フローラオリーブ王妃
空に月を残したまま、夜が明けようとしている。
まだ薄暗い早朝に、エミリアはひとりでアシェルに案内されたバルコニーを訪れていた。
城下町にはぽつぽつと明かりが見えるが、寝不足の国も大人しく眠りにつく時間らしい。
早くに目が覚めてしまったエミリアは、朝からリヒターの説得や試練のことをぐるぐると考えてしまい、気晴らしにここへ訪れたのだ。
静寂の国を吹き抜ける涼しい風が、エミリアの白銀の髪を高く舞いあげる。
岩と石の山に囲まれた背の高い建造物の多い国。エーデルシュタインが自然の美しさを誇る国ならば、フェルゼンは人の生命力を体現した美しさがある。
からまった思考がほぐれて、ぼんやりと景色を眺めていたエミリアは、背後に迫る気配に気づいて素早く振り返った。
「何者です」
「さすがは戦姫だ」
聞き覚えのある低音に、エミリアの全身に緊張が走った。
城内の闇の中から姿を現したのはリヒターだ。突風が吹きこみ、漆黒のマントがひるがえる。
リヒターは寝衣ではなく、国王の装束に身をつつんでいた。黒髪にも乱れはない。
エミリアも髪をまとめて薄く化粧はしているが、白い質素なドレスにケープを羽織っただけという格好なので、もうすこしまともなドレスを着ておけばよかったと後悔した。
リヒターはエミリアからふたり分ほどの距離をとって並んだ。
その横顔は歳を重ねたアシェルそのものだ。
あまり見つめるのは失礼だと思い、エミリアも同じように欄干に手をついて、眠りについた城下町を眺める。
「ここで何をしている」
リヒターはこちらに視線を向けないまま、冷たい声で問いかけた。
「目が覚めてしまったので、朝の散歩に来ました」
彼はなぜここに来たのだろう。その視線の先をたどろうとすると、まるでそれを咎めるように赤い瞳がエミリアを射抜いた。
「私はまだ、あなたを認めていない」
「まだ」ということは、これから検討してもらえる可能性があるということだろうか。エミリアは前向きに捉えて、リヒターをじっと見返した。
「アシェル様とともにいることを、あきらめるつもりはありません」
「その感情を恋だと思うなら勘違いだ。反対されるほど感情は高まるという。聞けば、最初はカルロッタ王妃に強く反対されたそうだな。それをあれが強引に通例までとりつけたのだと」
「よくご存じなのですね」
アシェル様のことを、と言外に語ると、リヒターは舌打ちをしそうなほど顔をしかめた。
素直に答えたつもりが、皮肉っぽく応じてしまった。エミリアは顔を青ざめた。
「も、申し訳ありません! ただ、リヒター陛下がアシェル様のことを心配されているのだとわかって、うれしくて」
リヒターはすこしおどろいた様子でエミリアを見つめていたが、すぐにその視線をそらした。
気まずい沈黙が流れるが、それを破ったのはリヒターだった。
「愛とは、相手の心の美しさを見出すこと」
意外な言葉に、エミリアは目を見張った。
「アシェルとキルシュを産んで死んだ我が伴侶の言葉だ」
「え?」
エミリアはリヒターから語られた王妃の死に、ひどく驚愕した。
なぜなら、リヒターの伴侶である王妃フローラオリーブは、エミリアの母と同じく病で亡くなったと聞かされていたからだ。




