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大切な一日目


「見て、アシェル様だわ!」


 誰かのはしゃいだ声がアシェルの名を呼ぶ。

 アシェルを乗せたシュトラールは丘を駆けおりると、警備のためにと閉じられた門を軽々と飛び越えて庭園内に飛びこんだ。乙女たちの社交場に闖入し、颯爽と登場したアシェルに、令嬢たちの熱気が高まっていく。

 大国フェルゼンの王子であり美男子ともなれば、令嬢たちからの人気も好感度も高いらしい。剣術や魔術はもちろんのこと、学芸にも秀でているというのだから、王妃の座を狙う女性が多いのもうなずける。

 アシェルはシュトラールの背中からおりると、何かを探すように周囲を見回した。


「失礼。ここにエミリアマリー王女が参加しているとシュトラール様から伺った」


 令嬢たちは恥らうように目元を染めるばかりで答えない。身だしなみを気にしながらも、その視線はアシェルに釘づけとなっている。

 視線をさまよわせていたアシェルがエミリアをとらえる。捕まった、とエミリアは錯覚した。

 アシェルが近づいてくるたびに、とくとくと鼓動がすこしずつ早くなる。

 エミリアのもとへたどりついたアシェルは、見たことがないほど甘く微笑んでいた。


「それが戦姫の正装か。とても美しいな」

「アシェル様こそ……英雄の正装がよくお似合いです」


 エミリアはアシェルを見つめ返して、なんとか声を絞り出した。アシェルを意識しすぎて、何を話せばいいのかわからなかった。

 アシェルはその端正な顔に、くすぐったそうなあどけない笑みを浮かべた。


「きみにそう言ってもらえてうれしい。さあ、大切な一日目をはじめようか」


 一日目と聞いて、エミリアの鼓動はまたも早くなる。

 本当にひと月通うつもりなのだと知って、期待と喜びで体が震えた。

 アシェルは周囲を見回すと、黒い手袋に包まれている左手を差し伸べて芝居がかった様子で言った。


「ここから一輪の花を摘んでいくことをどうかお許しください。可憐な花々よ」


 その瞬間、若き令嬢たちは甲高い悲鳴をあげた。

 花と表現されて無邪気に喜ぶ令嬢たちの悲鳴の中で、同じく花と表現されたエミリアは顔から蒸気が噴き出しそうだった。

 フェルゼンの英雄のロマンチストな一面を見て、エミリアの脳内は混乱を極めている。

 双子であるキルシュだけは、すねたように頬をふくらませた。


「男子禁制とは言いませんが、いきなり来るなんて失礼ですわ。せっかくエミリア様と楽しくしていたのに」

「悪いが、これだけは譲れないのでな」


 アシェルが悪びれもせずに答えると、キルシュはいかにも仕方がなさそうに言った。


「きょうは譲ってさしあげます。エミリア様を泣かせたら承知しませんよ」

「泣かせるものか」

「そうね、泣き虫なのはあなたのほうね」

「うるさい」


 アシェルは強引に話題を終わらせると、エミリアに左手を差し出した。


「さあ、行こうエミリア」

「は、はい」


 エミリアがアシェルの左手にそっと右手を乗せると、ひと回り大きな指がエミリアの指を軽くつかんだ。

 そのままアシェルに腕を引かれて、エミリアは雲の上を歩くようなふわふわとした足取りで色とりどりに咲き誇る花のアーチをくぐった。

 令嬢たちはエミリアの背中に羨望のまなざしを向けて、ほうっと夢見る乙女の熱いため息をもらした。

 アーチの向こうには、シュトラールが退屈そうに待っていた。


「遅いぞ。この私を待たせるな」

「申し訳ありません、シュトラール様」


 アシェルは真摯に謝罪をしたが、聖獣相手に気後れした様子はない。

 清々しく立派な態度をとるアシェルを、シュトラールもいくらか認めているようだった。シュトラールに認めてもらうことに苦慮していた自分が情けなく感じた。


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