落ち目の戦姫2
「お久しぶりです」
エミリアから声をかけると、アシェルは歩みを止めた。
その視線はまっすぐにエミリアに向けられていて、令嬢たちがざわめいた。
「こうして会うのは十年ぶりだな。忘れられたのかと思っていた」
すっと赤い瞳が細められる。
なじみのある低音とその姿に、エミリアは心を揺さぶられると同時に畏怖の念を覚えた。
そこにいるのは、聖戦の破壊神とまで言われたフェルゼンの英雄そのものだったからだ。
「あなたのことを忘れるはずがありません」
エミリアは高揚感を覚えながら素直に答えた。
アシェルへの淡い想いを忘れたいと願ったことはあっても、アシェルのことを忘れたいとは一度も思ったことはなかった。
エミリアの返答に、アシェルはなぜか拗ねたように眉根を寄せた。
「ならばなぜ手紙の返事をくれなかったのだ」
「手紙の返事? それは、一度も手紙が届きませんでしたから……」
「なんだと?」
アシェルは眉を吊りあげた。
「こちらからも手紙を送りましたが、届きませんでしたか?」
「いや、届いていないが……なるほど、意図的に届かないようになっていたのか」
アシェルの赤い瞳に鋭さが増した。聖戦時代に猛然と敵の中を突き進む際に見せた表情に、エミリアは思わず身構える。
すると、近くのテーブルにいた貴族の男が苛立った様子でぼそりとつぶやいた。
「落ち目の戦姫め……フェルゼンの英雄相手に不敬な態度をとってくれるなよ」
エミリアの体が強張り、血の気が引いた。
アシェルに「落ち目の戦姫」などという蔑称を聞かれたくはなかった。
しかし、アシェルの耳にもしっかりと届いたらしく、アシェルは不快そうに貴族の男をにらんだ。
「落ち目の戦姫と呼んだのは、あなたか?」
アシェルの言葉に、場の空気が一気に凍りついた。
名指しされた男は顔を青ざめて後退りする。
「この国が存在しているのは誰のおかげだと思っている。あなたが食事にありつけているのも、ここから見える湖や緑が枯れていないのも、隣国からの襲撃を防げたのも、災害からこの国を守護したのもこの戦姫だ。戦姫なくしてこの国の平和は保たれていない」
アシェルの堂々とした態度と言葉づかいに、人々はすっかり心を奪われ、支配されていた。
エミリアは魂が揺さぶられるような思いがした。
「実感がわかないか」
アシェルが男のほうへ右足を踏み出すと、その足の下にある敷石に亀裂が入って、かすかに地響きがした。
英雄の破壊の魔術を目の当たりにした男は悲鳴をあげて尻餅をついた。
「あなたが武器を持たずに暢気に俺の前に立っていられるのはなぜだと思う。この国の絶対的な守護者、エーデルシュタインの戦姫がいるからだ」
アシェルが力強くその称号を口にしたとき、エミリアの全身に歓喜が駆けめぐった。
エミリアは一歩アシェルに近づくと、アシェルに向けて右手を突き出して、体内のフランメを活性化させた。
「そこまでですアシェル様。エーデルシュタインの民を傷つけるのは、この戦姫が許しません」
エミリアの足元から青く輝くフランメの粒子が噴出して、透きとおった美しい氷が男を守護するように覆い隠す。
勇敢に立ち向かうエミリアの姿とその美しい魔術に、人々から歓声があがった。
アシェルはにっと口の端をあげて、敵意はないと示すように両手をあげた。
「冗談です。失礼いたしました」
アシェルの爽やかな笑顔に、世間知らずの令嬢たちは「ワイルドなところも素敵!」とさわいでいる。
彼女たちにとって異国の英雄は、貴族の子息とちがって危険な魅力を感じるのだろう。
エミリアはフランメの高まりを抑えて、構築途中の魔術を消去した。男を守護していた氷がはじけて、青いフランメとなって天へとのぼる。
アシェルが放心状態となっている男に手を差し出して立ちあがらせると、耳元で何かをささやいた。男の顔が再び恐怖にひきつった。
アシェルは清々しそうな顔をして、エミリアに近づいてきた。
「アシェル様、ありがとうございます」
「礼を言われるようなことでもない。言いたくないが、この国は相変わらずだな。戦姫への敬意をまったく感じられない」
アシェルはそう不満をもらした。
「それでも、ありがとうございます。あなたが自分のことのように怒りを見せてくれたこと、そして私の誇りを守ってくださったことが本当にうれしいのです」
エミリアは久しぶりに心から笑えた気がした。
いつだって殺し合いをしてきたアシェルが、未来が変わったことでエミリアを守ってくれるなんて夢のような話だった。
「きみにそんな顔をさせるのは誰だ」
手袋に覆われた指に頬をなでられて、エミリアははじかれたように顔をあげた。
目前にアシェルの美貌が迫っていて、エミリアは悲鳴をあげそうになる。しかし、アシェルの体から放出される高濃度のフランメが陽炎のように揺らめいて見えて、エミリアは戦慄を覚えた。
「落ち目の戦姫などと呼び、きみを貶める者は誰だと聞いている」
苛烈なほどの怒りがフランメに結びついて、赤い瞳が燃えるように輝いている。
痛いほどの緊張感に包まれて、エミリアは言葉を発することができなかった。
アシェルの魔術が暴発するかと思われたが、ふっとその気配は消失し、赤いフランメが波紋を広げるようにして空気中に消えていった。
アシェルの表情には冷静さがもどったが、深い失望の色が浮かんでいる。
「この国はもう戦姫を必要としていない。国外にきみを嫁がせようとしたのはそういうことだろう」
エミリアは恥ずかしくなって、視線をそらした。
フォーゲルとの婚約のことは、やはり知られていたらしい。
「そうですね。つまり平和になったという証拠です」
エミリアは自身に言い聞かせるように言った。
エミリアは聖戦で疲弊した世界を知っている。その地獄と比べれば、大切な人たちが生きているこの世界は天国のようだった。
「平和か……ならば、俺がきみを連れて帰っても文句はないな?」
「え、連れて?」
アシェルの熱情のこもった瞳が、エミリアをとらえる。
「この国が捨てた誇りとともにきみを娶る」




