英雄の誇り
エミリアは姿見に映る自分の姿を眺めた。
そこには夏の青空のような深い青色のドレスを着た少女が立っている。
花の蕾が開いたかのようにふくらんだシルエットのドレスは、裾にいくほど色が白く抜けていて神秘的だ。
白銀の髪を青いレースのリボンでひとつにまとめて、青い宝石のネックレスと、星を思わせる小さな石がついた控えめなイヤリングをつけている。
「あの、本当に変じゃない? というか散歩をするのにこの格好はやりすぎでは……」
「やりすぎではありません。大丈夫、とっても可愛いですよ、姫様! これなら王子様もメロメロまちがいなしです」
「私、そんなつもりでは……」
「さあさあ、行ってらっしゃいませ!」
グレーテルに強引に連れ出されたエミリアは、緊張した面持ちでアシェルの待つ客室に入った。
すると、窓から外を眺めていたアシェルが振り向いて、目を見張った。
「お待たせして申し訳ありません!」
「いや……俺が想像していた以上に綺麗だ」
「あ、ありがとうございます」
エミリアは恥ずかしくなって、アシェルの顔を直視することができなかった。
ドレス姿を褒められ慣れていないせいで、たとえお世辞であっても落ち着きをなくしてしまう。他人の賛辞を素直に受けとれないのだ。
「あ、そういえば、キルシュ様の姿が見えませんが」
「あぁ、それなのだが、キルシュは足をひねってしまってな、部屋で休んでいる」
「大丈夫なのですか?」
エミリアは内心どきりとした。
キルシュの死という未来を変えたばかりなので、彼女の身に何かあったのではと不安に駆られた。
「そんなに心配しなくていい。痛みはほとんどないそうだが、大事をとって休んでいるだけだ。提案したのは自分なのに申し訳ないと言っていた」
「そうでしたか。大きな怪我じゃなくてよかったです。では中庭の散歩は、キルシュ様が回復されたときにでも……」
「俺はきみとふたりきりでも問題ないと思っているが、どうだろうか」
「それは、もちろん、アシェル様さえよければ」
じっと赤い瞳に見つめられて、エミリアは思わずうなずいていた。
その瞬間、アシェルはうれしそうに目を細めた。
「そうか、では行こうか」
「はい。ご案内いたします」
アシェルにうまく乗せられた気がして、エミリアはモヤモヤするような、気恥ずかしいような複雑な気持ちになった。
ふたりが中庭に出るころには、沈む夕陽が湖や草原を赤く照らしていた。
二度目の襲撃を警戒しているため、案内する場所は近くの丘や湖に限られるが、アシェルは柔らかい土と草の感触を楽しんでいるようだった。
お互い武器も持たずに並んで歩くというのは、不思議な気分だ。
「すごいな」
「お気に召していただけたでしょうか」
「あぁ! フェルゼンは石だらけの土地だからな。豊かな水源と肥沃な大地を持つ国とは聞いていたが、実物はやはりすごいな」
アシェルは土の温もりをたしかめるように、地面に手をついた。
エミリアもアシェルもあえて口にしなかったが、この恵まれた土地をめぐって幾度も戦争が起きたと言われている。
血を吸う大地。かつてエーデルシュタインはそう呼ばれていた。
吹き抜ける風がエミリアのドレスを揺らした。アシェルのおかげで、エミリアの手元に残ったドレスだ。
「アシェル様。もう一度お礼を言わせてください。母の遺品を守ってくださってありがとうございました」
「気にしないでくれ。俺は自分のしたいことをしただけだ」
こちらを見つめる赤い瞳が燃えているように見えて、エミリアはつい見惚れてしまう。
「王妃とは、いつもあんな感じなのか?」
「はい。私はお母様の言うことには逆らえませんから」
エミリアは自嘲気味に語った。
「戦姫はドレスを着るよりも、戦姫の正装を着ていることがほとんどですから、お母様の言うことも一理あると自分を納得させていました。でも、ドレスやアクセサリーが手元に残ったとき、とても安堵したと同時に、本当はたまらなく悔しかったことを自覚しました」
なぜ、こんなことをアシェルに聞かせているのだろう。エミリアは途中で我に返ったが、一度あふれ出した言葉は止まらなかった。
母やグレーテル以外に本音を吐き出したのははじめてで、エミリアは制御できない感情にとまどいを覚える。
アシェルは赤々と染まる湖に視線を向けて言った。
「俺は貴族令嬢たちがなぜあれほど着飾るのか、いつも不思議でならなかった。良き縁談をもらうためだとわかっていても、重そうなドレスとゴテゴテとした宝石が邪魔そうで、彼女たちを見るたびに辟易としていた。そんなときにキルシュに言われたのだ」
「キルシュ様は、なんと?」
「それは彼女たちにとって最大の武器である。俺にとっての英雄の力であり、神剣であると」
愛らしくも凛々しいキルシュの姿が思い浮かんだ。
「彼女たちは親の財力をアピールすると同時に、家の名を背負って戦っている。ドレスを他人に奪われることは、命を奪われる以上の恥だと思っている者もいるという」
「命を奪われる以上の、ですか」
夕陽に照らされたアシェルの横顔は、真剣そのものだった。貴族令嬢たちの覚悟を、彼は決して笑わない。
「生きるか死ぬかしかない戦場では、衣装など気にしてはいられないが、かといって蔑ろにしていいものではないと気づかされた。なぜなら人々は神剣をたずさえ、英雄の衣装をまとう俺の姿を見ている」
エミリアの脳裏に、かつての雨の戦場が浮かんだ。
あのとき対峙したアシェルは、戦姫の衣装を軽んじたエミリアを冷たく見下ろしていた。
「俺は受け継がれたものすべてに誇りをもっている。だからこそ、きみの誇りを奪われたくなかった」
その言葉で、ようやくあのときの疑問が氷解し、目の前がぱっと明るくなった気がした。
衣装などどうなろうと関係ない、と冷静さを欠いて無様をさらしていたエミリアに、アシェルは「それにすら誇りをもてないようでは、俺と戦う資格はない」と言っていた。
そのアシェルが、英雄の誇りであるマントを渡してくれた。そのことに大きな意味がこめられていた気がして、胸の奥に切ない思いがあふれた。
カサリと草を踏む音がして、エミリアは顔をあげる。アシェルとエミリアは、手をのばせば触れられる距離にいた。
間近に迫った赤い瞳に焼かれてしまいそうだった。
「俺のほうこそ、もう一度礼を言いたい。暴走していた俺を止めてくれて本当に感謝している。きみは俺とちがって力を使いこなせているのだな」
「そんなことはありません。まだまだ未熟ですよ」
エミリアはあわてて頭を振った。
受け継がれた女神の力はとても強力で、この時代のエミリアはアシェル同様にフランメの制御に苦しめられていた。
暴走しないのは、十年分の知識があるおかげだ。
「いや、謙遜することはないさ。きみの戦姫の力は見事だった。俺も訓練をつづけているが、やはり制御が難しい。この力が暴走してしまえば、フェルゼンの魔術師たちでは止められないだろう」
アシェルはひどく困っている様子だった。
強力な魔術師が指導者となり、王となった世界であるため、王族以外に規格外の力を持つ魔術師は稀である。
だからこそ歴代のフェルゼンの英雄や戦姫のフランメ制御訓練は、ほとんど実戦でおこなわれてきたのだ。
「たしかに俺は受け継いだ英雄の力を誇りに思っているが、同時に今回のことで恐怖を覚えてしまっている。この力はまた誰かを傷つける凶器になるのではないかと……」
右手を見つめて不安そうに瞳を揺らすアシェルの姿に、破壊の王と呼ばれ恐れられた十年後のアシェルの姿が重なった。その大きくなった右手は、血にまみれていた。
「ちがいます!」
エミリアは衝動的にアシェルの右手を両手で包みこんだ。罪を知らない、まっさらな小さな手だ。
「力は使い方次第で形を変えます。この戦姫の強すぎる力が、キルシュ様を守る盾となったように」
エミリアがアシェルの手をにぎると、それに応えるように軽くにぎり返してきた。
「あなたの力は、あなたのためのものです」
「俺のため? 誰かのためではなく?」
アシェルがおどろいたようにエミリアを見つめた。
強い力を持つ者は相応の責任と義務がある。その力は人々を救うためのものである。エミリアはそう教育されてきた。
アシェルの反応から、フェルゼンでも同じような教育を受けているのだろう。
「いまはまだ制御が難しくても、それを使いこなせたそのときは、あなたの一番の味方となってくれる力です」
「俺の、味方」
「そうです。いざ味方にしてしまえば、こんなにも心強い存在はありません。その力はきっとあなたの手足となり、あなたを助けてくれる。あなたが願えば、誰かを守る盾にもなるのです。だから……」
エミリアは祈るように言った。
「自分自身を傷つけないでください」
アシェルはエミリアの言葉に衝撃を受けたように、しばらく黙りこんでしまった。彼はいま、何を考えているのだろう。
しばらくして、アシェルは口を開いた。
「そうだな……俺はこの力を勝手に凶器などと名づけて、誰かを害する力だと決めつけていた」
アシェルはエミリアの手に空いていた左手を添えて、穏やかに微笑んだ。
「ありがとう。もうあんなことは言わないよ」
その顔に、先ほどのような迷いや悲しみは見受けられない。とても清々しい表情をしていた。
エミリアはうれしくなって、何か彼の役に立てないだろうかと思考をめぐらせた。
「もしよろしければ、ここにいる間は一緒に力の制御訓練をしませんか? 必ず力になってみせます」
アシェルは夕陽の中でもわかるくらいに目元を染めて、はにかんで笑った。
「あ、ありがとう……では、よろしく頼む」
「はい! お任せください」
アシェルの無邪気な笑顔がまぶしくて、エミリアもつられたように微笑んだ。
もう二度とアシェルがその力を憎まないですむように、エミリアはとことん力になってみせると決意した。




