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突然馬車の扉が勢い良く開かれ、ルイは何事かと目を瞬かせる。
「アリシア、ルイ。無事で良かった……」
ラウルは二人の姿を確認すると、ほっとしたように安堵の表情を浮かべた。
「そんなに慌てて、何かあったのかしら?」
アリシアは珍しく落ち着きをなくした夫を不思議そうに見つめる。
「二人とも、よく聞いて欲しい。御者が茂みの向こうで殺されていた。まだ何者かがここにいて、私たちを狙っているかもしれない」
「どういうことですか?」
ルイは驚いたように声を上げた。
「私にも分からない。もしかしたらこの森には、盗賊のような者たちがいるのかもしれない。この場所にいてはいけない。一刻も早くここを去ろう」
車輪を直すことが出来ないため、三人は馬車を置いて行くことにした。
幸いにも乗馬用の鞍などが念のために用意してあったので、それを馬車に繋いでいた二頭の馬につけた。
馬に乗れないルイは、ラウルと同じ馬に乗ることになり、そしてアリシアは一人で乗って移動することになった。
「さあ、行こう」
ラウルとルイの馬を先頭にして森の中を進んで行く。
しかし三人はあまりにも分かりづらい道に、すぐに迷うことになった。
道に詳しかった御者を亡くした今、簡単に森を抜けることは出来ないのだと実感する。
随分と馬で歩いたが、一向に森を抜ける気配がない。
段々と日が陰り、暗くなってきた辺りを見渡し、三人の胸の内には不安が押し寄せてきた。
夜になってしまえば、森の中は真っ暗で何も見えないだろう。
打つ手もなく途方に暮れる中、突然近くの木に矢が飛んできた。
「うわっ」
ルイは思わず悲鳴を上げて、矢の飛んで来た方向に目を向けた。
そこには木々に隠れるかのように、ぼろぼろの服を纏った体格の良い男たちが何人も立っていた。
「盗賊たちか……。何が望みだ?」
ラウルはその男たちを見据えながら、固い声で問うた。
「金目のものと、馬と、お前たちの命だな」
「金目のものと馬は良いが、殺されるのは御免被りたいね。私たちを殺したところで、何にもならないだろう」
「いいや、実はそっちが本命なんでね。悪いが三人ともここで死んでもらうさ」
それを聞いてラウルは顔をしかめた。
「お前たちは盗賊ではないのか? ……そう言えば、先ほど私たちの御者を殺したのはお前たちか?」
「ああ、そうだ」
「……なるほど」
ラウルは何かを考え込むような素振りをした後、観念したかのように両手を上にあげた。
「妻と少しの間、話しがしたい。どうせ殺すのなら、少しくらい時間をくれても良いだろう?」
「抵抗しないのか? えらく物分かりが良いんだな。少しだけだぞ」
そう返事を得ると、ラウルは馬から降りた。
ルイも自分で降りようと試みたが、緊張と恐怖で体が震え、上手く動けなかった。
まるで役立たずな自分をルイが情けなく思っていると、ラウルが優しく地面に降ろしてくれた。
そしてそのまま、二人は後ろにいるアリシアの元へと向かった。
「……逃げ切れるかしら」
アリシアは思案げに小声で言った。
「さて、どうだろう。やれるだけはやってみるつもりだが」
「こんなことになるなんて……。もっと気を付けておくべきだったわね」
「まったくだ。すまない」
二人は何かを悔やむようにそう言うと、お互いに顔を見合わせ微笑み合った。
そしてまるでこれが最後といったように、きつく抱きしめ合う。
「愛してる」
「私もよ」
ラウルは名残惜しげにアリシアから体を離すと、今度はルイの方へと向き直った。
彼は自分の指にはめていた指輪を外すと、それを盗賊たちからは見えないように、こっそりとルイに手渡した。
「これをクレメントに渡してくれ」
ラウルは小声でそう告げると、ルイの頭を優しく撫でた。
「父さん……」
ルイは直感的に何か言わなければならないと思ったが、頭の中が真っ白で何も言葉が出てこなかった。
そんなルイを安心させるかのように、ラウルは穏やかに微笑むと、男たちの方へおもむろに歩いて行った。
去っていくラウルの背中を見つめながら、ルイは恐怖にも似た焦りが胸に渦巻くのを感じた。
(行かせては駄目だ)
ルイは思わずラウルの後を追いかけようと身を乗り出したが、アリシアに腕を引かれて止められた。
彼女は静かな落ち着いた声で、ここに留まるようルイに言い聞かせた。
そしてルイを自分の馬に乗せると、彼女もまたその後ろに乗った。
「母さん……」
間近で見るアリシアの顔は青ざめており、ルイは心配になって声をかけた。
すると彼女は気丈にも微笑んで、ルイを励ますかのように、背後からぎゅっと彼を抱きしめた。
「私たちにまかせて」
アリシアは力強くそう言った。
けれども彼女の体が恐怖で微かに震えていることにルイは気が付き、守られているだけの自分を不甲斐なく思った。
(どうすれば良い? 父さんと母さんのために、俺が出来ることは―――)
そんなことを考えているうちに、いつの間にかラウルが男たちに囲まれていた。
「どうやら私たちは、はめられたようだね」
ラウルは深くため息を吐いてそう言った。
「叔父さん、出てきてくれませんか? あなたの企みは概ね成功ですよ。最後に少し話しをしましょう」
そうラウルが声をかけると、木の陰に隠れていた一人の男が姿を現した。
いつもラウルの家で会うときと変わらない、居丈高な様子のアイザックだった。
「私はあなたがこれほどまでに愚かだとは、思いませんでしたよ。クレメントの怪我も、街道で荷馬車が倒れていたことも、全てあなたが仕組んだことだったのですね」
「お前が儂の言うことに耳を傾けていれば、こんなことをしなくて済んだのだ」
アイザックは怒りをあらわにしながら、ラウルに食ってかかった。
「あの鉱山は儂に譲るべきだ。莫大な金を生むあの山を、そんな孤児の子供に譲るなど、正気とは思えん」
「……あなたはすでに何でも持っているのに、まだ欲しいのですか? 何を手にしていても満足が出来ないなんて、何て不幸な人なんだ」
「黙れ! お前はあの鉱山を持っているから、そんなことが言えるのだ。あれを、指をくわえて見ているだけしか出来ない儂の気持ちなど、お前に分かるはずがない」
「私たちを殺して鉱山を得たとしても、あなたはきっと不幸のままですよ、叔父さん。あなたは不満ばかりを見て、幸福を見ることの出来ない人だ」
ラウルはアイザックに哀れんだ眼差しを向けた。
「いいや、儂はこれで幸せになれるのだ。お前たちを殺して、やっと欲しかったものが手に入るのだから」
「アリシアとルイは見逃してもらえませんか?」
「命乞いなど無駄なことだ。さあ、もういいだろう」
アイザックは顔に歪んだ笑みを浮かべると、それまで黙って様子を窺っていた男たちに向かって三人を殺すように命じた。
一斉に飛びかかって来る男たちから、ラウルは一瞬視線を外すと、アリシアとルイに向かって叫んだ。
「行け!」
アリシアはその声に素早く反応し、ルイが落ちないように抱え込みながら馬を蹴った。
たくさんの矢や短剣がこちらへ飛んでくる様子を、ルイは体を固くしてただ見つめていた。
その視線の先にいるラウルの姿が、どんどん小さくなっていく。
一人の男がラウルに近づき、彼の体を刺し貫いた。
ルイは我知らず叫びながら、必死になって手を伸ばす。
空を掴むだけの手は無力そのもので、やがてラウルの姿は見えなくなり、馬が地面を蹴る音と振動だけが体に伝わってきた。