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ルイは二人が去って行くのを見届けると、ラウルの執務室まで戻った。
「父さん、俺に話しがあると言っていましたが、何ですか?」
「ああ、叔父の来訪でそっちをすっかり忘れていたよ」
どうやらラウルもアイザックが苦手らしく、会った後はいつも少しだけ疲れた顔をする。
「まあ、話しというのは、もし私に何かあった場合のことだ」
「何かあった場合?」
ルイはきょとんとした顔をして、目を何度かしばたたかせていると、ラウルは机の上に置いてあった書類を片付け姿勢を正した。
「例えば私が死んだりしたら、私の鉱山は息子である君のものとなる」
「え?」
「アリシアと私の弟のクレメントが、その管理を手伝うことになっているのだが、それで良いだろうか?」
「あ、あの、いきなり、どうしたんですか?」
あまりにも急なことに、ルイは目を白黒させてしどろもどろになる。
「いきなりでもないさ。こういうものは、きちんと考えておかなくてはいけないことなのだよ。この条件で良いのなら、署名をしてくれないか」
ラウルはルイの前に分厚い書類の束を置いた。
どうやら鉱山の相続に関する書類らしいが、どうして今ラウルがそんなことをする必要があるのか分からなかった。
「何か危ないことでも?」
「いや、何もない。心配しなくても大丈夫だ」
「そんなはず……教えてください」
突然こんなことを言い出すなんて、何かがあるに違いない。
そう思ってルイは真剣な眼差しで問いただしたが、ラウルはただ微笑むだけで何も言わなかった。
「……本当に何もないんですね?」
「ああ」
不審に思いながら念を押してみても、ラウルの態度は変わらなかった。
どうやら何も語る気はなさそうだと判断したルイは、ため息を吐いて書類を手に取った。
「父さんが望むのなら、署名します」
仕方がないといった態度で、必要なものに署名をしていく。
そんなルイをラウルは苦笑しながら眺めていた。
ラウルにとってルイはまだ守るべき存在で、頼るべき存在ではないのだとひしひしと感じる。
未だ子供で病弱な自分は、誰かの助けになれるほど強くもなく、また力もない。
それが良く分かっているからこそ、ルイは言われた通りのことをするしかなかった。
「助かるよ。ありがとう」
署名するための書類をラウルから次々と渡されながら、ルイは頭の片隅で考えていた。
(……一体、何が起こっているのだろう)
自分の知らないところで、何かが動いている。
それは理解出来るのに、何をすれば良いのか分からない。
そのことが歯痒く、ぐっと奥歯を噛みしめる。
この平穏で幸せな日々に、何か薄暗いものが近づいてくる気配を、ルイは確かに感じ取っていた。
* * *
ルイが目を覚ますと、つい先ほどまで見ていた夢が脳裏によみがえった。
美しい長い髪と瞳を持つ女性。
吹雪く雪の中で一人佇み、こちらに向かって何かを言っていた。
(一体、彼女は誰なんだろう)
リリーが話していた、旅芸人と何か関係があるのだろうか。
涙で濡れた顔を拭い、上体を起こす。
すると胸元に一瞬、鋭い痛みが走った。
「いたっ」
ルイが胸元を確認してみると、以前よりもずっと大きくなった痣がそこにあった。
(……確実に大きくなっている)
昔は気のせいだと思っていたが、この痣は少しずつ大きくなっているようだった。
そして最近では、痛みまで感じるようになっていた。
不思議な模様をした、黒く禍々しく見えるその痣は、どこか普通のものとは違っていた。
(気味が悪い)
そう思った瞬間、かつて自分にその言葉を投げつけた人がいたことを思い出した。
『気味が悪い。お前の両親も、お前を預かっていた叔母夫婦も、きっとお前のせいで死んだのよ』
甲高い嫌な声が頭の中に響く。
叔父が死んだ後、ルイを引き取ることを拒んだ親族の一人だった。
何の根拠もない、ただの妄言。
あのときはただ単に、ルイを嫌ってそう言ったのだと思っていた。
けれども今、突然何とも言えない漠然とした不安が胸に広がる。
『親族の誰も引き取りたがらなかった忌まわしい子供だ。きっと何かある』
そう言ったアイザックの言葉が、やけに胸を衝く。
(もしも、父さんや母さんまで死んでしまったら……)
ルイは自分を大切にしてくれている夫婦を思った。
自分を引き取ってしまったが故に、彼らが死んでしまうような羽目に陥ってしまったらと思うと、背筋が凍った。
(そんなことはあり得ない)
あの優しい夫婦は、これからもずっと幸せに暮らしていくはずだ。
そして自分は、そんな彼らのそばで生きて行くのだ。