【番外編】降り止まない雨の世界δ
「それから私は今日まで、母の理想を演じて生きてきた。母の考える"興味"をあたかも理解したように振舞ってきた」
話がひと段落着く頃には、ざえの声色も少しだけ元通りになってきていた。
「勿論友達は出来ないし、それが正解だと思ってた」
「でも」
その告白が自傷行為のように感じられた私は、とりあえず遮ってから話す内容を考える。
「ざえは、興味があってVTuberになったんでしょ? VTuberが"将来役に立つもの"とは到底思えないけど」
「……VTuberを始めたのは、当時雇った召使いが勧めてきたから。その人は、私にとって唯一仲良くなれた人だったから。今はもう……会えないけど」
彼女は続ける。
「私、分かってる。お母様の考え方は、間違ってる。でも、そう教えられた私はそれしか知らない……親が教えたことしか子供は受け継げない! たとえそれが間違っていても、真似するしかない!」
初めて聞いたざえの大声に、私は口を開くことが出来ず、少しの間沈黙になる。
人間の根源は欲求だ。
友達と遊ぶにしても、お金を稼ぐにしても、人間の行動原理は全て欲求に結びつく。
○○がしたいからお金を稼ぐ。○○があるからどこどこへ行く。人として活動するにあたって、その根源となるのはいつだって欲求である。
そして、その欲求を生み出すのが"興味"なのだ。
好奇心、関心……それを表す言葉は多数存在するが、それはその概念がどれだけ重要なのかを示していると言って良い。
「……私は、"興味"というものが分からない」
苦虫を噛み潰したような顔で、ざえはそう言い放った。
心理学において、"興味"という感情が発達するのは幼少期と言われている。
その幼少期に歪な矯正を施された彼女は、おそらく興味の発達が著しく遅れてしまっているのだ。
興味が湧かないのでは無い。分からないのだ。
日常を送っていてふと湧き上がる感情。それはあれど、その感情のうちのどれが興味か分からない。判別できない。
ざえは鼻をすすりながら、震える唇で苦しそうに言葉を絞り出す。
「……私は、自分の感情で行動したことなんてほとんど無い。音楽も、芸術も、スポーツも、勉強も、VTuberを始めたのも、この学校に転校してきたのも……全部、私の行動じゃない。誰かの命令に従っていただけ」
「……私にコラボしようって、声をかけてくれたのは──」
「それも! 配信であられさんを貶めたのだって……全部、人気になるため! 人気になるにはコラボして、コラボ相手からファンを奪うのが効果的って、文献に書いてあった……そして、人気になりたいって行動も──」
「召使いが、"ざえなら人気VTuberになれる"って……そう言ってくれたから?」
ざえは涙を拭いながら、黙ってコクリと頷いた。
貶めた、という表現を使ったざえに、私はどこか安心する。
ざえの本性は、きうい姉の憶測とは異なっていた。
彼女は感情に身を任せて行動する自己中心的な人間ではない。
感情の一つである興味という大事な要素が未発達であるからこそ、それを気取られないように、取り繕うように必死に誰かの真似をして、補おうとして、その結果、大きく膨らませた風船のように中身のない仮初の感情で自身の精神を覆ってしまったのだ。
普通なら、そんなに容易く隠せるものでは無いだろうし、きうい姉のような鋭い人には見破られてしまうだろう。
しかし、彼女は賢いから、その欠陥住宅を一流の建築物のように見せることが出来ていたのだ。
それが人の助けを遠ざけるということを知らずに。必死に。子供なりに母親の希望に応えようと。
しかし無論、そんな手抜き工事では遅かれ早かれ倒壊は免れない。
誰かが、教えてあげないと。
私は意を決して口を開く。
「ざえ、踊ろっか!」
「……?」
不安げな彼女の表情に構う事なく、私は立ち上がった。




