侯爵令嬢ミルティアは恋がしたいお年頃。
ミルティアは恋がしたいお年頃。
「私も恋がしたいよ〜。恋人が欲しい! 切実に!!」
友人のメアリーに愚痴をこぼす。
今日はふたりで王都に新しく出来たカフェに来ている。
メアリーは伯爵家のご令嬢で、婚約者ととても仲が良く、先日ファーストキスを経験したと聞かされて、ミルティアは椅子が転げ落ちた。
「ぐぬぬ。おのれ〜先を越されたわ。はぁ、いいなぁ。どんな感じだった? 甘酸っぱかった?」
「秘密。うふふ」
幸せそうに笑うメアリーがキラキラ輝いて見える。
「ミルティアは侯爵令嬢なのに、未だに婚約者がいないなんて不思議よね」
「だよねぇ……」
そう。ミルティア=ローは侯爵家のご令嬢。
ロー侯爵家は王国の建国当初から続く名門で、由緒正しい家柄だった。
貴族として生まれたからには政略結婚は当たり前で、ミルティアもそれは覚悟していた。どうせ結婚するなら仲良くしたいし恋愛したい。婚約者で恋人なんて最高じゃない。
ミルティアは恋がしたいお年頃なので、いずれ出来るであろう婚約者に夢見て憧れていた。
ミルティアは今年15歳になった。同年代のご令嬢はみんな婚約者持ち。なのに自分には未だ婚約者がいない。この悲惨な状況に焦りを感じていた。
***
ついこの間のこと。
業を煮やしたミルティアは、お父様の執務室に赴いた。
「お父様! お父様は私の結婚についてどうお考えなのでしょうか!」
書類の散らばった机の上に両手をバンッと叩きつけ、お父様に詰め寄った。
「な、なんだい。藪から棒に……」
思わず仰け反るお父様。
「ミルティアはもう15歳になります。そろそろ婚約者がいてもおかしくはございませんよね。ご心配なさらず。私、ロー侯爵家の繁栄の為、政略の駒となる覚悟は出来ております」
「何が政略の駒だ。そう言った大層な台詞はもう少し淑女としての気品を身につけてから吐くべきなのではないのか? お前はまだまだ子供っぽ過ぎる。お前に婚約者はまだ早い」
「ンな!?」
「勉強は進んでいるのか? また家庭教師から逃げ出してきたのではあるまいな。王宮から苦情が来るようなことがあったら殿下に申し訳が立たないぞ」
「勉強はちゃんとやってます!」
ぐぬぬ。お父様と話していても埒が開かない。
ミルティアは捨て台詞を吐いて執務室から逃げ出した。
「お父様の馬鹿! 頑固親父! ハゲ親父!」
「なんだと! ま、待ちなさい! 儂はまだハゲておらんぞ! ハゲてはおらん、よな……?」
***
お父様とのやり取りを思い返して、ミルティアは溜息をついた。
「もうさぁ。お父様には任せておけないわ。自分で婚約者、見つける」
「ええ……どうするの?」
「婚活よ、婚活! 夜会に出まくればひとりくらい見初めてくれる殿方が現れると思う」
「ミルティアは黙ってれば可愛いんだから、そこまでしなくても……」
「いーから、いーから。メアリーも協力してよね」
ミルティアは恋がしたいお年頃。
こうして無謀な挑戦が始まろうとしていた。
◇
王宮でのお勉強が終わって、真っ先に向かうのはヒュー兄様の執務室だ。
ここマクロニア王国の王太子ヒュードリアム殿下が、いつも爽やかな笑顔で出迎えてくれる。
***
ヒュードリアム殿下はミルティアと、いわゆる幼馴染というやつで、もう10年の付き合いになる、非常に気心の知れた間柄にある。
もともとはミルティアの実の兄であるエリックと同級生で、学園で意気投合したふたりがロー侯爵家に招いたのが、ミルティアとの出会いだった。
ミルティアが5歳の時。初めて見た王太子殿下にポカーンとなった。この世のものとは思えない恐ろしいほどの美貌の少年で、金髪碧眼の、それはそれは見目麗しい王子様だったからだ。
ニコニコと眩いまでの笑顔を向けられて。
「はじめまして、ミルティア嬢」
はわわ。声まで麗しい。
ひと目で気に入ったミルティアは、ちょこちょこと何処に行くにもついて回った。
それからも度々ヒュードリアムはローの屋敷に訪れてくれるようになった。ミルティアはヒュードリアムを『ヒュー兄様』と呼んで瞬く間に懐いていった。
王国の直系の王族には珍しく、ヒュードリアムはひとりっ子だった。それもあってか、ミルティアを実の妹のように可愛がってくれた。7つ年下の小さな小さな女の子を目に入れても痛くないほど甘やかしてくれた。
ミルティアのどんな我儘も受け入れてくれた。
膝の上でお菓子を食べたいと言うと抱っこしてくれた。遠乗りに行きたいと言うと馬に一緒に跨らせて遠くまで連れて行ってくれた。絵本を読んでとお願いすると、その澄んだ声で読み聞かせしてくれた。
「そろそろ帰るよ」と言われた時はミルティアはいつも嫌がった。「帰っちゃイヤ。泊まっていってぇ」と泣き喚くミルティアに、ヒュードリアムは困った顔で応じてくれた。夜中、ヒュードリアムのベッドに忍び込むと、またもや困った顔で朝まで一緒に眠ってくれた。小さな頃の話だよ、あくまでも。
「ヒュー兄様大好き!」
「僕もティアが大好きだよ」
合言葉のように繰り返される言葉。
ある日のこと。
ヒュー兄様の膝の上で大好きなシュークリームに齧り付いている時、不意に尋ねられた。
「ティアは将来、どんな女性になりたいの?」
「えへへ。ミルティアはねぇ、将来ヒュー兄様のお嫁さんになるの。だからね立派な淑女にならなくちゃなの」
「僕のお嫁さんになってくれるの? わかった」
口元のクリームを拭ってくれて。
クスクス笑いながら頭を撫でてくれた。
「それじゃ、ティアに、淑女になるための先生を用意してあげるからね。お勉強ちゃんと頑張るんだよ」
「はぁ〜い!」
そんな他愛もない会話が、まさかこんなに大きくなるとはその時はちっとも思わなかった。
ヒュー兄様が手配してくれた家庭教師たちは、王宮専属の先生らしく、「明日から王宮に通いなさい」と告げられた時には「な、なんで??」とビックリして言葉を失った。自分のお家でのんびりとお勉強するものだと思っていたし、王宮なんか行ったことないし、怖いし、通うの面倒だし、嫌だなと思った。
だがわざわざ王太子殿下が手配してくださったご厚意を無下にするわけにもいかず、渋々ながら王宮に通うことになった。
更にこの教師陣が途轍もなく厳しくて、何度も何度もへこたれた。叱られてばかりの毎日に心が挫けた。
辛い。やめたい。淑女になんてなれなくてもいい。
ヒュー兄様に泣いて訴えた。
その度に、ヒュー兄様は困った顔でミルティアを頭を撫でた。
「授業が終わったら、この部屋においで。ティアの大好きなシュークリームを用意して待っててあげるからね」
別にシュークリームに釣られたわけではないが、ヒュー兄様の優しい言葉に、10年間。なんとか今まで頑張れている。
***
ヒュー兄様の執務室で大好きなシュークリームをパクついていると、ヒュー兄様が目を細めながら見ていた。
「ティアは相変わらずシュークリームの食べ方が下手っぴだね」
笑いながら口元のクリームを拭ってくれる。いつまで経っても子供扱い、妹扱いだ。
15歳のミルティアより7つ年上のヒュー兄様は今年22歳になる。出会った時はまだあどけない少年だったが(私が言うのも何だけど)、今ではすっかり大人の男性だ。
陛下から引き継ぐ仕事も増え、次期国王としての準備も手抜かりなく着々と進んでいて、寝る暇もないくらい忙しいみたい。
本来ならミルティアの為に割く時間もないはずなのに、こうしてお茶には必ず付き合ってくれる。
「良い息抜きになるよ」って言って。
罪悪感と、わずかばかりの優越感。
ふと、ヒュー兄様がティーカップを口に運びながら思い出したように言った。
「そうそう。今度の宮廷舞踏会、またパートナー頼んでもいいかな」
「ええぇ? またですの?」
ミルティアが社交界デビューを果たしてから、こうして毎回パートナーに指名してくる。妹分のミルティアならば変に波風が立たないと思ってのことなのだろう。
ヒュー兄様にはまだ婚約者がいない。
公爵家のご令嬢やら隣国のお姫様など、候補はいくつか上がっているみたい。今はまだ決めかねている段階なんだろうね。一国の王太子様の婚約者だもの。いろいろと政略的な思惑が絡んでくる。為政者として後ろ盾のしっかりした女性を迎えなければならない。
小さい頃はヒュー兄様のお嫁さんになるだなんて大それたことを口にしていたミルティアも、大きくなった今となってはもはや黒歴史だ。
「ヒュー兄様っておモテになりませんのね……」
思わず憎まれ口が。
「そうだよ。モテないからティアにお願いしてるの」
クスクスと笑いながら言う。
(私の婚活、どうなっちゃうんだろ……)
ミルティアはこっそり溜息をついた。
◇
今日は、ナタリーを伴って、先日来たカフェに訪れている。
「で、どうなの。婚活の状況は?」
「聞かないで……」
窓際の陽当たりのいい席に腰を下ろすと、真っ先にナタリーが聞いてきた。
「夜会はダメだわ。誰も声かけてくれない」
「まあねぇ。あそこまでベッタリだったらねぇ」
***
ミルティアの目論見は甘かった。
ヒュー兄様と同伴で参加する夜会では、なかなかひとりになれない。
ダンスの時は必ず二曲続けて踊りたがる。二曲続けて踊るのは婚約者や恋人同士なのが暗黙の了解なのに。
ヒュー兄様のところにはたくさんの方々が挨拶に訪れるのでその対応にも忙しい。
それなのに何故か一緒に挨拶することになってるし、紹介される度に、「僕の大切な女性です」って、もうね、居た堪れない。確かに大切にはされてるけどさぁ、誤解を招く言い方やめてって。
競争率の高いヒュー兄様は、一緒に踊りたがるご令嬢にすぐに周囲を取り囲まれる。
だから「少し疲れたので端で休んでいますね」とそっと離れようとすると、「疲れたなら控え室で休憩しようか」って、ちょ、ちょっと待って。空気読んでくださいよ。ご令嬢の鋭い視線が突き刺さるんですが。
そんなこんなで、ずっと連れ回され、帰りは家まで送ってくれて、非常に紳士的ではあるのだが、最後は身も心もグッタリしてしまう。
誰かといい感じになる機会なんて全くない。
***
「女避けに使われてるのよね、絶対」
「そうかしら?」
ナタリーが意味ありげに微笑む。
「ミルティアの意地っ張り」
「……むむ?」
「本当は嬉しいくせに。好きなんでしょ? 『ヒュー兄様』のこと」
ナタリーがズバリと確信を突いてくる。
好きかどうかと問われたら。
ヒュー兄様のことは…………好きだ。
それは認める。認めてしまえば簡単なこと。
彼はミルティアの初恋だった。
でも、自分は7つも年下の幼馴染で、妹としか思われていなくて、いつも子供扱い。どうせ異性として見られていない。
ミルティアは自分の気持ちに蓋をした。
所詮は叶わぬ恋だと、諦めようとした。
相手は王太子殿下だ。彼にはもっと相応しい女性がいる。
だから、自分が傷つく前に恋人を作ってしまおうと躍起になった。婚活を、などと愚かな考えを持ってしまったのだ。
もし、ヒュー兄様が誰かと恋仲になってしまったら。
もし、ヒュー兄様に婚約者が出来てしまったら。
それを心から祝福できる自信が……ない。
ミルティアは恋がしたかった。
ヒュー兄様と、恋がしたかった。
「婚活なんてバカなこと言ってないで、もっと自分に正直になったら? ミルティアは素直なだけが取り柄なんだから」
紅茶のカップ片手に、ニコリとするナタリー。
「ナタリー……なんだか大人の女性みたい……」
「あら? ごめんあそばせ。お先に大人の階段登ってしまって」
ふたりはクスクスと笑い合った。
だが、事態は着々と進んでいたようで。
ナタリーと別れ、屋敷に戻るとお父様が待ち抱えており、飛びかからんばかりの勢いでミルティアの肩を揺さぶった。
「ミルティア! ミルティア! 喜べ! お前の婚約が決まったぞ! 婚約の儀は1週間後だからな。忘れるな」
「……………………え?」
嗚呼…………
タイムリミット。遅かった。
自分の気持ちを認めた途端にこれだ。
素直になろうと決心したばかりなのに。
ミルティアは思わず俯いて立ち尽くした。
◇
婚約の儀を翌日に控えたその日、ミルティアはヒュー兄様の執務室へと訪れた。
ヒュー兄様は相変わらず忙しそうにしていたが、ミルティアの姿を目にすると、いつもの爽やかな笑顔を向けてくる。
「忙しい時にごめんなさい。今、大丈夫ですか?」
「ティアより優先することなんて何もないよ」
いつも優しいヒュー兄様。今日はその心遣いがとても切ない。
「今日はどうしたの? 明日は大切な日だろう?」
嗚呼……やっぱり。やっぱり知ってるみたい。ミルティアの婚約のこと。
「あの、ね。今日は『独身最後の夜』……です」
「……うん?」
ヒュー兄様は首を傾げた。
「独身最後の夜はハメを外すものだと聞きました」
婚約なので独身最後というわけではないのだが。なんなら夜でもないのだが。
だけど意図は伝わってるよね?
「僕のところにハメを外しにきたの?」
ヒュー兄様はクスクスと笑って、頭を撫でてきた。
「ティアは本当に可愛いね」
ミルティアを見つめる瞳がとても優しい。
いつの日か、この優しい眼差しが他の誰かのものになってしまうのだと思うと、ひたすら悲しかった。
「ヒュー兄様……ミルティアの我儘、聞いてくださいますか?」
「ん? なにかな? ティアのお願いなら何でも叶えてあけるよ」
さっきから緊張で手がカタカタと震えている。
ミルティアは2度、3度と深呼吸して、意を決して告げた。
「わ、わわわたしに……キ、キス、して……くださいませんか」
隣でヒュー兄様が息を呑むのがわかった。
「……ティア」
「ごめんなさい……私の最後の我儘、だから」
婚約してしまったら、絶対にお願いできないこと。
気軽に会いに来るのも、我儘を言うのも、キスをねだるのも、今日が最後。
気がつくと、ミルティアの瞳から涙が一筋溢れ落ちていた。悲しくて切なくて、愛しくて、気持ちが千々に乱れる。
「……本当にいいの?」
「はい。私の最初のキスは……ヒュー兄様がいい」
ヒュー兄様が涙を拭ってくれて、その大きな両手で頬を包み込んでくる。
「ヒュー兄様、好き。大好き……でした」
「僕もティアが大好きだよ」
いつもの合言葉が悲しく響く。
それから。
そっと目を閉じると、優しく唇が重なって。
ミルティアのファーストキスは、涙の味がした。
「ティアは自分の婚約者が誰だか知らないの?」
「……? そういえば、聞くの忘れちゃった」
「………………ティアらしいね」
ヒュー兄様は溜息を吐いて、何故か苦笑していた。
◇
翌日。
王都の大聖堂に、お父様と共に向かう道中、ミルティアは馬車の中で沈痛な面持ちだった。
今日はミルティアの婚約の儀が執り行われることになっており、朝から使用人たちが大わらわして大忙しだった。だがミルティア本人は浮かない表情で。ただひたすら気持ちが沈んでいた。
そっと唇に触れる。
昨日、あんなことお願いしなければよかった。余計に忘れられなくなってしまったと後悔が押し寄せる。
大聖堂の前に馬車が到着しても、ミルティアの足は動かなかった。動けないのだ、どうしても。
「やっぱり無理です」
「…………何?」
「ごめんなさい。無理です。婚約したくありません!」
ミルティアは言った。
「お前は自分が何を言っているのか、わかっているのか」
「わかっています。ごめんなさい。嫌です!」
無理矢理腕を引っ張られて、馬車から引きずり下ろされる。
パシッと頬を張られ、ミルティアはよろめいた。
お父様が激怒するのも無理はない。
「今更、何だ。先方に迷惑をかける気か? それは許さないことだぞ!」
「ご、ごめん、なさい。ごめんなさいぃ……」
「お前はロー侯爵家を潰す気なのか!!」
大粒の涙が溢れてどうにもならなかった。
ミルティアは子供のように泣きじゃくりイヤイヤと首を振り続けた。
嫌だ嫌だ嫌だどうしても無理ごめんなさいごめんなさい婚約したくない!!!
「ミルティア! いい加減にしなさい!!」
お父様が腕を掴み、強引に立たせようとしてくる。
ミルティアは地面にうつ伏せになり必死で抵抗していた。衣装も、手足も、顔までも砂まみれにして、髪を振り乱し、みっともない姿を晒しているのは百も承知だ。
何事かと、外の騒ぎを聞きつけ、大聖堂の中からわらわらと人が出てきた。
その中に何故かヒュー兄様がいて。
どうしてヒュー兄様がこんなところに?、なんて疑問に思う隙もなく、ミルティアはお父様の制止を振り切って駆け出した。
「ヒュー兄様!!」
ミルティアは思いっきりヒュー兄様に抱きついて泣き叫んだ。
「婚約したくない! 婚約したくないよぉ! ヒュー兄様が好きなの! どうしても忘れられない! お願い私を受け入れて! いつもみたいにミルティアの我儘聞いてよ!!」
うわぁぁん!! と泣き喚きながら、心の中で思った。「終わった」と。
こんな醜態を晒して、淑女にあるまじき行為。
人前で王太子殿下に泣いて縋るなんて、許されざる、とんだ醜聞だ。
しばらくミルティアの背中を優しく摩っていたヒュー兄様が口を開いた。
「こんなに砂まみれにして……可愛い顔が台無しだよ」
指で顔の砂を払ってくれながら言う。
「本当に君は目が離せないね。僕が一生見守っててあげないと」
ミルティアが反射的に顔を上げると、そこではヒュー兄様が困った表情で笑っていて。
「とりあえず、さっさと僕たちの婚約の儀、済ませてしまおうね?」
ミルティアの巻き起こした大騒動のせいで、婚約の儀は大幅に押したが、それもつつがなく終えた。
そして今、ミルティアはヒュー兄様に伴われて、礼拝堂の片隅に腰を下ろしている。
「なにがなんだか…………」
ミルティアの頭の中はまだ混乱していた。
「私、いろんな方々に迷惑をかけてしまって……謝らなくちゃ」
「そうだねぇ。一緒に付いていてあげるから、後で謝りに行こうね」
お式には国王陛下や王妃様まで参列されており、それを知った時には全身血の気が引いた。なのに咎められるでもなく、式の中止を言い渡されるでもなく、今ここにこうしていられるのは奇跡でしかない。
「父上も母上も、みんな君のことを気に入っているからね。早く婚約してしまえってせっつかれてたくらいなんだから」
ヒュー兄様がサラリととんでもないことを口にする。
ミルティアの長年の王宮通いに伴って、陛下はともかく、王妃様とは接触の機会も多く、何度かお茶にも誘われて共に過ごすこともあったけれど……
「本当に? 本当に私がヒュー兄様の婚約者? 夢ではありませんよね?」
「夢じゃないよ。ほら」
笑いながら頬っぺたをぷにぷにされる。くすぐったい。
「君との婚約期間は1年だけだからね」
「……………………ぇ」
まさかの1年後に婚約破棄宣言!?
……かと思ったら、どうやら違うみたいで。
「君はなんだか婚約者と言うものに並々ならぬこだわりがあるみたいだから、今はまだ婚約で我慢するけど。本当ならもう結婚してしまいたいんだよ、僕は。だから1年後、ティアには僕のお嫁さんになってもらうよ」
ヒュー兄様のお嫁さん……なんて甘美な響き……
奇しくも、幼い頃願った夢が現実のものになろうとは。
「私、頑張りますね。妃教育などは、今からでも間に合うのでしょうか……」
「大丈夫だよ。もう終わってるから」
「………………ん?」
「何のために、毎日王宮で勉強してたと思ってるの?」
「え? あれって淑女教育だったのでは?」
「まさか。単なる淑女教育のために、わざわざ王宮に通わせたりしないよ」
なんと。
あの辛くて厳しい、何度も泣きながら受けた授業がまさかの妃教育だったとは。
ええー。言ってよ。
「ヒュー兄様はいいんですか? 私は、その……妹みたいなもの、ですよね……」
「僕はティアを妹だなんて思ったことは一度もないよ。初めて会った時から君が可愛くて可愛くて、好きでたまらなくて、君が大人になるのをずっとずっと待ってた」
はう!!
突然の告白に、思わず顔が真っ赤になる。
初めて会った時って私が5歳だよ。え、ヒュー兄様って、実はロリコ……(ゲフンゲフン)
そんなミルティアの思考を見透かすかのように、目を細めるヒュー兄様。怖……
「僕は10年間待った。そして本当はもっと待つつもりだったんだよ。もう少し自由でいられる時間を与えてあげようと思っていたのに。君が婚活だなんて言い出さなければね」
うひゃあぁ! バ、バレてるぅ、婚活のこと……
ちょっと焦る。
「婚約は契約だ。君とロー侯爵家を王家に縛り付けてしまう鎖でしかない。君はこれから何をするにも行動が制限される。今までのように自由に振る舞うことはもう出来ないんだよ。ちゃんとわかってる?」
「ちゃんとはわかってない……かもしれませんけど、それでも私はヒュー兄様と一緒にいたい」
「それでも、僕の勝手な一存でティアの自由を奪ってしまったことには変わりないんだよ」
「勝手な一存だなどと仰らないでください。私もそれを望んでいます!」
ヒュー兄様は「ありがとう」と言うと、とろけるような笑みを浮かべた。
「だからね、これからもティアのお願いは何でも聞いてあげる。君のことをとことん甘やかしたいんだ」
「……本当にいいんですか? ミルティアは我儘ですよ?」
「本望だよ」
ミルティアの手を取り、軽く口づけしてくるヒュー兄様。ドキンと胸が高鳴って、どうしようもなく囚われる。
「だけど、我儘を言うのは僕にだけにしてね。誰彼構わずキスしてくれだなんてお願いしちゃダメだよ」
「あ、あれは!! ヒュー兄様にしか言うわけないです! わかってるくせに! ヒュー兄様のバカ! イジワル!!」
プイッとむくれるミルティアを、ヒュー兄様は笑いながら抱きしめてきて。その温かな胸の中、ミルティアは目眩がするほどの幸福感に酔いしれた。
「ヒュー兄様、大好きです……」
「僕もティアが大好きだよ……愛してる」
ミルティアの二度目のキスは、甘酸っぱい初恋の味がした。
fin.
※ お読みいただきありがとうございました。
※ 機会があったら後日談でも投稿出来たらいいなと思っています。