ろうと呪文を唱えた。だが、呪文の言葉を間違えてしまったがために逆に君以外の全人類を冥界に送ってしまったんだ」
「そ、そんな……」
「現に、今、この周辺に人はいない。今この世界にいるのは君と我々だけだ」
「ええ……」
なんてこった。明日から僕はどうしたら良いというのだ。でも、これによって今まで嫌だった人たちも居なくなったのは好都合かもしれない。だが、それでも、それでもだ。
「どうしたら元の状態に戻りますか?」
死神のマスターなら何か元に戻す方法を知っているかもしれない。そう思って聞いてみる。
「それがわかっていたら苦労しないよ。実は私たちにもこうなった場合の対処方がわからないんだ。だからチサトを説教するためにここにきた」
「嘘でしょ……」
わからないというのは予想外だった。まあ、確かにすぐに元に戻せないから、この世界に人が誰もいないのか。だったら、こうするしかない。
「あの、僕に呪文の使い方を教えてください」
「なぜだ青年?」
「どうしてですか?」
「世界を元に戻す呪文を作ってみます」
「青年、本気か?」
「本気です。だって、何もしないままだといつかの僕がきっと後悔するから」
「うーむ、そうか……」
死神はため息をつくと何冊かの本をどこからともなく取り出し、それをチサトに渡した。
「チサト、彼の手伝いをしてやれ。それが君にできる責任の取り方だ」
「良いんですか? 本当に彼に呪文の仕組みや内容を教えても」
「ああ、まずは彼にやらせてみようじゃないか」
「わかりました」
「じゃあ、私は帰る。あとは二人に任せた」
「承知しました……」
「健闘を祈る」
そう言って死神のマスターはどこかへと姿を消した。この世界に残されたのは僕と目の前にいる死神の女の子。ああ、大変なことになったが、やるしかない。
「自己紹介がまだでした。私はチサトです。よろしくお願いします」
「僕はハルマ。こちらこそ、よろしく」
「よろしくです!」
「うん」
元気よくよろしくと言ったチサトの表情には少し雲りがあった。彼女には何かがあるのかもしれない。一方で僕の方もあまり良い顔はしていなかったように思う。
こうして、僕たちの世界を元に戻す呪文を完成させるための日々が始まった。