分岐点
見晴らしの良い平原でいくつもの馬車が横転しているのが見えた。フェルゼンを象徴する深紅の旗が見えることから、まちがいなく王子と王女を乗せた馬車の列である。
間に合わなかったと不安に駆られるエミリアだが、襲撃者はフェルゼンの騎士たちに制圧されたあとのようで、襲撃者と思われる黒い外套に身を包んだ者たちは拘束されていた。
しかし、騎士たちはどこか浮き足立った様子だ。
「王子と王女の無事をたしかめなければ!」
エミリアを乗せたシュトラールが馬車の列に近づこうとした瞬間、轟音が鳴りひびいて地面が激しく揺れた。
フェルゼンの騎士や使用人たちの悲鳴があがる。
すると、横転した馬車のひとつから、天に向かって光の柱がのびた。
その光の中心に立っていたのは黒髪の少年だ。
少年の前には、呆然と少年を見上げている長い黒髪の少女の姿がある。身動きがとれない状態なのか、彼女は座りこんだまま逃げようとしない。
「魔術の暴走だ」
シュトラールが近づきながら言った。
「襲撃者を迎撃しようと発動させたはいいが、制御できないようだな。このままではあの娘が巻きこまれるぞ」
「させません! 近づいてください!」
「どうするつもりだ」
「もちろん、ふたりとも助けます」
「よろしい、やってみろ」
シュトラールはさらに速度をあげて、騎士たちの間を縫うようにしてふたりに近づいた。
聖獣の出現に騎士たちの狼狽える声が聞こえるが、かまってはいられない。
エミリアはシュトラールの背中から飛びおりると、暴走する魔術から少女を背にかばうようにして前に立った。
「あなたは!」
「王女様、ここは私にお任せください」
フェルゼン王家の特徴である赤い瞳が見開かれる。王族らしい気品を漂わせながらも、誰からも愛される魅力にあふれた美しい少女だ。彼女がキルシュブリューテ王女でまちがいない。
エミリアはキルシュをかばいながら、目の前の少年に視線を向けた。
少年の全身から黄金色をした大量のフランメが放出され、竜巻のように渦巻いている。それが光の柱となって天を貫いていた。
整えられていたはずの黒髪は強風に乱され、キルシュと同じ赤い瞳は不安そうに揺れている。彼は内からあふれるフランメをなんとか閉じこめようと、両腕で自分の体を抱きしめている。
エミリアは心の中で少年の名を呼んだ。
アシェル・フェルゼン。
記憶にあるよりも幼く美しい顔立ちには、フェルゼンの英雄と謳われた威厳はない。自身の強すぎるフランメに翻弄されるただの少年だった。
エミリアがアシェルに近づこうとすると、キルシュにローブの裾を引っ張られた。
「逃げてください! アシェルの魔術を止めることはできません!」
「いいえ、それはできません」
キルシュは目を見張った。
不本意ではあるが、エミリアは何度もアシェルと戦い、その魔術に苦しめられてきたのだ。
彼の魔術ならばこの私が一番知っているという自負がある。
「彼に立ち向かえるのは、この戦姫ただひとり」
エミリアは体内のフランメを放出した。エミリアの輪郭をフランメの青い輝きが包みこみ、冷気が足元を漂う。
「戦姫……やはりあなたは」
キルシュが納得したようにつぶやくのと同時に、アシェルの身を包むフランメが強い光を放った。
アシェルは汗の玉を散らし、その顔に悲しみを浮かべて叫んだ。
「逃げろ!」
フランメの光の柱が膨張し、爆発する。フェルゼンの英雄のみが使用する、すべてを無に帰す破壊の魔術である。巻きあげられた土も石も草も、背後にある馬車も、触れるものすべてを塵にして、この世から消滅させていく。はじめから存在しなかったかのように。
エミリアは挑むように魔術を発動させた。
「来たれ、氷の巨人!」
エミリアが叫ぶと、青のフランメの粒子が吸い寄せられるように足元に集まり、土を押しあげ、天を貫くようにして巨大な氷の柱が出現した。
氷は巨大な盾となって、轟音を立てて光の柱に削りとられる。
アシェルの光の柱が細い糸のようになって力を失うのと、エミリアの氷がすべて砕け散るのはほぼ同時だった。
光の柱が消失した余波で、荒れた草原に強い突風が吹いて、砕けた氷が宙を舞う。
「雪だ」
フランメの大量消費で放心状態となったアシェルが、雪のように舞い散る氷を見上げてつぶやいた。アシェルの体を包むフランメの輝きが、ゆっくりとおさまっていく。
エミリアもフランメの大量消費による疲労感に襲われながら、ほっと胸をなでおろした。
王子と王女、ふたりを守ることができたのだ。達成感に包まれて頬がゆるむ。
空を見上げていたアシェルは、エミリアに視線を向けて首を傾げた。
「きみは、エーデルシュタインの戦姫、か」
アシェルのまぶたがゆっくりと落ちて、がくりと膝から崩れ落ちた。
エミリアはとっさに手をのばしてその体を抱きとめる。
意図せずアシェルと接触してしまい、エミリアはひどく動揺した。
「アシェル!」
アシェルを地面に寝かせると、駆け寄ってきたキルシュがアシェルの顔を覗きこんだ。
「大丈夫です。フランメの大量消費による疲労で眠っているだけですよ」
「そうですか……よかった」
「王女様、お怪我はありませんか」
「わたくしは大丈夫です。あなたは?」
「問題ありません」
騎士のような受け答えに、キルシュはすこしおどろいた様子だったが、すぐに口元をほころばせた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、弟に罪を背負わせずにすみました」
エミリアは目を丸くした。キルシュはあの状況で、自分の命よりもアシェルのことを考えていたらしい。
「王女が生きていれば聖戦を止められた」とまで言われていたキルシュは、うわさどおりの聡明さと優しさを兼ね備えた王女のようだ。
そのとき、事情を知らないフェルゼンの騎士たちが駆け寄ってきて、ふたりのそばにいるエミリアに剣を向けた。
「貴様、何者だ! おふたりから離れろ!」
騎士たちをさえぎるようにして、シュトラールが立ちふさがった。
突然の聖獣の登場に、騎士たちが狼狽える。
「剣をおさめなさい」
シュトラールの登場に混乱した騎士たちは、キルシュの凛とした声に正気をとりもどした。
キルシュは立ちあがって、エミリアに視線を向けてから騎士たちを見回して言った。
「このお方は危険を顧みずに、わたくしたちを救ってくださった命の恩人。エーデルシュタインの戦姫、エミリアマリー王女でございます」
ざわめきが波のように広がった。
騎士たちの非礼を詫びる声がどこか遠くに聞こえて、エミリアは力尽きたようにその場に倒れこんだ。
エミリアの名を呼ぶキルシュの声が聞こえるが、それに応える気力すら残されていない。
エミリアは隣で眠っているアシェルの横顔をぼんやりと見つめていた。
少年らしくあどけない寝顔だった。この人はこんな顔で眠るのか、と新鮮な気持ちになる。
エミリアの知るアシェルは、いつだって眉間にしわを寄せて険しい顔をしていた。向こうから見たエミリアも、同じような顔をしていたかもしれない。
「睫毛、長い……」
聖戦時代では考えられないほど暢気な感想をつぶやきながら、エミリアは満足そうにまぶたを閉じた。




