演技
◇◆◇◆
────学園祭の準備期間に入ってから、早一週間。
ようやく脚本が完成し、我々キャスト組も本格的に練習をスタートした。
のだが……早くも暗雲が立ちこめる。
「ルーシー嬢、表情が硬い。あと、ダンスはもっとしなやかに。ドレスの裾を踏むのは、絶対ダメだよ。最悪、転倒してしまう」
『ある程度、私もフォローするけど』と述べつつ、レーヴェン殿下は改善を求めた。
きっと、ルーシーさんの身を案じてのことだろうが……練習初日でこれでは、心が折れてしまうのではないか。
でも、レーヴェン殿下に限って言われた側の気持ちが分からない訳ないし……多分、言った方がルーシーさんのためになると判断したのよね。
なら、私の出る幕ではなさそうだけど。
チラリとルーシーさんに視線を向け、私はそっと眉尻を下げる。
ドレスを握り締めて俯く彼女の姿が、あまりに不憫で。
『せめて、ダンスシーンだけでも何とかなれば』と思案する中、レーヴェン殿下がこちらを向いた。
「リディア嬢は逆にちょっと緩み過ぎかな?悪役なんだから、もっとシリアスにね」
『他人の心配をしている場合じゃない』とでも言うように、レーヴェン殿下は苦言を呈する。
『あと、衣装もちょっと乱れているよ』と注意する彼に、私は目を剥いた。
慌てて黒いローブに手を掛け、ドレスのようにシワを伸ばす。
「教えていただきありがとうございます、レーヴェン殿下」
「どういたしまして。それより、もうセリフを覚えたのかい?さっきの練習で、他の役の子にこっそり教えていたよね」
「え、ええ。記憶力はいい方なので」
────リディアが。
とは言わずに、ニッコリと微笑んだ。
『一度、見聞きしたことは基本忘れないのよね』と苦笑を零し、なんだか居た堪れない気分になる。
だって、凄いのは私自身じゃないから。
「へぇー。それは凄いね。でも、もう他の役の子に教えちゃダメだよ。それだと、練習にならないからね」
口元に人差し指を当てながら、レーヴェン殿下は『本番で忘れてしまった時だけ、教えてあげて』と言った。
ご尤もな意見を前に、私はただただ首を縦に振ることしか出来ない。
困っている人を見掛けたらつい助けちゃう癖、直さないと。
今回のように、巡り巡って困るのはその人自身になってしまうかもしれないし。
『自重しよう』と考える中、レーヴェン殿下の号令で練習は再開した。
が、やはり何度も止まってしまう。
ルーシーさんのダンスや転倒によって。
基本、ダメ出しやアドバイスは後でまとめてやることになっているため、今はとにかく“通しでやり切ること”を目標にしている。
そのため、強制的に演技を中断しないといけない言動は皆の心身を少しずつすり減らしていた。
おかげで、現場は少しピリピリした空気に。
わざとではないから、大目に見てほしいけど……『いいものを作りたい』という想いの裏返しかと思うと、強く言えない。
何より今のところ不満は出ていないし、皆気持ちを抑え込んでいるようだから、刺激しないのが一番だろう。
下手に注意して仲間割れにでもなったら、目も当てられないわ。
「じゃあ、一回休憩を挟もうか。十四時まで、自由にしてていいよ」
煮詰まっている空気を感じ取ったのか、レーヴェン殿下は『リフレッシュしておいで』と促す。
すると、キャスト達は我先にと空き教室を出ていった。
『他クラスに行こう』とか、『軽くお茶しよう』とか言い合いながら廊下の奥へ消えていく。
さて、私はどうしようかしら?
表情の練習でもする?
未だに何度も注意される事柄を思い返し、私は壁際にある鏡へ近づいた。
『悪役っぽい表情……』と呟きながら口角を上げたり下げたりしていると、不意に茶髪が目に入る。
何の気なしにそちらへ視線を向ければ────ひたすらダンスの練習に励むルーシーさんの姿が、視界に映った。
「やっぱり、ルーシーさんは凄い人ね」
逆境を嘆く訳でも投げやりになって全てを諦める訳でもなく、努力する道を選べる人はとても少ない。
本当は凄く凄く辛い筈なのに、歯を食いしばって頑張る彼女はまさにヒロインだった。
「良かったら、練習に付き合うよ」
そう言って、ルーシーさんに手を差し伸べたのはレーヴェン殿下だった。
『お相手役が居た方がいいだろう?』と述べる彼は、アメジストの瞳をスッと細める。
立場上厳しいことも言うが、なんだかんだルーシーさんの努力を一番買っているのは彼だろう。
「ルーシーさん、良ければ私もお手伝いします。と言っても、ちょっとしたアドバイスくらいしか出来ませんが」
『男性パートは踊れないので』と苦笑する私に、ルーシーさんは呆れたような……でも、ちょっと嬉しそうな笑みを漏らす。
「じゃあ、お願いしようかな」
素直に厚意を受け取り、ルーシーさんはレーヴェン殿下の手に自身の手を重ねた。
かと思えば、こちらを向いて明るく笑う。
「先にアドバイスを聞かせてよ」
「はい」
コクンと大きく頷き、私はローブの裾を持って駆け寄った。
そして、身振り手振りを交えながら色々説明する。
「ここのステップは、このくらいで充分です。ドレスの裾で足元は隠れていますから、多少手を抜いてもバレません」
「あっ、確かに」
「あと、ターンの時は力を抜いてください。自分で回ろうとしなくて、いいんです。殿下が上手くリードしてくれますから」
「ふふふっ。責任重大だね」
「あと、こことここは一歩前に出てまた下がるくらいの温度感で問題ありません。無理に見本の通りにやろうとしなくて、大丈夫です」
自分の知っているダンス知識を総動員して、私は『楽に踊り切る方法』を伝授した。
と言っても、ステップを多少誤魔化す程度のもので労力はあまり変わらないだろうが。
何より、このような方法を取れるのは偏にお相手役のレーヴェン殿下が上手だから。
それも、群を抜いて。
これがもし他の人なら、こうもいかないだろう。
「では、リディア嬢のアドバイスをもとに一回踊ってみようか。実際にやってみないと、分からないこともあるだろうし」
『さあ、行こう』と言って、レーヴェン殿下はルーシーさんの手を引いた。
緊張した面持ちの彼女をエスコートし、部屋の中央までくるとこちらに目で合図する。
あっ、音楽。
直ぐに殿下の意を汲んだ私は、アナログコードを操作した。
『これでいいのかしら?』と思案する中、無事音楽は掛かる。
「失敗してもいいから、まずは踊り切ろう」
「はい」
嫣然と顔を上げ、ルーシーさんはレーヴェン殿下のリードに沿ってステップを踏み始めた。
まだ動きも表情も硬いが、今のところミスはない。
『凄い、ルーシーさん』と感動する私を他所に、音楽は止まる。
あら、もう終わってしまったのね。
まあ、ダンスシーンはほんの数分程度だし、仕方ないか。
『一曲丸々踊っていたら、時間がね』と肩を竦める中、レーヴェン殿下は足を止めた。
「かなり、良くなったよ。リディア嬢のアドバイスのおかげかな?」
チラリとこちらを見て、レーヴェン殿下は柔らかく微笑む。
『お手柄だね』とでも言うように。
「この調子で、ダンスをマスターしよう」
────という発言の元、レーヴェン殿下は時間いっぱい練習に付き合ってくれた。
今日のみならず、次の日も。そのまた次の日も、ずっと。
おかげで、ルーシーさんのダンスや演技は格段に良くなった。
それに比べて、私は全然だけど。
結局、『悪役で出番も少ないから』って仮面を被ることになったのよね。
これなら、表情は関係ないから。
『私の演技って、そんなに酷い?』と肩を落としつつ、黒い仮面を被る。
今日は本番で使用するステージを使って、練習することになっているため、一階のホールへ急いだ。
『遅刻厳禁』と脳内で反芻しながら目的地を訪れると、我がクラスの大道具や小道具が目に入る。
もう既にセットの準備を進めているらしい。
大変。直ぐに手伝わないと。
キャストだからといって、裏方仕事を全て放棄するのはどうかと思い、慌ててステージに駆け寄る。
そして手伝いを申し出るが、あっさり断られた。
『お願いですから、休んでいてください』と懇願され、私は渋々引き下がる。
ありがた迷惑になってはいけない、と思って。
でも、ここまで拒絶されると少し悲しい……。
『私って、嫌われているのかもしれない』と落ち込み、ステージを見上げる。
忙しく動き回るクラスメイト達をぼんやり眺めていると、
「あっ、リディア嬢」
と、レーヴェン殿下に声を掛けられた。
何やら焦っている様子の彼は、小走りでこちらにやってくる。
「どうかなさったんですか?」
不穏な気配を感じ取り問い掛けると、レーヴェン殿下は困ったように眉尻を下げた。
「実は────ルーシー嬢の姿が、どこにも見当たらないんだ。もう練習開始まで、五分もないのに」
「!?」
『ルーシーさんのことだから、早めに来て練習しているだろう』と思っていた私は、目を剥く。
だって、彼女の性格を考えると遅刻や無断欠席は有り得ないから。
『もしかしたら、練習場所を間違えたのかも』と思い立ち、私は扉へ足を向けた。
「ちょっと探してきますわ!」
「ああ、よろしく頼むよ。私は今、手を離せないから。ただ、ルーシー嬢を見つけられなかったとしても五分後には戻ってきておくれ」
行き違いになっている可能性を考えたのか、レーヴェン殿下は時間制限を設ける。
それに一つ頷き、私は急いで一階のホールを飛び出した。
『ルーシーさんはどこに……?』と思案しつつ、心当たりのある場所を片っ端から探していく。
でも、教室はもちろん普段練習で使っている空き教室にも姿はなかった。
も、もしかして……どこかで倒れている?
もしくは、前みたいに誘拐されたとか……。
嫌な予感を覚える私は、不安のあまり泣きそうになる。
『いや、行き違いでもうホールに居るかも』と自分に言い聞かせ、何とか平静を保った。
そろそろ約束の五分になることを考え、私は一旦レーヴェン殿下の元へ戻ろうとする。
────と、ここで複数人の話し声が耳を掠めた。
……あら?この声って。
ピクリと反応を示し、顔を上げる私は声のする方へ足を運ぶ。
もし知り合いなら、ルーシーさんのことを知らないか聞こうと思って。
『聞き込み調査よ』と奮起する中、私は多目的室を覗き込んだ。




