英雄にさらわれて
アシェルが先にシュトラールの背中に乗ったので、自然とエミリアが後ろにまたがる形となった。
広い背中が目の前にある。エミリアは両手の位置をどこへ持っていくか、すこし迷ってしまった。
エミリアの迷いを感じとったのか、アシェルが優しく言った。
「エミリア。滑り落ちないように腰をつかむといい」
「は、はい! では、失礼します……」
エミリアは両腕をアシェルの腰に回した。騎士服越しにも伝わる筋肉に、ときめきよりも純粋な興味が湧いた。エミリアも武人なのである。
「では、行くぞ。落ちるなよ」
シュトラールはふたりを乗せているとは思えないほど軽々と走り出した。
振動で胸をアシェルの背中に密着させてしまい、エミリアはあわてて身を離した。
恥ずかしくて、アシェルの腰に回した腕がぷるぷると震えてしまう。
「エミリア」
風を切って走りながら、シュトラールは口の端に笑みを浮かべて言った。
「わざわざ憂鬱なお茶会に出ることを思えば、英雄にさらわれるほうが有意義だろう」
「さ、さらわれるだなんて人聞き悪いですよ。私は私の意思でアシェル様について行ったのです」
アシェルの名を傷つけまいと擁護する真面目さに、アシェルの肩が小刻みに揺れた。
「はは! ありがとう、エミリア。けれど、さらったのは事実だな」
「ふん。言っておくが私は完全にお前を認めたわけではないぞ。この背中に乗せたのはエミリアのためだ。勘違いするなよ、生意気な英雄」
「心得ております」
シュトラールは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
基本的に聖獣は、自分が認めた戦姫以外にその背中を許すことはないという。そのシュトラールがわざわざアシェルを連れてきてくれたことがうれしくて、あとでしっかりと感謝を伝えようと心に決めた。
それはさておき、エミリアはアシェルの大きな背中に体が触れるたびに、心臓の音が伝わってしまうのではないかと気が気でなかった。
初夏の瑞々しい若葉をまともに眺めることすらできない。
「すまない。俺の音がうるさいかもしれない」
「何の」
と言いかけて、再びエミリアの体がアシェルの背中に重なった。
衣服越しにアシェルの鼓動の早さを感じて、エミリアは目を見開く。
余裕を見せているアシェルだが、彼もまたエミリアを意識してくれているのかもしれない。その証拠に、アシェルの耳がほんのりと染まって見えた。
「アシェル様……」
エミリアの胸にじわじわと喜びがこみあげてきて、アシェルがより愛おしく感じる。
エミリアは意を決して、アシェルの背中に密着した。
アシェルがはっと息を呑む気配がした。
「エミリア?」
「大丈夫です。私も、同じですよ」
「本当か?」
エミリアはたくましい背中に頬を這わせて、こくりと小さくうなずいた。密着したことで、アシェルの香水の匂いがふわりと広がる。
ばくばくと激しく主張するこの心臓の音はどちらのものなのだろう。
「お前たち。私の背中の上でいちゃつくな」
シュトラールのあきれた声に、エミリアはあわてて体を離した。第三者の存在を忘れて大胆な行動をとったことに、気恥ずかしさを覚える。
「そろそろ重くなってきたな。行き先を決めろ、エミリア」
「あ、はい!」
進行方向の先には青々として背の高い針葉樹の森が広がっている。
遠目に見える城との位置関係からして、シュトラールはあえてここに連れてきたようにも思う。エミリアはシュトラールの考えに乗ることにした。
「では女神の神殿へ」
「そんな神聖な場所に俺が行ってもいいのか?」
アシェルの声には神殿への興味がにじんでいるが、迷いも見えた。
「たしかに奇跡の女神の神殿はエーデルシュタインにとってもっとも神聖な場所ですが、世界中にフランメという恩恵を与えた彼女が、他国の者という理由でアシェル様を拒むはずがありません」
「ふむ、それもそうか」
「とても綺麗な場所ですから、ぜひアシェル様にも見ていただきたいです」
「それは楽しみだ。あぁ、それとエミリア」
「なんでしょうか」
「手紙の返事をありがとう。うれしかった」
こちらからアシェルの表情は見えなかったが、最後の言葉がとても照れくさそうで、エミリアは顔をほころばせた。




