8
どのくらいの時間が経ったのか、とうに日は沈み、森は深い闇と静寂に包まれていた。
何処をさまよっているのか全く見当もつかないまま、ルイとアリシアを乗せた馬は、森の中をただひたすらに進む。
最後に目にしたラウルの姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
あれは実際に起こった出来事なのだろうか。
自分の目で確かに見たことなのに、ルイには何の実感も湧かなかった。
もう追手はいないのか、馬は二人を乗せてゆっくりと進む。
ルイはアリシアが馬を懸命に走らせている間、気が動転して頭が上手く回らなかったが、時間が経つにつれ落ち着きを取り戻し始めると、先ほどラウルとアイザックの間に何が起こったのかを段々と理解し始めた。
「……鉱山を手に入れるために、こんなことを?」
そんなことのために、アイザックはルイたち全員を殺そうとしたのだ。
言いようもない怒りが、胸のうちに湧き出す。
「絶対に、許さない!」
そう叫んだ瞬間、ルイが馬から落ちないよう腹部に回されていたアリシアの片腕が、だらりと落ちた。
ふとおかしなことに気が付いた。
さっきからずっと、アリシアがルイにもたれかかっている。
「……母さん?」
ルイが後ろを振り返ると、そこには目を固く閉ざし、血の気を失ったアリシアの顔があった。
「母さん、しっかりしてください!」
肩を少し揺らすと、アリシアの体はあっけなく傾いて馬から落ちた。
「……え?」
アリシアは馬から落ちても悲鳴を上げず、痛いとも言わなかった。
何の反応も示さない、まるで人形のような彼女をルイは呆然と見る。
「……母さん?」
声がかすれて、上手く喋れない。
よく見ればアリシアの背中には短剣が刺さっており、衣服が血の色に染まっていた。
(……違う、そんなはずない。……絶対に、違う)
頭に浮かんだ死という文字を、必死に打ち消した。
けれど、いくら否定しようとも、アリシアの体はルイの目の前で力なく横たわっていた。
つい先ほどまで自分をきつく抱きしめてくれていた腕が、まるで物のように見えた。
「こんなの、嘘だ……。違う。助けを、呼びに、行かなくちゃ……。母さんを、助けなくちゃ」
助けを呼びに行きさえすれば、アリシアは助かる。
その思いだけを胸に、やみくもに馬を走らせた。
しかし馬の扱いを良く知らないルイは、すぐに馬の背から振り落とされ、激しく地面に打ち付けられた。
馬はそのまま止まることなく、走って行ってしまう。
「……待って」
地面に転がりながらそう口にするが、馬は蹄の音を響かせながら遠くに消え去って行った。
「……っ」
目頭が熱くなり、涙が溢れてきた。
声にならない嗚咽を漏らす。
「誰か……」
(誰か、父さんと母さんを助けてください―――)
―――ポツ。ポツ。
頬に冷たい雨の滴が落ちてきたのを感じた。
始めは優しかったそれも、時間と共に激しくなっていく。
体温がどんどん奪われ、体が鉛のように重く、もう指一本でさえ動かすことが億劫だった。
空が白み始めた霞む視界の中で、誰かがこちらへ向かってやって来るのが見えた。
(見つかったのだろうか……)
雨に打たれて少し冷静さを取り戻したルイは、ラウルとアリシアのことを思った。
二人は助からない。それは分かりきったことだった。
ラウルはアリシアとルイを助けるためにその身を差し出し、アリシアはルイを庇って死んだ。
三人の中で一番必要のない人間は、彼らの養子である自分のはずなのに。
ルイは自分が何故まだ生きているのか分からなかった。
(俺を殺したいのなら、殺せばいい)
体の力を抜いて、目を閉じる。もう何もかもがどうでも良かった。
重たく感じられた体の感覚が徐々になくなっていく中、大きな雨音だけが耳元で響く。
「―――いで」
ふと何処かで聞いたことのある声がした。
薄く目を開けると、あの不思議な虹色の髪が視界を覆った。
「死なないで、愛しい人」
ルイはここが現実なのか夢の中なのか分からなくなった。
ぼんやりとして上手く働かない思考の中、今まで見ていた夢とは何かが違うことに気が付いた。
(ああ、初めてあなたの言葉をちゃんと聞けた―――)
死ぬ前に彼女の言葉を聞くことが出来て良かった。それだけ思うと、ルイは意識を手放した。