懇願
「一旦、冷静になれ。お前一人じゃ、どうにも出来ないだろ」
『無駄な悪足掻きだ』と一蹴し、兄はギュッと拳を握り締めた。
どこか緊張した面持ちで前を見据える彼は、一瞬躊躇ってから口を開く。
「大体、今から向かっても……多分、間に合わない────手遅れだ」
「っ……!」
「クライン公爵家の面々は諦めた方がいい。もちろん、助けられるならそれに越したことはないが……その小さな希望に賭けて無茶をするより、我が家と連携してしっかり準備を整えてから向かった方が……」
「そんなの俺だって分かっている……!」
『冷静に判断しろ』と諌める兄に、リエート卿は噛みつかんばかりの勢いで怒鳴り散らした。
泣いているのか、肩は少し震えており……彼のやるせない感情を表している。
どれだけ手を伸ばしても届かない位置に居る家族を想い、無力感に陥っているようだ。
「クライン公爵家の次男として、すべきことは単騎で戦地に乗り込むことじゃない……!それは分かっている……!分かっているけど……!俺は────家族を見捨てたくないんだ!お願いだから、離してくれ!」
気の所為だろうか……『離してくれ!』と懇願する彼の声が────『助けてくれ!』と言っているように聞こえた。
悲痛に染まったリエート卿の叫びを聞き、私は手に持った銀の杖へ視線を落とす。
ビッシリと刻まれた文章を見つめ、
「今、私に出来ること」
を思いついた。
『ファンタジー小説によくあるやつだけど、ここにも存在するかな?』と考えつつ、私は顔を上げる。
「お父様、一つお聞きしたいことがあります」
「なんだ?」
僅かに目を見開き、話に応じる父は突然のことにも拘わらず真摯に対応してくれる。
少なくとも、『今、取り込み中だから』と邪険にすることはなかった。
それに内心ホッとしつつ、私はタンザナイトの瞳をじっと見つめ返す。
「────遠く離れた地に一瞬で移動する魔法、もしくは魔術ってありますか?」
微かな希望を抱いて質問すると、父は少しばかり眉を顰める。
「あるにはあるが……相性の問題で、私もニクスも使えない。それに消費魔力だって半端ないから、ホイホイ使えるものじゃ……」
「────やり方を教えてください」
「はっ?」
思わずといった様子で素っ頓狂な声を上げる父に、私はこう述べた。
「私の持っているギフトの中に────万能属性というものがあります。これはどんな属性の魔法や魔術も使いこなせる能力です。なので、やり方さえ教えて頂ければ使用可能かと」
魔力量に関しては問題がないため敢えて言及せず、私は『やり方を教えてください』と再度乞う。
珍しく呆然としている父に向き直り、表情を硬くした。
「私がリエート卿をクライン公爵家まで、連れていきます。そして、必ず────皆で帰ってきます」
「なっ……!?」
衝撃のあまり言葉を失う父は、『正気か……!?』とでも言うように私の肩を掴む。
目を白黒させながら愕然とする彼の前で、私は確かな意志と覚悟を瞳に宿した。
「クライン公爵家の方々の救助を断念していたのは、時間と距離の問題で間に合わないからですよね?なら、その問題さえ解決出来れば……」
「だ、ダメだ!危険すぎる!」
「そうよ!リディアはまだ子供なのに!」
「戦地の過酷さを知らないから、そんなことが言えるんだ!」
グレンジャー公爵家の面々は弾かれたように反論を口にし、首を左右に振った。
断固拒否の姿勢を見せる彼らの前で、私はどう説得しようか悩む。
そんな時────リエート卿が、足元の氷を突き破った。
陽の光を浴びて少し溶けていたのか、それとも今まで本気を出していなかったのか……真偽は定かじゃないが、彼はこれで自由の身である。
『もしや、また走って行ってしまうのではないか』と慌てるものの、それは杞憂に終わった。
何故なら、彼が────わざわざ踵を返して、こちらに戻ってきているから。
迷いのない足取りで距離を詰めてくる彼は、私達の前まで来ると────人目も憚らず、土下座した。
「リディアのことは、絶対に守り抜きます!この命に代えても、必ず!ですから、どうか転移魔法の使用とリディアの同行を許可して頂けませんか!」
『お願いします!』と嘆願し、リエート卿は地面に頭を擦り付ける。
貴族としての矜持も立場もかなぐり捨て、彼は家族のために奔走した。
「リエートくん、一旦頭を上げてくれ。冷静に話を……」
「いいえ!俺の願いを聞き入れてくださるまで、動きません!」
父の言葉を跳ね除け、リエート卿は頑として頭を上げない。
説得や交渉など自分には無理だと思っているのか、ひたすら懇願する道を選んだ。
愚かなほど真っ直ぐで、不器用────でも、だからこそ胸に響く。
昔からの知り合いなら尚更。
「「「……」」」
複雑な表情で押し黙るグレンジャー公爵家の面々は、初めて迷いを見せた。
リディアとリエート卿、どちらも大切だから選べないのだろう。
クシャリと顔を歪める彼らの前で、私も頭を下げる。
「お父様、お母様、お兄様。どうか、お願いします。クライン公爵家の窮地に駆けつけることを、許してください」
『見捨てることなんて出来ません』と懇願し、私はじっと返事を待った。
すると、どこからともなく溜め息を零す音が聞こえる。
「……分かった。転移魔法の使用とリディアの同行を許可する」
渋々といった様子で、父はリエート卿の願いを聞き入れた。
『ありがとうございます……!』と涙ながらに礼を言う卿を前に、父は更に言葉を続ける。
「ただし、私も一緒に行く」
「いえ、父上は屋敷に戻って部隊の編成を行ってください。魔物の大群を完全に駆除するとなると、絶対に人手が足りなくなるので。クライン公爵家の救助には、僕が向かいます」
「えっ?子供達だけで!?そんなのダメよ!ニクスは残りなさい!ここは私が……」
「ルーナこそ、残るべきだ!まだ体調も万全じゃないだろう!」
『誰が同行するか』で揉め始めたグレンジャー公爵家の面々は、ああでもないこうでもないと言い合う。
全員尤もらしい言い分を振り翳し、一歩も引かぬ姿勢を見せた。
『このままじゃ、日が暮れそう』と心配する中、兄が両親を言い負かす。
なんだかんだ一番口が立つため、あれこれ理屈を捏ねて二人を納得させたらしい。
『よし』と小さくガッツポーズする彼の傍らで、大人組は見るからに意気消沈している。
『また息子に丸め込まれた……』と嘆き、肩を落とした。
────が、今は一刻を争う事態のため直ぐに気持ちを切り替える。
「リディア。今から転移魔法について、教える。心して聞け」
「はい」
銀の杖をギュッと握り締め、私は力強く頷いた。
────と、ここで兄がメモ帳とペンを取り出し、何かを書き込み始める。
一瞬『何をしているのだろう?』と気になるものの、今は父の話に集中しないといけないため、直ぐに前を向いた。
と同時に、タンザナイトの瞳と目が合う。
「転移魔法の発動方法には、色々ある。行きたい場所を思い浮かべて転移するイマジネーション、人や物を目印にして転移するマーキング、現在位置から目的地までの距離を割り出して転移するキャルキュレイト」
指を三本立てて説明する父は、人差し指と中指を順番に一回ずつ動かす。
「一つ目と二つ目は具体的なイメージを必要とされるため、実際に行ったことのある場所や会ったことのある人物じゃないと使えない。よって、今回は三つ目のキャルキュレイトを使う────ニクス、計算は終わったか?」
「はい」
突然話を振られた兄は、『待ってました』と言わんばかりにメモ帳から顔を上げた。
自信ありげに笑う彼を前に、父は満足そうに頷く。
「じゃあ、ここから先の説明は頼む」
「分かりました」
もう内容を暗記しているのか、兄はパタンとメモ帳を閉じてこちらに目を向けた。
かと思えば、素早く私の背後に回り、両肩を掴む。
そして右へ左へ体の向きを変え、位置を調整すると、顎をクイッと持ち上げた。
「いいか?この方角の〇〇キロ先に、クライン公爵家がある。こうやって上を向いたまま、転移しろ。絶対に視線を下げるな」




