義母と戦姫の誇り1
アシェルとキルシュを救出した日の午後のこと。
アシェルが目を覚ましたという知らせを受けて、エミリアは急いでドレスに着替えて、応接室でふたりと対面した。
おそろいの赤い瞳がこちらに集中するので、エミリアは緊張した面持ちで挨拶をして、ソファーに腰をおろした。
向かいに座っているアシェルとキルシュは双子というだけあって瓜二つだったが、その愛らしい顔に浮かべた表情にはそれぞれ個性があった。
「あらためまして、わたくしはフェルゼン王国第一王女、キルシュブリューテ・フェルゼンと申します。気軽にキルシュと呼んでくださいね」
キルシュはわざわざ立ちあがると、桃色のドレスの裾をつまんで軽くお辞儀をした。ふわりと浮かべた笑顔がとても愛らしい姫君である。フェルゼンらしいほっそりとしたシルエットのドレスと、フェルゼンの特産品である赤い宝石のネックレスがとてもよく似合っていた。
キルシュが座ると、今度はアシェルが立ちあがった。
彼はキルシュとは異なり、こちらが緊張してしまうほど真剣な顔をして言った。
「俺は第一王子のアシェル・フェルゼン。フェルゼンでもっとも強い魔術師に与えられる称号、フェルゼンの英雄を継ぐ者だ」
アシェルは向かいに座るエミリアのそばまでまわりこむと、その場で片膝をついて、エミリアを上目遣いに見つめた。
「あ、アシェル様?」
「エーデルシュタインの戦姫、エミリアマリー王女」
アシェルに左手をとられて、エミリアの心臓がどきりと波打った。
「きみが助けてくれなければ、俺はキルシュの命を奪っていた。本当に感謝している。この恩は必ず返す」
真剣なまなざしで見つめられて、エミリアは内心ひどく動揺しながらも、なんとか笑みを浮かべた。
「気になさらないでください。おふたりがご無事で本当によかったです」
アシェルの手にキュッと力がこもって、エミリアは悲鳴をあげそうになるのを必死でこらえた。
子供の姿をしていても、そのまなざしはまちがいなくフェルゼンの英雄そのもので、エミリアはどうしても落ち着かない。
「ませた子供だな」
背後で様子を見守っていたシュトラールがぽつりとつぶやくと、アシェルはあわてて手を離した。ある意味助け船とはなったが、その内容にエミリアは赤面してしまう。
「すまない! 勝手に手を触れてしまって、その……」
「だ、大丈夫ですから!」
アシェルの秀麗な顔にうっすらと朱がのぼった。
あの英雄が照れているという事実が信じられなくて、エミリアの心臓がバクバクと早くなる。
その様子を見ていたキルシュが、口元を手で隠して上品に笑った。
「まあ、アシェルったら真っ赤じゃない」
「うるさい」
アシェルは頬をふくらませた。
その気安いやりとりから、とても仲の良い姉弟だとわかる。
エミリアが過去にもどって来たからこそ得られた光景だと思うと、胸に切ない痛みが走った。
キルシュを魔術の暴走に巻きこんでしまったアシェルは、どんな思いで国に帰ったのだろうか。
「そうだわ、エミリア様!」
キルシュの声に、エミリアははっと我に返った。
「あ、はい、なんでしょうか」
「よければ、中庭を案内していただけないでしょうか? わたくし、エーデルシュタインの美しい庭を歩いてみたかったのです。ねぇ、アシェル」
「そうだな。どうだろうか、エミリア様」
キルシュの隣にもどったアシェルが、再びエミリアを見つめる。
キルシュはともかく、アシェルに「エミリア様」と呼ばれるのは不思議な気分だ。聖戦時代では名前ではなく「戦姫」と呼ばれていた気がする。
「私でよければご案内させていただきますが……」
そこでエミリアはふたりの顔を交互に見た。
「おふたりとも長旅で疲れていませんか? アシェル様はフランメを大量に消費しておりましたし……」
「眠ったら回復した。散歩くらいは問題ない」
「えぇ、わたくしも問題ありませんわ」
「でしたらご案内させていただきます。襲撃があったばかりですから案内できる場所は限られますが、それでもよろしければ」
「あぁ、頼む。とても楽しみにしている」
屈託なく顔をほころばせるアシェルに、エミリアはこんなにも明るく笑う人だったのかと衝撃を受ける。
エミリアは急に落ち着かなくなって、勢いよく立ちあがった。
「で、では警備関係の調整をおこないましたら、すぐにお迎えにあがります」
「わかった。待っている」
「ありがとうございます。楽しみにしておりますわ」
エミリアはふたりにお辞儀をして、逃げるように応接室をあとにした。
長い廊下を歩いていると、グレーテルがエミリアの後ろにぴったりとくっついて上機嫌に言った。
「うわさどおりの美少年と美少女でしたね。おふたりに気に入られるためにも気合いを入れましょうね」
「そこまで気合いを入れる必要は……」
「だめですよ。アシェル様は未来の旦那様かもしれないのに!」
「そ、そんなはずないでしょう!」
楽しげに未来を語るグレーテルに、エミリアは深いため息をついた。
アシェルに対する感情はとても複雑だ。
エミリアの体感では、つい先ほどまで十年後のアシェルと殺し合いをしていたのだ。いくら聖戦前にもどったからといって、きっぱりと気持ちを切り替えることは難しい。
エミリアが顔をあげると、自分の部屋の扉が大きく開いているのが見えた。そこに続々と使用人が入って行く。
「私の部屋、ですよね?」
「あれは王妃様の使用人!」
グレーテルはその顔に怒りを浮かべて、エミリアの部屋へと飛びこんだ。
エミリアも急いでそのあとにつづく。部屋には、クローゼットの中のドレスを物色する王妃の姿があった。
「何をしておられるのです。ここはエミリア様の部屋ですよ」
グレーテルが鋭く言い放つと、たっぷりのフリルとレースで飾られたドレスを身にまとった女性がくるりと振り返って眉根を寄せた。美しいが気の強そうな雰囲気の女性である。まぶたを彩る紫の陰影が毒々しい。
「そのエミリアの母である私がここにいようと、何も問題ないでしょう?」
王妃は巻いた茶髪を指で遊びながら、同意を求めるようにエミリアを見下ろした。
カルロッタ・ジル・エーデルシュタイン。エミリアの母が亡くなってすぐに迎えられた新しい王妃である。
以前からエミリアの母を敵視していたらしく、その娘であるエミリアを毛嫌いしている。
「戦姫のお前にはこんなドレスを着る機会はないでしょう。宝の持ち腐れですから、私たちが使ってさしあげるのですよ」
カルロッタは再びクローゼットのドレスを物色して、満足そうにうなずいている。
「悪くはありませんね。これはミラのドレスにしましょう。そこの箱にはアクセサリー類が入っているはずですから、箱ごと運びなさい。あら、この手鏡も悪くないわね」
「王妃様」
グレーテルがさえぎるように声をかけた。
「ここにあるものすべてがエミリア様の母君のものであり、エミリア様に受け継がれたものでございます」
部屋のものすべてを所有物のように扱うカルロッタに、グレーテルは怒りを抑えながら言った。
「だからぁ、私が有効活用してあげると言っているのです。なにも奪おうって話じゃないでしょう? まるで人を盗賊のように責めるのですから、あいかわらず失礼な娘ね。ちょっと借りるだけですよ」
カルロッタは手鏡に映る自分の顔に夢中のようだった。
「以前もそうやって!」
「よしなさい、グレーテル。どうぞ、妹たちに渡してください」
「姫様!」
抗議しようとするグレーテルに、エミリアは頭を振る。カルロッタには何を言っても無駄なのだ。
それに父であるディリゲント王はエミリアよりも新しい王妃と、その間に生まれた姫たちを可愛がっている。
逆らえば、カルロッタにあることないことを吹きこまれたディリゲントに厳しく叱られるので、エミリアはカルロッタ相手に強く出ることはできない。
いつものことだから大丈夫。エミリアはそう自分に言い聞かせるが、母が大切にしていたドレスやアクセサリーを奪われることは、母との思い出まで奪われていくような気がして悲しかった。
「待て」
鋭く切りこむような少年の声がひびいた。




