失恋と悲恋《ニクス side》
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振られたな、かなりバッサリと。
こちらの様子を気遣っているものの、瞳に迷いのなかったアカリを思い出し、僕は一つ息を吐く。
ひんやりとした秋風を受けながらバルコニーの手すりに掴まり、少し身を乗り出した。
この胸に燻る未練が夜の闇に溶けるように、と願いながら。
「────おや?先客かい?」
そう言って、僕の横に並んだのはレーヴェン殿下だった。
その隣には、マユリも居る。
どうやら、休憩がてら僕の様子を見に来たらしい。
「白々しいですよ、殿下」
「やっぱり、ニクスにはバレちゃうか」
「バルコニーの前で出てくるタイミングを見計らっていたのは、気づいていましたからね」
「おっと。それなら、そうと早く言ってよ。一生懸命セリフを考えていた私が、馬鹿みたいじゃないか」
やれやれと肩を竦め、レーヴェン殿下は『酷いな』と零す。
いつもより口数の多い彼を前に、僕は前髪を掻き上げた。
「慰めなら、結構ですよ」
「おや?強がりかい?」
「いいえ────同じく失恋した殿下への配慮です」
「手厳しいな、君は本当に」
思わずといった様子で頬を引き攣らせるレーヴェン殿下に、マユリは僅かに目を剥く。
「あっ、やっぱりレーヴェンも朱里のこと好きだったんだ」
独り言のつもりなのか敬称を忘れているマユリは、まじまじとレーヴェン殿下の顔を見つめた。
「殿下は告白しなくていいんですか?というか、アプローチ自体あまりしてませんでしたよね?」
不思議そうに首を傾げつつ、マユリはレーヴェン殿下を質問攻めにする。
『何で?』『どうして?』と繰り返す彼女を前に、殿下は苦笑を漏らした。
適当にはぐらかすつもりなのか、マユリを宥めるように肩を叩く────が、僕の存在を思い出すと少しばかり黙り込んだ。
「……まあ、君達になら話してもいいか」
半ば自分に言い聞かせるようにして呟き、レーヴェン殿下は顔を上げた。
かと思えば、手すりに背を預けてこちらに向かい合う。
「私はね、彼女のことを────縛りたくないんだ。自由なままで居てほしい」
アメジストの瞳に僅かな期待と羨望を滲ませ、レーヴェン殿下は口角を上げた。
でも、その表情はとても笑っているように見えない。
「皇太子という立場上、私は何よりも帝国のことを優先しなければならない。どんなに愛していても、彼女のことを一番に考えられないんだ。だから、場合によっては彼女の気持ちを、願いを、尊厳を切り捨てる必要がある。君達のように迷わず、彼女を守ってやれない」
未来の君主という運命を憂い、レーヴェン殿下はそっと目を伏せた。
「それに何より、彼女は皇太子妃に……国母に向いていない。あまりにもお人好しすぎるから。だけど、必要に迫られればきっと頑張ってこなしてくれるだろう。自分の心身をすり減らしながら……」
強く手を握り締め、レーヴェン殿下は僅かに顔を歪める。
と同時に、真っ直ぐ前を見据えた。
「果たして、それは幸せと呼べるだろうか?」
まるで自分自身に問い掛けるようにそう言い、レーヴェン殿下は身を起こす。
「私は彼女に幸せになってほしい。だから、この想いは仕舞っておく。公になれば、父上や母上は何としてでも彼女を皇太子妃にしようとするだろうから」
『それは私の望むところじゃない』と言い切り、レーヴェン殿下は少しばかり表情を和らげた。
かと思えば、後ろを振り返り、切なげに夜空を見つめる。
「彼女だけは自由に生きてほしい……私にはそんなこと許されないから」
一種の羨望とも言える感情を露わにし、レーヴェン殿下はアメジストの瞳をスッと細めた。
恐らく、彼は自分の願いを……決して叶えられない夢をアカリに託したのだろう。
同じギフト複数持ちで、権力者の子供という共通点を介して。
ある意味、独りよがりな考えだが……何となく、気持ちは分かる。
僕も次期公爵で……帝国の未来を担っていく立場の一人だから。
レーヴェン殿下ほどのプレッシャーも責任もないが、『アカリだけは自由に』という思いは同じだった。
「ヤバい……泣ける!」
しんみりとした空気をぶち壊すように、マユリはダバーッと滝のような涙を流す。
『悲恋、つら!』とよく分からない言葉を発しながら、しゃくり上げた。
「あ〜〜〜!!!全員幸せになってよ〜〜〜!!!現実的に難しいのは、分かっているけどさぁ〜〜〜!!!これはこれでエモいけどさぁ〜〜〜!!!リアルで失恋や悲恋を目の当たりにすると、色々心に来るんだって〜〜〜!!!」
バシバシと手すりを叩きながら、マユリは『クソ〜〜〜!!!』と叫ぶ。
周りに聞こえそうなのでやめてほしいが、自分達のために悲しんでいる友人を咎めるのはなんだか気が引ける。
当事者より泣いているマユリの扱いに困っていると、彼女は大きく息を吸い込んだ。
かと思えば、手すりから少し身を乗り出す。
「負けヒーロー達に幸あれ〜〜〜!!!」
天まで届くような大声でそう叫び、マユリはブンブン手を振った。
あっ、こいつ酔っているな。
ようやくマユリの状態を理解した僕は、素早く背後へ回り手刀を落とす。
首裏に強い衝撃を受け気絶する彼女を受け止め、嘆息した。
「こいつのせいで、色々ぶち壊しだ」
「でも、おかげさまで悲しみは吹き飛んだよね」
「感動と一緒に、ですけどね」
「まあまあ、いいじゃないか。暗い気持ちを引き摺るよりかは、さ」
ハンカチでマユリの涙を拭きつつ、レーヴェン殿下は『許してあげなよ』と促す。
困ったように笑う彼を前に、僕は小さく肩を竦めた。
「それもそうですね。今回はこいつの馬鹿さ加減に、ちょっと救われました」
『許します』と主張し、僕はマユリをそっと抱き上げる。
子供のようにぐっすり眠る彼女を一瞥し、レーヴェン殿下と共にバルコニーを出た。




