プロポーズの決意
エミリアの部屋へと案内されたアシェルは、懐かしむように部屋を見回した。
「ここに来るのは十年ぶりだな。あの王妃、ようやく返したか」
「アシェル様もこの件で尽力してくださったと聞いています。本当にありがとうございます」
「礼など不要だ。俺のしたことなど微々たるものだからな。きみの行動が実を結んだ結果……というよりもともときみの部屋だが」
気分良く話していたアシェルだが、途中から不満そうに眉根を寄せるので、エミリアはくすりと笑った。
「さあ、アシェル様、ここでゆっくりとお休みください」
エミリアはアシェルの腕を引いて、白いベッドの上に強引に座らせた。
アシェルはめずらしく緊張した面持ちで、エミリアを上目遣いに見ながら言った。
「すまないな、きみのベッドを俺が占領してしまって」
「いいのですよ。ゆっくりお休みください」
「あぁ、お言葉に甘えさせてもらうとするか」
アシェルは首もとのボタンを外して襟をくつろげた。硬そうな白い鎖骨がのぞいて、その仕草もあいまってとても色っぽく見えた。
エミリアは見てはいけないものを見ている気がして、あわてて視線をそらした。
「私はすぐ隣の部屋におりますから、何かございましたらベルで呼んでくだされば……」
「待ってくれ」
アシェルは、急いで部屋を出ようとするエミリアの腕をとっさにつかんだ。
赤い瞳はすがるようにエミリアを見つめている。
「俺が眠るまででいい、添い寝をしてくれないか? 絶対に変なことはしないから」
親にすがる小さな子供のような仕草に、エミリアは慰めるようにアシェルの肩に触れた。
不思議と先ほどのような恥ずかしさを感じない。むしろ、この人を守らなければと庇護欲に似た感情がこみあげてくる。
「もちろんです、あなたが眠りに落ちるまで、このエミリアがそばにおります」
「ありがとう」
アシェルはエミリアの場所を確保するために端に寄って、右腕を下にして寝転がった。
エミリアがおそるおそるベッドに乗りあげると、ふたり分の重みを受けたマットレスが沈んだ。
ほんのすこしの不安とときめきで心臓が壊れてしまいそうだ。
「では、失礼します」
「うん」
ひと言断ってから、エミリアは向かい合うようにして横になった。
もうすこし身を寄せれば、鼻先が触れ合いそうな距離にアシェルの顔がある。普段使っているベッドから、アシェルの心地良い匂いがする。いつもの香水に混じって、アシェルの匂いを強く感じる。
穏やかな沈黙が流れて、しばらくふたりは見つめ合っていた。
エミリアは王族でありながら絵画などの芸術をあまり理解できないのだが、いまなら芸術を熱弁する者たちの気持ちが痛いほどわかる。
力尽きたように枕に頬を這わせるアシェルは美しかった。睡魔に抗おうとしているのか、赤い瞳を縁取る長い睫毛が儚げに震えている。
エミリアがぼんやりと見惚れていると、アシェルの唇に甘い笑みが浮かんだ。
「いいな……きみが近くにいるというのは」
意識の半分はすでに眠りの魔の手にかかったのか、声はのんびりとしている。
そこでエミリアは、アシェルの左手に赤い表紙の本がにぎられていることに気がついた。タイトルは手で隠れてしまって見えない。背表紙は下を向いているため、ここからは読みとれそうになかった。
「アシェル様、その本を預かりましょうか?」
アシェルは「大丈夫だ」と眠そうにつぶやいた。
「これがないとあとで困るんだ。ありがとう」
「わかりました」
アシェルが肌身離さず持ち歩くほどの本とは、どのような内容なのだろう。目が覚めたときに聞いてみてもいいかもしれない。
「眠るのが惜しいな。せっかくきみとの時間ができたというのに」
「私は、こうしてアシェル様のそばにいられるだけでうれしいですよ」
「たしかにそうだが、欲がないな。もっとわがままを言ってくれてもいいのだぞ」
「アシェル様が元気になったら考えますね」
「きみにそう言われると、もう何も言えんな。体調管理ができていなかった報いだ、反省せねば」
再び沈黙が落ちて、アシェルはぼんやりとエミリアを見つめながら口を開いた。
「好きか?」
好き、というひびきに、エミリアはぽっと頬を赤らめた。
「そ、それはその、もちろんでございます」
エミリアは「好き」という言葉を返すことができなかった。己のずるさに、情けなさと怒りを覚える。アシェルはしっかりと行動や言葉で好意を伝えてくれるというのに。
自己嫌悪に陥るエミリアだが、眠りの縁から落ちそうなアシェルは特に気にした様子もなく微笑んだ。
「そうか、俺も好きだ。ヴォルフもそう言っていた」
「アシェル様……え! ヴォルフ!?」
愛をささやかれたと思ったエミリアだが、突然のヴォルフの名にうろたえた。
「ヴォルフも言っていたとはどういうことですか? 私は……私の心はとっくにアシェル様に捧げておりますから!」
「やはり甘いものはいいなぁ」
アシェルは目をとろんとさせて、エミリアの向こうを見ている。
エミリアが肩ごしに見やると、テーブルの上にはカップケーキの入ったバスケットが置いてあった。
いたたまれない気持ちになり、いまにも部屋を飛び出したい衝動に駆られたが、せっかくのアシェルとの添い寝のためにも必死に耐えた。
「そうですね……私も、甘いものが好きです」
「ふふ、エミリア、俺はこう見えて人の好物を見抜くのが得意だ。騎士として鍛えられたこの観察力が役に立っているということだな」
「さすがですね、アシェル様」
「だろう」
アシェルは褒めて、と言いたげに目を細めた。眠りに落ちる直前の子供っぽい仕草に、エミリアはとことん甘やかしてあげたい気持ちになる。
そっと黒い前髪に触れると、アシェルは気持ち良さそうにまぶたを閉じて、そしてそのまま寝息を立てはじめた。すでに限界だったのだろう。
「おやすみなさい、アシェル様」
エミリアは祈るようにささやいて、ゆっくりと上体を起こした。
体を冷やさないように布団をかけて、ベッドからおりる。
彼は宣言どおり、無理に触れることはしなかった。ときに大胆な行動をとるアシェルだが、エミリアを怖がらせないように、慎重にこちらの反応を観察しながら触れているようだった。とても大切にされていることを、エミリアも気づいていた。
「私が自分の気持ちを、きちんと伝えていないからですよね」
アシェルのあどけない寝顔を見つめながら、エミリアは決意するように胸の前で拳をにぎる。
「今度こそ私から、好きとお伝えしなければ」
この短い言葉を伝えるのは、エミリアにとって簡単なことではない。しかし、それはアシェルにとっても同じことだろう。彼が決して軽い気持ちで口にしているわけではないことを、エミリアはじゅうぶんに理解している。これ以上、アシェルに甘えつづけるわけにはいかなかった。
しかし、想いを伝えるまえに、ひとつ気がかりなことがあった。
ユリの紋章が描かれた手紙の差出人である。
もしその相手がカリーナリリー王女であったとしたら……。
「悩むくらいなら聞けばいいのです、エミリア。戦姫として堂々と」
もしはぐらかされてしまったら……そんな妄想じみた不安を振り払い、エミリアはアシェルが眠るベッドの隣に椅子を置いて座った。
このような醜い気持ちを、アシェルには知られたくなかった。




