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火の海

 男は首都シュタールの路地から、周囲の様子をうかがっていた。

 視界の先には円形の巨大な広場があり、その広場を囲うようにして線路が敷かれている。

 この広場は交通機関の重要拠点であり、もっとも人の往来が多い場所である。

 いまからここが導火線となって、シュタールは火の海となる。土を焼いて消毒するように、まやかしの平和に毒された人間たちを浄化する。

 男は使命感に燃えていた。

 フェルゼンは圧倒的な英雄の力で周辺の民族を吸収し、肥大化した国だ。

 蹂躙された我が先祖の憎しみや屈辱を、この国の病巣たる王家に味わわせる。男の顔は恍惚としていた。

 これが新生フェルゼンの船出だ!

 男が意気揚々と路地から出て、右手に集中させた火のフランメを広場に突き出そうとした。

 しかし、先ほどまで高まっていたはずのフランメの気配が消失し、不思議に思って右手を見ると、そこには手首から先が失われていた。


「ん?」


 足元を見ても、右手は見当たらない。

 遅れてやってきた痛みとあぶられるような熱に、男の呼吸は次第に早くなり、その場に両膝をついた。額に玉のような汗が浮かぶ。

 

「お探し物はこれか?」


 男は震えながら振り返ると、そこには赤髪の褐色肌の青年が立っていた。その手には、男の右手がにぎられている。


「私はアシェル様の騎士、ヴォルフという」

「第一王子の、近衛騎士……」


 ヴォルフは無感情に男を見下ろした。


「シュタール魔術師学校にて不祥事を起こし退学。その後は反王政派組織と合流、現在は先導者のひとりとなって立派な犯罪者として活躍」 


 カツンと鋭い靴音が路地にひびいて、男はびくりと体を跳ねた。

 動けば死ぬ、その予感に背筋が寒くなる。


「先祖の憎しみなどわざわざ持ち出しておいて、真の目的は自分を認めなかった人々へ復讐とは、崇高な使命だな。本当は自分の魔術がどこまで影響を及ぼすのか、お前の興味はそれだけだろう」


 俺の使命を穢すな! 反射的に叫ぼうとした男は後頭部に衝撃を受けて、ぐるりと白目をむいてうつ伏せに倒れた。

 いつの間にか男の背後に移動していたヴォルフは、冷めたまなざしで男を見下ろしてつぶやいた。


「まずはひとつ」


 狩りがはじまった。




 表向きはどこにでもありそうなパン屋の地下で、複数の男たちが口を布でふさがれ、手足を縄で拘束されていた。

 さらにもうひとり、隣の部屋から大柄な男が吹き飛んできた。

 男は鈍い音を立てて床を転がり、大の字になって気絶している。

 隣の部屋から靴音を立てて姿を現したアシェルは、隣に控えていた騎士に目配せをする。騎士は手慣れた様子で素早く男を拘束した。

 エミリアはその様子を見つめていると、アシェルと目が合った。

 アシェルになんとも言えない笑みが浮かんで、エミリアは神槍を胸に抱いて、うつむいた。


「申し訳ありません、アシェル様。出過ぎたまねをしました」

「いや、ちがう、きみは根からの守護者であり戦姫だと再認識しただけだ。おかげで迅速に制圧ができた。感謝する」


 アシェルの称賛が素直にうれしくて、エミリアはようやく顔をあげた。

 エミリアは、アシェルの反王政派制圧作戦に飛び入りで参加した。

 反王政派が首都シュタールを襲撃するという動きをすでに把握していたアシェルは、エミリアには内密で処理しようとしていた。

 しかし、騎士たちの間に走るわずかな緊張感から、エミリアは戦場の空気を察知した。長年聖戦を戦い抜いたゆえの勘である。そこからエミリアはアシェルの部屋に突撃し、ほぼ強引に作戦に参加したという流れだ。

 あきれられていないか、とすべてが終わってから不安になっていたエミリアは、アシェルの言葉でほっと安堵の息をついた。


「しかし、エミリア様の槍さばきはすばらしかったです!」


 アシェルに気絶させられた男を拘束していた騎士のひとりが、人懐こい笑みを浮かべて言った。歳は十四、五くらいだろうか。ふわふわとした雲のような、柔らかそうな金髪が特徴的な美少年である。

 部屋の隅からべつの男の足をつかんで引きずっていたもうひとりの騎士も、同意するように熱のこもった声をあげた。


「そう、まるで銀の矢のごとく! こいつら、何が起きたかわからなかったんじゃないですかね!」


 こちらはエミリアたちと同い歳くらいの茶髪の騎士だ。端正な顔にはまぶしいほどの陽気さがにじんでいる。

 アシェルの騎士たちに称賛され、エミリアは恥ずかしそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。あなた方の足を引っ張ることがなくてよかったです」

「エミリア様、とっても謙虚なお方なのですね。もっと威張ったって誰も変に思わないのに」

「こんなに強くて優しくておいしいカップケーキも作れるなんて完璧じゃないっすか!」


 このふたりはエミリアの部屋で眠るアシェルを警護するということで、その労いのためにカップケーキを振る舞ったことがある。

 そのときから、アシェルの信奉者でもあるふたりの騎士はエミリアに懐いていた。

 聖戦時代に出会ったことはないが、こうして新たな絆を結べるのはとてもありがたいことだ。


「カップケーキ」


 アシェルがぽつりとつぶやくので、ふたりの騎士は表情を強張らせた。


「さ、作戦中に申し訳ありません!」


 さすがに不謹慎だった、とふたりは声をそろえて謝罪したが、アシェルの表情には特に怒りの表情は見えない。

 エミリアは、騎士たちが自分よりも先にカップケーキを食べたことをいまだに根に持っているのかと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。

 視線はここではないどこかを見つめ、何かを思案している様子だった。

すると、アシェルはエミリアに視線を向けて言った


「きみの作ったカップケーキが食べたい」


 エミリアはなんだか拍子抜けして、それからはにかんで笑った。


「うれしいです。またお作りいたします」

「楽しみだ」


 アシェルは優しく目を細めた。

 ふたりの騎士たちは顔を見合わせて、ほっと安堵の色を浮かべた。

 しかし、エミリアはアシェルの表情に引っかかっていた。

 この言葉は彼の本心だったのだろうか。あの一瞬、本当は何を考えていたのだろうか。

 そのとき、遠くで爆発音がして、地面が軽く左右に揺れた。

 エミリアたちが急いで建物の外へ出ると、街のいたるところから黒煙があがっていた。

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