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落ち目の戦姫1


 姿見には、十年の時を経て成長したエミリアのいまの姿が映っていた。

 つややかな銀髪をひとつに結って、きめ細かい健康的な肌には化粧がほどこされている。

 聖戦を駆け抜けていたころに比べれば、髪も肌もずっと綺麗だ。

 十八歳のときにはドレスなど着る機会がなかったので、青いドレスを身にまとった姿を見るのはとても新鮮な気分だった。

 鏡の中の自分をまじまじと見つめていると、気遣わしげな表情をしたグレーテルが近づいてきた。


「姫様、本当に出席なさるのですか? 欠席してもよろしいのですよ」


 グレーテルが後ろから青い宝石のついたネックレスをつけながら、心配そうに言った。


「ありがとう、グレーテル。でも、ミラの婚約披露パーティーを欠席することはできません。お母様も許してはくれないでしょうし」

「姫様に見せつけたいという魂胆が透けて見えますよ」

「ふふ、そうですね。それに、きょうは十年ぶりにアシェル様とキルシュ様も出席されるそうですから」


 フォーゲルとミラの婚約披露パーティーだけなら苦痛を感じたが、そこにアシェルたちが招待されているというのだから、エミリアはすこし機嫌が良い。

 両国の国交がそこまで回復したということだ。


「あれからもう十年ですか。きょうはおふたりとお話しできるといいですね」

「えぇ。本当はね、それが一番楽しみだったりします」


 不安があるとすれば、フォーゲルに婚約破棄されたことをアシェルたちに知られてしまうことだ。

 そのことを話題に出されると、恥ずかしくてまともに話せないかもしれない。

 ドレスに着替えたエミリアが会場に向かうと、貴族たちに囲まれたフォーゲルとミラが幸せそうに微笑んでいるのが見えた。

 気まずさを覚えながらも、出席したからには堂々としていようとエミリアは背筋を伸ばした。


「見て、エミリアマリー殿下よ」

「まさか出席なさるとは思いませんでしたわ。戦場育ちの姫は、心まで強靭ですのね」


 令嬢たちの同情まじりのささやきに、エミリアは気づかぬふりをした。

 出席すると決めたときから、この程度のうわさは覚悟していた。

 しかし、女性たちよりも、男性たちのほうがよっぽど辛辣であった。


「昔のような戦いなどほとんどないのに、自ら国境線に出向いて監視をしているそうだぞ」

「それが本当ならフォーゲル王子に同情するよ。見目は良いが、ろくに城にもどらず、槍ばかり振り回す女を娶りたいものか」

「平和になった世界で戦場を求めるなど、哀れな姫様だよ。浮気されて当然じゃないか」

「まさに『落ち目の戦姫』だな」


 思わず視線が下がりそうになるが、エミリアはしっかりと顔をあげて、聞こえないふりを貫き通した。

 それでも、傷つかないわけではない。戦姫の居場所は失われて、着慣れないドレスに身を包めば嘲笑の的となる。

 いつのまにかエミリアは「落ち目の戦姫」などと不名誉な名で呼ばれるようになっていた。


「ヴェルメ王国の王子を射止めるとは、さすがミラローズ様ですな」

「良い縁談を結びましたわね」


 貴族たちから手腕を褒められたカルロッタが、誇らしげに微笑んでいる。よほど機嫌が良いのか、めずらしくその顔が赤く染まっている。

 その様子をぼんやりと見つめていると、人々の輪をかき分けてフォーゲルとミラが近づいてきた。

 派手に着飾ったミラは、これ見よがしにフォーゲルの腕に抱きつき、フォーゲルはそんなミラを見て顔をほころばせている。

 やはり、放っておいてはくれないか、とエミリアは内心苦笑する。


「あらぁ、お姉様ったら、おひとりですか?」


 わざとらしく上目遣いで尋ねるミラに、エミリアは小さく微笑んでうなずいた。


「えぇ、私ひとりです。遅くなりましたが、この度はご婚約おめでとうございます」

「ありがとう。お姉様の分までたくさん幸せになりますわ」


 ミラはカルロッタそっくりの勝ち誇った笑みを浮かべた。

 ミラを腕に張りつかせながら、フォーゲルがすこしだけ気まずそうに微笑んで言った。


「ありがとう、エミリア。僕たちは結婚相手としては縁がなかったが、結果的には身内となったのだ。今後は我が国でも戦姫としての活躍を期待しているよ」

「まぁ、落ち目の戦姫ができることってそれくらいしかありませんものねぇ」

「あまりそう言ってやるな。彼女の魔術と槍術には期待しているのだから」


 目前で交わされる会話に、エミリアはひそかに唇をかんだ。

 フォーゲルは「結婚相手ではなくなったが、戦姫の力は利用する」と堂々と言ってのけたのだ。

なんて図々しい人なのだろう。エミリアはフォーゲルを冷めた目で見すえる。

 しかも、ミラは隠すことなくエミリアを落ち目の戦姫と呼んだ。

 悔しさに手が震えるが、エミリアはなんとか平静を保った。

 こんなこと、激しい飢えに耐えて、雨に打たれながら草の上で眠ったあの日の惨めさに比べれば、なんてことはない。

 それに、いまここで反論すれば、王と王妃に何を言われるかわからない。

 エミリアは渦巻く激情を抑えて穏やかに微笑んだ。

 それを見たフォーゲルとミラが息を呑む。


「この雰囲気にすこし酔ってしまいました。外の風にあたってまいります」


 エミリアは小さくお辞儀をしてその場をあとにした。

 背後でミラの不満げな声が聞こえた気がした。

 中庭に出たエミリアは、飲み物を飲む気にもなれず、ただ行く当てもなく歩いた。

 いたるところに立てられた柱の先には、魔術を利用した照明器具である魔術灯が設置されていて、ろうそくの火を思わせる淡い輝きが、立派な噴水と花壇を優しく照らしている。

 魔術灯の優しい光を見上げたエミリアは、深いため息をついた。


「お母様、申し訳ありません。戦姫の名に傷をつけてしまいました」


 代々受け継がれてきた戦姫の名前に「落ち目」などと蔑称がつけられてしまった。

 さぞ歴代の戦姫たちは失望したことだろう。

 ミラやフォーゲルの言葉はたしかに悔しかったが、そう呼ばせる原因となった自分を不甲斐なく思った。

 そのとき、中庭で休憩していた貴族たちからおどろきの声があがった。


「まあ、どこのご子息かしら」

「なんて美しい人……」


 中庭に出ていた令嬢たちが、はしゃいだ様子で何事かをささやいている。

 エミリアが振り返ると、こちらに向かってくるひとりの青年の姿があった。

 はっとするほど長い睫毛に、切れ長の赤い瞳があまりにも印象的な青年だ。

 夜を思わせる黒髪に気品あふれる美貌は、まさに貴人そのものであるが、黒みを帯びた深い赤の騎士服に包まれた体はしっかりと鍛えられていて、その若さには不釣り合いなほどの凛々しさと勇ましさを帯びている。

 エミリアは息を呑んだ。

 フェルゼン王国の英雄、アシェル・フェルゼンがそこにいる。

 この十年間、まともに交流がなかったのだから、箱入りの令嬢たちが知らないのも無理はない。

 先ほどまで鬱々としていたのが嘘のように、エミリアの思考や感覚が研ぎ澄まされていく。

 この青年にだけは弱いところを見せたくなかった。


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