魔力暴走
「────足が動かない……?」
嫌な予感を覚えつつ、下を向くと────地面の凍結に巻き込まれて、固まる自分の足があった。
小公爵の動向に気を取られるあまり、今の今まで気づかなかった私は急いで靴を脱ごうとする。
────が、脱げなかった。
どうやら、足首までガッチリ固定されているらしい。
あら、これは……詰んだわね、完璧に。
靴を脱ぐことが出来ればまだ希望はあったが、完全に身動きを封じられた状態ではどうすることも出来ない。
『最初の冷気が放たれた時点で逃げるべきだった』と反省しながら、私は即座に思考を切り替えた。
せめて急所は守ろうと両腕で顔面を守る中────不意に体を抱き締められる。
ビックリして顔を上げると、そこには金髪の美女の姿が。
だ、誰……?いや、それよりも私の傍に居たら危ないわ……!
「は、離れてください……!このままでは、巻き添えを食らって……」
「────嫌よ!貴方も私の大事な子供だもの!」
そう言って、彼女は更に強く私のことを抱き締めた。
『絶対に離さない!』という意志を見せる金髪の美女は、月の瞳に覚悟を宿す。
震える体に鞭を打って身構える彼女の前で、私はハッとした。
まさか、この女性は────公爵夫人のルーナ・ヴァイス・グレンジャー!?
よく見ると小公爵にそっくりな顔立ちに、私は『間違いない』と確信を持つ。
が、今は公爵夫人との顔合わせを喜んでいる場合じゃないため、直ぐさま思考を切り替えた。
『とにかく、公爵夫人だけでも逃がさないと!』と思い立ち、私は彼女の肩へ手を掛ける。
迫り来る氷塊を目で追いながら。
『もう時間がない!』と焦りを覚える中、
「────ルーナ!」
見知らぬ男性の声が耳を掠めた。
かと思えば、目の前に大きな背中が。
ハッと息を呑む私達の前で、彼は手のひらを前へ突き出した。
と同時に、向かってきた氷塊を冷気へ変える。
ついでに周囲の温度にも干渉して、寒さを和らげた。
『凄い……魔術を正確に使いこなしている』と衝撃を受けていると、彼はこちらを振り返る。
その際、後ろで緩く結ばれた青髪がサラリと揺れた。
「大丈夫か!?」
タンザナイトの瞳に焦りを滲ませ、心配そうにこちらを見つめる彼はどこかリディアに似ている。
『目なんて、特にそっくり』と思案する中、公爵夫人は僅かに身を乗り出した。
「イヴェール!?どうして、ここに!?仕事は!?」
イヴェール……?って、まさか────イヴェール・スノウ・グレンジャー公爵のこと!?
大きく目を見開いて固まる私は、つい公爵のことを凝視してしまった。
だって、彼は仕事の関係で遠征中だと聞いていたため。
『当分は帰って来れない筈じゃ……?』と頭を捻る私の前で、公爵はこう答える。
「運良く今日だけスケジュールが空いたから、ルーナ達の様子を見に来たんだ!そしたら、こんな騒ぎになっていて……!一体、何があったんだ!?魔力暴走を引き起こすなんて、尋常じゃないぞ!」
「魔力暴走?」
初めて聞く単語に反応を示す私は、思わず復唱してしまう。
すると、公爵は驚いたようにこちらを見た。
が、『この年齢なら、まだ習っていないか』と納得したように呟く。
「魔力暴走は簡単に言うと、自分の意思に関係なく魔力を垂れ流してしまう状態のことだ。魔力自体に魔法が込められているから、無差別に人や物を攻撃してしまう。その対象には────自分自身も含まれている」
「!?」
『自分で自分を傷つける』という図式が成り立っていることに、私は心底驚いた。
魔法や魔術が術者自身を傷つけることはない、と勝手に思い込んでいたから。
異世界ファンタジーあるあるのご都合主義なんて、現実では有り得ないのに。
『ちょっと甘く見すぎていたかも……』と反省しつつ、私は吹雪に包まれる小公爵をじっと見つめる。
言われてみると、ちょっと……いや、かなり顔色が悪いわね。
早く何とかしてあげないと、凍死してしまいそう……。
「魔力暴走を止めるためには、どうしたらいいんですか?」
活路を見出そうと救済条件について尋ねると、公爵は難しい顔つきで口を開く。
「全ての魔力を出し切るか、本人を正気に戻すか……だな」
「気絶させて、強制的に戦闘不能状態へ追いやるのは……?」
『意識を奪ってしまえばいいのでは?』と提案する私に、公爵は首を横に振った。
「ダメだ。先程も言ったように魔力暴走は自分の意思に関係なく、魔力を垂れ流している状態。例えるなら、蛇口を開けたまま放置しているようなもの。だから、中身を空っぽにするか自分の意思で蛇口を閉めるかしないと止まらない」
「そんな……」
漫画にありがちな方法が通じないと知り、私は頭を悩ませる。
『一体、どうすればいいのか』と自分に問う間にも、刻々と時間は過ぎていき……小公爵の魔力暴走は勢いを増していった。
それに比例するかの如く、顔色も悪くなっていく。
こちらは公爵のおかげで寒さが和らいでいるため、まだ大丈夫だが……小公爵の方は吹雪の影響をもろに食らっている筈。
もう一刻の猶予もなかった。
魔力切れをまったり待っている場合じゃないわね。
小公爵の魔力量が如何ほどか分からないけど、今すぐ尽きるようなことはないでしょう。
もし、そうなら公爵がこんなに焦った顔をしないもの。
となると、残る方法は小公爵を正気に戻すことだけだけど……一体、どうすればいいのかしら?
魔力暴走なんて初めて見た私は、戸惑いを隠せない。
でも、何とか自分に出来ることを探そうと必死だった。
魔力暴走って、謂わば我を忘れている状態よね?
なら、対話を試みても無駄な筈……。
まず、こちらの話を聞こうとも思わないだろうから。
そういう時は感情を発散し切るまで、放っておくのが吉だけど……それじゃあ、手遅れになっちゃうし……。
などと考えていると、不意に────ある記憶が甦る。
それは山下朱里の時に見掛けた、小児科での光景。
とある難病持ちの小学生がキッズスペースで癇癪を起こした際、母親と思われる付き添いの人が突然手を叩いのだ。
それも、小学生の眼前で。
すると、小学生は怒るのも忘れてポカンとしていた。
完全に予想外の行動だったからか、思考や感情が追いついてこなかったらしい。
その後、小学生は『なんだよ、それ!』とケラケラ笑いながら大人しく遊んでいた。
普通、宥めたり叱ったりするところをまさかの猫騙しだからね。
怒りも吹き飛ぶ。
────と考えたところで、私は『あっ……』と声を漏らす。
頭の中が冴え渡るような感覚に襲われながら、『これだ!』と目を輝かせた。
あの時の母親と同様、激情を上回る衝撃を与えて相手を落ち着かせればいいんだ……!
荒業かもしれないけど、時間を掛けずに小公爵を正気へ戻すにはこれしかない!
とはいえ、さすがに猫騙しは出来ないけど……だって、攻撃と捉えられて更に怒りを買ってしまったら困るもの!
火に油を注ぐような事態にならないよう、私は別の手段を選ぶ。
『攻撃と見なされず、尚且つ驚くこと』と自分に言い聞かせ、私は────公爵夫人の腕の中から抜け出した。
「リディア……!」
困惑の滲んだ声で私の名を呼び、公爵夫人はこちらに手を伸ばす────ものの、既のところで躱される。
『待って!』と叫ぶ彼女を尻目に、私は一直線に小公爵の元へ向かった。
『公爵のおかげで、足元の氷が溶けてて良かった』と思いながら。
ただ前だけ見てひた走る私は拳サイズの雹を避け、滑る地面を踏み締める。
あまりの寒さに思わず立ち止まってしまいそうになるが、それでも一切足を止めずに前へ進んだ。
あともう少し……!
虚ろな目で立ち尽くす小公爵を見据え、私は最後の力を振り絞る。
そして、何とか彼に触れられる距離まで迫ると、思い切り両手を伸ばした。