かつての宿敵からの求愛
「待ってください! いきなり、け、結婚だなんて困ります!」
エミリアが恥ずかしそうに叫ぶと、エミリアを引っ張っていたアシェルの手はあっさりと離れていった。
それを名残惜しく思ったエミリアは、さらに顔を赤らめる。
誰もいない長い廊下で、淡い魔術灯の輝きがアシェルの顔を照らしている。
「いきりなりではない。前々から考えていたことだ」
「そんなはずありません」
「なぜだ」
「あなたはドラッヘ王国のカリーナリリー王女と結婚しているはずです。つまりあなたは私を第二王妃として迎えたいということなのですか?」
「俺は誰とも結婚していないぞ。彼女との婚約はとっくの昔になかったことになっている」
「そ、そうなのですか?」
「それもすべて手紙に書いたのだが、届いていなければ意味はないな」
アシェルは不満そうに言った。
エミリアは内心安堵していることに気がついて、自己嫌悪に陥った。アシェルの幸せを願っていたはずなのに、どうして感情というものは制御できないのだろう。
「俺も聞きたいことがある。きみはあの男が好きなのか?」
アシェルはなぜか不機嫌そうに眉根を寄せた。
一度は婚約した者同士なのだから、そう思われても仕方ないかもしれないが、アシェルにそう思われているのが嫌で、エミリアは力強く頭を振った。
「いいえ。好きだと思ったのも、どうやら勘違いのようでした。裏切られたとも感じませんでしたし、未練もありません」
「なるほど。でははじめから気持ちはなかった、ということか?」
重ねて確認するアシェルに、エミリアはうなずいた。
納得したのか、アシェルの表情に笑みが浮かんだ。
「ならば俺たちが結婚することは問題ではないだろう。それにこの国は戦姫のきみを飼い殺しにするつもりだぞ」
アシェルの指摘に、エミリアはふと冷静になって、すっと体の奥が冷えた。
彼はいつだってエミリアの誇りを守ってくれた。今回もその延長なのだとしたら、エミリアは黙っていられない。
「私との結婚の理由は戦姫の誇りを守るためですか? だったら必要ありません。それに幼少期の恩返しのつもりならやめてください」
悲しみが体を支配して、エミリアは目を伏せた。
落ち目の戦姫などと呼ばれるありさまであるが、エミリアはアシェルと対等でありたかった。それが叶わぬ願いであっても。
アシェルはエミリアを見すえると、エミリアの心の波を鎮めるように静かに言った。
「誇りのためでも、恩返しでもない。きみが好きだ」
「す……は!?」
その意味を理解した瞬間、エミリアの全身に血が駆けめぐり、顔が真っ赤に染まった。
エミリアの素直な反応に、アシェルはゆっくりと目を細める。
「きみは何度も俺を救ってくれた。キルシュのこともそうだが、この力に恐怖を覚えていた俺の心を救ってくれた。力になってくれた。俺はそんなきみの強さに心惹かれた」
情熱的な告白に、エミリアの鼓動がどくどくと鳴りひびいて呼吸が浅くなる。足元がふわふわと浮いて、夢と現実の境をさまよっている気分だ。
「だが、同時にきみの弱さも垣間見えた。俺はそんなきみを支えてあげたいと思っていた。いまは頼りなくても、この力を使いこなせたそのときは、お互いの弱さを補えるようなそんな関係になりたいと願っていた。いまだって思っている」
「アシェル様……」
「この気持ちを勝手に決めつけられるのは、きみだろうと我慢ならない。この気持ちに嘘はないと、英雄の誇りをかけて誓おう」
赤い瞳にフランメの赤い輝きが渦巻いた。魔術は発動されていないというのに、エミリアはたしかにその熱を肌で感じとった。
誰よりもその称号に誇りを持っていたアシェルが、その名をかけると言った意味をエミリアが理解できないはずがない。
アシェルの本気を知って、エミリアはすっかり参ってしまった。
誠意を見せてくれたアシェルに誠意で応えたいのに、顔が火照るばかりでまともな言葉が出てこない。
「アシェル様……私……」
「すまない。急かすつもりはなかったんだ」
あせるエミリアのことを笑うわけでもなく、アシェルは申し訳なさそうに目を伏せた。
「たしかに、十年の間が空いているのに、すぐに俺の言うことを信じろというのは無理があったな。ではひと月通う間に、俺の気持ちが嘘ではないことを証明してみせる」
アシェルは右手をエミリアの顔に伸ばすと、銀色の横髪をすくって口づけた。
思いがけない接触に、エミリアの感情が激しく入り乱れて、言語化することができない。
アシェルは髪に唇を寄せたまま、エミリアに視線を向けた。
「おやすみ、エミリア」
アシェルの指からするりと髪が滑り落ちる。
放心状態になるエミリアを残して、アシェルは背を向けて去っていった。
深紅のマントが曲がり角の向こうに消えると、エミリアは金縛りがとけたように、ふらりと壁にもたれかかった。
エミリアはそのあとどうやって部屋にもどったのか覚えていない。
気がつくと目の前には鼻歌を歌うグレーテルがいて、にまにまとエミリアの顔を覗きこんでいた。
「ほら~、私の言ったとおりだったでしょう? 十年もあれば状況も変わりますって」
「はい……」
「それにしても、アシェル様はとても情熱的でございますね。よかったですね、姫様」
「よ、よくありません! 心臓が爆発するかと思いました!」
エミリアは顔を赤らめながら、アシェルに触られた髪を同じように指で触れてしまう。
そんなエミリアの様子に、グレーテルはさらに笑みを深めた。
「いつもは凛々しい姫様が、無防備に真っ赤に染まってくれるものですから、アシェル様も可愛くて仕方ないのでしょうね」
「もうやめてください……お願いだから」
エミリアはベッドの上の枕を抱いて、顔を埋めた。
アシェルの言動や行動を疑っているわけではないが、都合の良い夢を見ているのではないかと恐ろしくなるのだ。
「姫様、これは王妃様を見返すチャンスです! このまま王妃様たちに貶されて、利用されていいわけがないのですから」
「それは、そうかもしれないけれど」
「ではアシェル様からお手紙を受けとっておりますので、しっかりお返事なさいませ」
「え、いつのまに!」
エミリアがクッションから顔をあげると、目前に神剣を掲げる英雄というフェルゼン王家の紋章が刻まれた封筒が差し出された。
「展開が早すぎて追いつけません……」
「しっかりなさいませ。しかし、これではっきりしましたよ。アシェル様は最初からこの国の通例を知っていて、あらかじめ準備されていたのですよ。この手紙の早さはアシェル様の誠意というものです」
エミリアはおそるおそる封筒を受けとり、すがるようにグレーテルを見上げた。
「お返事だなんて、何を書けばいいのでしょう?」
「まずは内容を確認いたしましょう」
グレーテルは混乱するエミリアを励ますように優しく背中をなでた。
侍女として王女の縁談に関する教育を受けているため、グレーテルはとても冷静で心強かった。ここが彼女にとっての戦場なのかもしれない。
エミリアは緊張した面持ちで手紙を開いた。
そこには十年前に出会ったときから、ひそかに恋慕の情を抱いていたこと。
国に帰ってから何度も手紙で求愛したこと。
エミリアの態度があまりにもつれないから、むしろ直接会って想いを告げようと考えていたことなどが簡潔に、激しい熱量をもってつづられていた。
エミリアは、これが現実だとたしかめたくて、何度も何度も読み返してしまう。
やがて幸福感で胸がいっぱいになって、目頭が熱くなった。
「あのアシェル様が、私を……」
「まあ、手紙でも情熱的なお方。さあ、早く返事を書いてしまいましょう。善は急げと申します」
グレーテルの手腕のおかげでなんとか返事を書いたエミリアは、ぐったりとベッドに倒れこんだ。身も心もへとへとである。
「姫様は先にお休みくださいませ」
「ありがとう。お願いします」
手紙を届けるというグレーテルを見送って、エミリアはふうっと息を吐き出した。ごろりと寝返りを打つが、とても眠れそうにない。
ふとした瞬間にアシェルの顔や、あの熱烈な文章がよみがえってきて、そのたびに枕に顔を埋めて叫ぶという衝動に襲われている。
「うあ~~、もうっ」
うれしいやら恥ずかしいやらで、子供のようにぱたぱたと両足をばたつかせてしまう。
すこしだけ冷静になったエミリアは、ぽすりと枕に顎を乗せる。
「本当にひと月も通ってくださるのかしら……」
エミリアはすこしだけあしたが怖いような、待ち遠しいような気分になって、ゆっくりとまぶたを閉じた。
やっと英雄から求愛されるところまできました。ここまで読んでくださってありがとうございます。
これからふたりで幸せになってくれ、と思いながら頑張って書き進めています。
良いサブタイトルが思いつかなくて困ってます…




