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消失の騎士

 広大な中庭の平原を進んでいると、地面に穴があいたように大きな湖が見えてくる。その中心で、奇跡の女神の神殿のように美しい白亜の建物が神聖な輝きを放っていた。その周囲をぐるりと囲むように、縦にのびた紫色のベロニカの花が無数に咲いている。

 建物内に通じる唯一の白い橋を渡りながら、ヴォルフが真っ白な屋敷を見上げて感嘆の声をあげた。エミリアは誇らしい気持ちになった。アシェルをここへ招待すれば、おどろいてくれるだろうか。

 エミリアは門番をつとめる警備兵たちに扉を開けてもらって、中に入った。

 玄関正面に階段があり、踊り場の部分で左右にわかれる両階段の設計となっている。

 玄関ホールには窓がないため無数の魔術灯が設置されているが、外観の輝きに対して、この屋敷内の暗さには、べつの意味でおどろかれるかもしれない。

 エミリアは、この落ち着いた内装を懐かしく思いながら見回した。


「ここもきちんと管理されていたようですね。何ひとつ変わりありません」

「ですが姫様、あのうわさを聞いたせいか、すこし不気味に感じますわ」


 グレーテルは暗がりから何かが飛び出すのではないか、と必要以上に怯えた様子で言った。


「ただのうわさですよ」

「もう、姫様だって昔はアンデッドが存在すると信じてひどく怯えていらっしゃったというのに! 全身ドロドロに溶けたゾンビが生者の肉を求めてやってきたらどうするおつもりです!」


 両手を肩の高さにのばしてゾンビの真似をするグレーテルに、エミリアはあきれたように小さく笑った。


「グレーテル、私をいくつだと思っているのですか、もう子供ではありませんよ。ねぇ、ヴォルフ」


 ヴォルフに同意を求めると、周囲を警戒していたらしいヴォルフがびくりと体を震わせた。

 目の瞳孔が開いていて、前髪からのぞく額にはびっしりと脂汗が浮かんでいる。


「エミリア様のおっしゃるとおりでございます!」

「ヴォルフ、大丈夫ですか?」

「な、何も問題などございません。おふたりは、こ、この命に代えてもお守りいたします!」


 ヴォルフは青ざめながら、精一杯声を張って言った。

 尋常ではないほどに呼吸が荒く、ほんのすこしの物音にもビクビクと反応してしまうほど怯えていて、グレーテルの靴音にも小さく悲鳴をあげていた。

 それを見たグレーテルが、にまにまと意地悪く目を細める。


「まぁ……近衛騎士様のなんとお可愛いことでしょう」

「およしなさい、グレーテル。他の部屋に誰かひそんでいないか確認しながら、メインになるダンスホールがどうなっているか確認しましょう。二階から見てみましょうか」

「了解、しました」


 小動物のようにカタカタと震えているのがあまりにも可哀想で、エミリアは二階へとあがりながら、ヴォルフの気を紛らわせようと話しかけた。


「ヴォルフ、良い機会ですから、お互いを知るためにいろいろ話をしてみませんか」

「ありがたいお言葉です。しかし、私の話などとてもエミリア様にお聞かせできるような内容ではありませんが……」


 多少は気が紛れたのか、ヴォルフの表情がやわらいだ。


「アシェル様との出会いとか、どうでしょうか。無理にとは言いませんよ」


 ヴォルフはアシェルの名前に喜色を浮かべたのだが、それでも話すのをためらう素振りを見せた。


「アシェル様との出会いをお話しするには、どうしても私の生まれをお話しする必要があります。そのあたりは大して面白い話ではないので、軽く聞き流していただいてかまいません」


 そう前置きをして、ヴォルフは語りはじめた。


「私とアシェル様の出会いは、十年前にさかのぼります」


 十年前というのは、エミリアとアシェルが出会ったときと同じ年になる。なんだか運命じみたもの感じて、エミリアはヴォルフの横顔を見つめた。

 長い廊下の右手側には大きな窓があって、ヴォルフはその窓の向こうに見える緑あふれる世界を眺めている。


「フェルゼンは痩せた土地が多く、作物もなかなか育ちません。十年前のフェルゼンでも、飢餓による紛争があとを絶ちませんでした」


 風にうねる若葉を見つめるヴォルフの瞳は、切なく細められている。 


「紛争により親を失い戦災孤児となった私は、ひとつ下の妹とともに毎日食べ物を盗み、なんとか生きながらえていました」

「妹さんと……」


 戦災孤児はめずらしくないとはいえ、アシェルの騎士であるヴォルフもそのひとりであるとは知らなかった。

 エミリアはヴォルフの壮絶な人生に胸を痛めながら、彼の口から出た妹という存在に強く反応を示した。

 家族への興味がうれしかったのか、ヴォルフはエミリアに向き直って唇に笑みを浮かべた。


「妹の名前はイーリスカトライアと申します。カトライアの名前は、アシェル様にいただいたものですが」


 娘の名前に花の名前をつけるというのは、この時代の王族や貴族たちの流行のひとつで、自分に仕える侍女や騎士に名を与えるというのもめずらしい話ではない。

 エミリアも昔、グレーテルにアリッサムという名前を与えている。


「カトライア……魅力的な人、という意味ですね。素敵です」


 エミリアははじめて聞いたかのように反応したが、その名は聖戦時代からの記憶に深く刻まれていた。

 ヴォルフと同じ赤い髪を伸ばした褐色肌の美しい女性だった。切れ長の瞳には誰にも屈しないという気高さと、獰猛な獣の輝きを宿していた。

 イーリスもまた、アシェルの騎士だった。


「イーリスさんは、いまどうしていらっしゃるのですか」

「死にました。十年前に」

「え?」


 あまりにも呆気なく告げられたイーリスの死に、エミリアは小さくおどろきの声をあげた。呆気なさすぎて、反応が遅れたというのが正しい。

 思わず「そんなはずはない!」と叫び出してしまいそうだった。彼女は聖戦時代に幾度も対決したのだ。

 エミリアの動揺などつゆ知らず、ヴォルフは穏やかに微笑んでいる。その瞳は、妹への追慕の情に揺れていた。


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