落ち目の戦姫3
エミリアは自分の耳を疑った。
もしかしたら都合の良い聞きまちがいではないかと思ったが、アシェルがそんな冗談を言う人間とは思えない。
胸が高鳴り、封じたはずの未練が顔を出す。
いけない、ととっさに胸を押さえるエミリアだが、その手をアシェルにとられて引き寄せられた。
つながれた手が熱い。エミリアはひどく緊張したようにアシェルを見上げた。
その秀麗な顔には、自信に満ちあふれた笑みが浮かんでいた。
「あの、アシェル様!」
「さあ、行こうか」
エミリアはアシェルに連れられて、パーティー会場にもどってきた。
いままで会場に姿を現さなかったアシェルの登場に、貴族たちがどよめいた。
「あれは、フェルゼンの英雄ではないか」
「なぜ大国の王子が戦姫を連れているのだ?」
好奇の目にさらされたエミリアは、とまどうようにアシェルを見上げた。
アシェルは目を丸くする王と王妃の前でようやく歩みを止めた。
「お久しぶりです、ディリゲント陛下」
「お、おぉ……あなたはフェルゼンのアシェル王子? 立派になられたな」
エーデルシュタインの国王であるディリゲントは、善良そうな顔にとまどいを浮かべて、豊かに蓄えた白いひげをなでた。争いごとが苦手なのんびりとした性格が、その顔や丸くなった体つきからもにじみ出ている。
だからこそ気骨ある若者であるアシェルには、どこか弱気になってしまうようだった。
「陛下もお元気そうで何よりです。急で申し訳ありませんが、この私、アシェル・フェルゼンは、エーデルシュタインの第一王女、エミリアマリー・エル・エーデルシュタインと婚約したことを報告します」
「は?」
どよめきが波のように広がり、渦中の人物であるエミリアは頬を赤らめた。
そんなエミリアを勇気づけるように、アシェルはエミリアの手を優しくにぎった。
「問題ありませんよね」
有無を言わさぬアシェルのまなざしに、ディリゲントは思わずうなずいていた。
アシェルはぐるりと会場を見回すと、天高く右手の拳を突きあげた。
「フェルゼンの騎士たちよ! 王妃の誕生だ!」
アシェルが力強く宣言すると、会場に散っていたフェルゼンの騎士や貴族たちが一斉に祝福の声をあげた。
フェルゼン人以外の人々は、彼らの結束力の強さと勢いに圧倒されて、あっという間に飲みこまれてしまった。
「フェルゼンめ……調子に乗りおって」
「やめておけ、あそこには逆らうな。ろくな目に遭わんぞ」
会場には不満はあっても反論できない者と、フェルゼンの熱気にあてられて祝福をする者とで大きく分かれた。
祝福ムードに包まれるなか、婚約披露パーティーの主役であるフォーゲルが額に青筋を立てて声を荒げた。
「待て! フェルゼンの英雄といえども、僕たちの婚約披露パーティーで自分たちの婚約を発表するなど無礼ではないか!」
アシェルは挑むようにフォーゲルをにらみ返した。
「無礼だと。ミラローズ王女に乗り換えて、エミリアマリー王女に恥をかかせた男の言葉は説得力にあふれているな。無礼の概要欄には貴公の名を刻むべきか?」
「貴様っ」
アシェルの言葉に、会場にいる人々がドッと笑った。
フォーゲルは屈辱そうに顔を赤らめて体を震わせる。
貴族たちはその光景を見て、次々にアシェルへの好意的な態度を見せはじめた。
「フェルゼンの英雄か。申し訳ないが、ヴェルメ王国の王子とは格がちがうな」
「おめでとうございます陛下! エミリアマリー殿下が、まさかフェルゼンのアシェル王子に求愛されるとは思いませんでしたね」
最初は混乱していたディリゲントだが、褒められると自分の功績のように思えてきて、うれしそうに笑った。
「うむ、そうだな。私もあのアシェル王子を息子と呼べるのは光栄だよ。それ、音楽はどうした! ふたりを祝福するのだ!」
浮かれた様子のディリゲントに、フォーゲルとミラは完全に面目をつぶされ、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
そこでとうとうカルロッタの怒りが爆発した。
「お待ちなさい! ふたりの結婚は認められません!」
カルロッタの雷のような怒声に喧騒が静まる。
目を吊りあげて息巻くカルロッタの姿に、エミリアは思わず身震いする。カルロッタの長い髪が乱れて、蛇のようにうねって見えた。
「戦姫の力をフェルゼンには渡せません!」
「ヴェルメには渡せるというのだから、おかしな話ですね」
アシェルが冷静に切り返すと、カルロッタの怒りはさらに燃えあがった。
「ならば、まずはエミリアのもとへひと月通いつづけてごらんなさい! それができなければ結婚は認められません。これがこの国の通例でございます!」
「そうだったかな?」
水を差すディリゲントを、カルロッタはにらんで黙らせた。
「いいですか。ひと月通わなければ、結婚は絶対に認めませんからね!」
怒り狂うカルロッタに恐怖を覚えたエミリアだが、その背後にここにいるはずのない人物の姿を見つけて目を見張った。輪郭は空気に溶けるようにあいまいで、肌の向こうは透けているが、その姿はまちがいなく奇跡の女神だった。
彼女はカルロッタの後ろから、穏やかな微笑みを浮かべてアシェルを見つめている。
「十年も邪魔をされたのだ。ひと月通うなど苦でもない」
アシェルの声にはっと我に返ると、奇跡の女神の姿はどこにもなかった。しかし、まぼろしとは思えない。
聖戦回避の使命を与えた奇跡の女神が、なぜあそこに姿を現し、エミリアではなくアシェルを見ていたのだろうか。
エミリアは胸騒ぎを覚えながら、アシェルに手を引かれてその場をあとにした。




