表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/91

終わりと始まり

悪役(・・)令嬢リディア・ルース・グレンジャー!貴方────転生者でしょう!?」


 十六歳の春、アントス学園の校舎裏にて────クルンとカールの掛かった茶髪をポニーテールにしている少女が、そう叫んだ。

桜を連想させる淡いピンクの瞳に不満を滲ませ、キッとこちらを睨んでくる彼女はまるで子猫のよう。

華奢で小柄な外見に似合わず、強気なところなんて特に。

『怒っているのに可愛いなんて、不思議ね』と思いつつ、私は小さく首を横に振る。


「いいえ、私は転生者じゃありませんわ」


「嘘よ!だって────ゲーム(・・・)のリディア・ルース・グレンジャーは、こんなに優しくないもの!表情も暗いし!」


 ビシッとこちらを指さし、彼女は『本物とかけ離れ過ぎている!』と主張した。

『私は騙されないんだから!』と言わんばかりに目を吊り上げる彼女の前で、私はパッと表情を明るくする。


「まあ!ルーシーさんも、あの乙女ゲームをご存知で?」


「もちろんよ!あれは歴史に残る名作だもの……じゃなくて!やっぱり、貴方転生者じゃない!何で乙女ゲームという単語を知っているのよ!?」


 ハッとしたように目を見開く彼女は一歩前へ踏み出し、私の胸元に人差し指を突き立てる。

その際、茶髪と一緒に髪飾り代わりの赤いリボンが揺れた。

挙動も気性も激しい彼女を前に、私はニッコリと微笑む。


「いえいえ、本当に転生者ではありませんよ。私はどちらかと言うと────憑依者(・・・)ですわ」


 そう、私は生まれながらに人生二周目を悟った訳でも、頭を打った拍子に前世の記憶を取り戻した訳でもない。

いつの間にか、他人の身体に入り込んでいたのだ。

────事の発端は十年前に遡る。


 私は元々山下(やました)朱理(あかり)という名前で、暮らしていた。

でも、生まれつき病弱で心臓に重い疾患を持っており……ずっと病院生活。

外に出て、遊んだことなんて数えるほどしかなかった。


 そんな時、大きな手術を行うことになったのだが……麻酔で眠って以降の記憶がない。

多分────手術に失敗して、亡くなったのだと思う。

気がついた時には、『貴方と運命の恋を』の悪役令嬢リディア・ルース・グレンジャーに憑依していたから。


 ドレッサーの鏡で姿を確認した私は、暫し呆然とした。

憑依や転生なんて、本当にあるのか?と。

でも、この外見────腰まである紫髪にタンザナイトの瞳は、間違いなく山下朱理のものじゃなくて……現実を受け入れざるを得なかった。


 ゲームをプレイする前に死んでしまったから、パッケージのイラストしか見たことないけど、悪役令嬢リディアの面影はあるわね。


 どこか大人びた印象を受ける顔を見つめ、私はそっと頬に触れる。

子供特有のもっちりとした肌の感触に目を細めつつ、改めて夢じゃないのだと実感した。


「パパとママは今頃、悲しんでいるでしょうね……早く立ち直ってくれるといいけど」


 一人娘である朱理()を溺愛し、高額な治療にも入院生活の手間にも一切文句を言わなかった二人……。

『いつか、三人で海に行こうね』という約束を胸に、これまで頑張ってきたからショックを受けているに違いない。

『結局、親孝行出来なかったな……』と眉尻を下げ、私はそっと手を下ろした。

その拍子にドレッサーのデスク部分と衝突してしまい、何かが床へ落ちる。

『まあ、大変!』と慌てて腰を折り、落ちたものを拾い上げる私は一瞬固まった。


「────私の体に憑依してしまった方へ……?」


 見たことない筈の文字を読み上げ、私は手の内にある手紙をまじまじと見つめる。

『言語などの知識は体が覚えているのか?』と推察しながら、パチパチと瞬きを繰り返した。

予想だにしなかった展開を前に、私は困惑を隠し切れない。

でも、このまま放置する訳にもいかないので一先ず手紙の封を切った。


 『私の体』と表記していることから、差出人は本物のリディアみたいだけど……一体、どんなことが書かれているのかしら?


 などと思いつつ、私は封筒の中から便箋を取り出す。

そして、一思いに内容を確認すると────そこには、


『私の体に憑依してしまった方へ

突然このような事態に巻き込んでしまい、ごめんなさい

でも、もう限界なの……全部疲れた

だから、貴方に私の体をあげる

好きに使ってくれて、構わないわ

ただ、一つだけ……可能であれば、色んな人に愛される人へなってほしい

私はどう頑張っても、そういう人になれなかったから……

貴方の第二の人生が、幸福で溢れていることを願うわ

リディア・ルース・グレンジャーより』


 と、とても丁寧な筆跡で綴られていた。

その一文一文、一文字一文字が切なくて……強く胸を締め付けられる。

私はじわりと目に涙を滲ませながら、手紙を抱き締めた。


 一体、どんな気持ちでこの手紙を書いたのかしら?

少なくとも、愉快な気分ではなかったわよね。

きっと、何度も何度も迷って……躊躇って……書き直した筈よ。

リディアの苦しみを思うと、やるせない気持ちでいっぱいになるわ。


 まだ幼く小さな体を見下ろし、私は『何でこんなことに……』と嘆く。

悩んだ末に出した結論だと理解していても、やはりとても悲しかった。

十歳にも満たないであろう子供が、自らの人生を諦めるだなんて……。


 もし、私が傍に居たら……絶対、一人にさせないのに。

『貴方は尊重されるべき存在で、不幸に耐え凌ぐ必要はない』って……『私と一緒に幸せな日々を送ろう』って、言ったのに。

世界が違うのだからしょうがないんだろうけど、でも……憑依する前に出会いたかった

こんな手紙越しじゃなくて……きちんとお互いの顔を見て。


 胸に抱いた手紙をそっと持ち上げ、私は改めて文面に目を通した。

瞼の裏に焼きつけるように、何度も何度も……。

ポロポロと大粒の涙を流しながら。

後悔や虚しさが胸中に渦巻く中、私はおもむろに前を向く。

すると、鏡越しに紫髪の美少女と目が合った。


 言いたいことも、やってあげたいことも沢山あるけど────それは後に取っておく。

せっかく貰った第二の人生、無駄には出来ないから。


 『本当は天国に居る貴方の元まで飛んでいきたいのだけどね』と肩を竦め、私は鏡越しにあの子へ触れた。

タンザナイトの瞳を真っ直ぐ見つめ返し、微かに笑う。


「リディア・ルース・グレンジャーの体と命、確かに頂戴しました。貴方の願いを叶えて必ず幸せになるから、どうか見ていて。後悔はさせないから」


 確かな意志と覚悟を持って宣言し、私は止めどなく流れる涙を手で拭った。

『いつか、私に人生を預けて正解だったと思って貰えるよう頑張ろう』と、意気込みながら。

────こうして、私は山下朱理としての人生を終え、新たにリディア・ルース・グレンジャーの人生を送ることになった……のだが、問題は山積みだった。


 どういう訳か、皆よそよそしいのよね。

私の扱いに困っているというか……。

家族に関しては、一切接点なしだし。

執事曰く、父の公爵は仕事で遠征中。母の公爵夫人は体調不良により、自室で療養しているとのこと。また、兄の小公爵は次期当主教育でずっと部屋に籠っているらしい。


 『一応、同じ家の中には居るらしいけど』と思いつつ、私は身を起こす。

少し乱れた髪を手櫛で整え、ピョンッとベッドから飛び降りた。


「このままじゃ、ダメよね。ここであれこれ考えていても、何も始まらない。行動あるのみよ」


 現状打破を決意し、私はキュッと小さく手を握る。

と同時に、顔を上げた。


「手始めに────兄のニクス・ネージュ・グレンジャーに会いに行きましょう」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ