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孤児院でのルイの位置づけは、奇妙なものだった。
名門の出でありながら、親族は誰も引き取りたがらないという少年。
病弱だが十分な教養も品性もある彼を、他の孤児と同じように扱うのは躊躇われ、皆が遠巻きにして見ていた。
ルイの扱いに困った孤児院の院長は、養子を探しているという裕福な家の夫婦がいることを耳にした。
その夫婦は何年も子供に恵まれず、跡取りとなれる子供を養子に迎えることにしたらしい。
院長は早速彼らに会いに行き、ルイを引き取るように説得した。
ルイはさる名門の家の出で、訳あって親族には引き取られず孤児院に来たが、十分な教養があり、これ以上ない跡取り候補だろうと熱心に語った。
夫婦はルイが病弱な体だと知ると、養子にするべきかどうか悩んだが、まだ子供なのだから成長すれば健康になるだろうと考え、彼を引き取ることにした。
ガラガラと車輪の回る音を聞きながら、ルイは馬車の窓から外の景色を窺った。
(……今度は何処に行くのだろう)
正直な話を言えば、うんざりしていた。
叔母夫婦が亡くなって以来、長く一所に留まった記憶がない。
今度の所も、きっとすぐに自分を追い出すことになるのだろう。
孤児院の子供など、養子にしたところで気に入らなければ、すぐに送り返せるのだ。
孤児院から一緒に来た男についてくるように言われ、ルイは捻くれた思いを胸に抱きながら従った。
男が扉を開けると、そこにはルイを養子にしたいという四十代くらいの夫婦が立っていた。
「まあ、なんて可愛らしい」
少しふくよかな印象を受ける優しい面差しをした女性は、ルイを見て満面の笑みを浮かべた。
「私たち、今日から親子になるのね」
その女性は嬉しそうにルイの方へと近づくと、目線を合わすように屈みこんだ。
「お母さんと呼んでくれるかしら? こんなに可愛い子が私の息子になるなんて、まるで夢のようだわ」
ルイは夫人のあまりの歓迎ぶりに言葉を失った。
きっと痩せっぽちで病弱な自分は、嫌がられるだろうと思っていたのだ。
予想していた反応とあまりにも違うので、どう対応して良いのか分からず、ルイは優しそうに微笑む夫人の前でただ立ち尽くした。
困って視線をさまよわせていると、夫人の後ろの方から声がした。
「こらこら、母親が息子を困らせるものじゃない」
がっしりとした体つきの男性が、苦笑いを浮かべながらルイの方へとゆっくり歩いてきた。
夫人の夫であろう彼は、ルイを頭からつま先まで見ると夫人と同じように優しく微笑んだ。
「君は確か九歳だったね」
「はい」
「君はこれから、どのように生きて行きたいかい?」
ルイは返事に困った。
頭の中に浮かんだ、かつての自分が望んでいた幸せな生き方。
叔母夫婦の元で暮らし、生まれてくるはずだった子供の良い兄になるということ。
けれど、それはもう叶うことはない。
叔母夫婦が死んでから今まで、将来に対する夢や希望を持つことがなかった。
しかし聞かれたからには答えなければならないと思い、少しの間考えてみる。
そもそも自分が何かを望んだところで、それははたして叶えられるのだろうか。
病弱な自分に、どれほど先の未来まで用意されているのだろうか。
大人になる前に、死んでしまうのではないだろうか。
不確かな未来しか描けないルイは、答えとなるべき明確なものは、何も思いつかなかった。
「強いて言うなら、死んだ両親と育ててくれた叔母夫婦に、恥じない生き方をしたいです」
「そうか」
曖昧なルイの答えを、彼は意外にも気に入ったのか、満足そうに頷いた。
「ふむ。確かに痩せているし病弱そうだが、私も気に入ったよ」
そう言うと、彼は大きな手をルイの方へと差し出した。
握手を求められているのだと気が付いたルイは、この手を取るべきかどうか悩んだが、結局は躊躇いがちに手を伸ばした。
孤児院にいても居場所はないし、この夫婦が自分を引き取ると決めたのなら、それを拒否する理由はなかった。
「私の名前はラウル・チャップマン、そしてこちらが妻のアリシアだ。これから宜しく」
「……ルイです」
こうしてルイに新しい家族が出来たのだった。
チャップマン家に引き取られることとなったルイは、彼らの家を見て大いに驚いた。
叔母夫婦の家も貿易商売で成功していたため大きかったのだが、この夫婦の家はまるでお城のようだった。
ルイは馬車から降りると、アリシアに手を引かれて家の中へと案内された。
「さあ、今日からここがあなたのお家ですよ」
温かな家。光が灯る美しいその場所は、まるで別世界のようだった。
置かれた家具は選び抜かれたものだけを置いているようで、目に映る全てのものが洗礼されていた。
ルイにはそれらに近づくことさえ躊躇われた。
遠慮がちに家の中を見渡していると、二人はルイを彼の自室となる場所へと案内してくれた。
自分の部屋が与えられるのは、叔母夫婦の家を出てから初めてのことなので、随分と久しぶりのことだった。
扉を開けて部屋の中へ入れば、大きな寝台がまず初めに目に入った。
ここ数カ月ほど固い寝台には辟易していたため、見るからに寝心地の良さそうなその寝台は素直に嬉しかった。
他にも暖炉や机、時計や部屋を飾る小物などが趣味良く置かれていた。
「どうだろう、お気に召したかな?」
ルイが部屋の様子を窺っていると、後ろからラウルに声をかけられた。
「もちろんです。僕には勿体ないくらいです。……こんなにも良くして頂いて良いのでしょうか?」
ルイは自分がこの家の跡取りとして、この夫婦に迎え入れられたことを意識した。
病弱な彼は、きっと二人が望んだような完璧な養子ではないだろう。
探せばもっと良い条件の養子は他にいるはずだ。
「もちろんだ。君は私たちの息子になるのだから」
ルイはどうしてこの夫婦が、わざわざ条件の悪い自分を選んだのか不思議だった。
こんなに立派な暮らしをする彼らなら、遠縁から養子をもらうことだって出来たはずだ。
「……どうして、僕を養子に?」
今聞いておかないと、いつまでも聞けずに終わってしまいそうな気がしたルイは、思い切って夫婦に尋ねてみた。
「君はあまり欲深くはなさそうに見える」
「欲深い人は、駄目なのですか?」
「いいや、駄目ではないさ。ただ私の跡を継ぐ人間を選ぶなら、あまり欲はない方が望ましいと思ってね」
要領を得ない会話に、ルイは首を傾げる。
「私は金がたくさん採掘される鉱山を所有しているのだよ。うちは元々、行商をしていた家だったんだがね。何代か前のご先祖様が、何故か金の採掘に手を出して、しかもそれが当たってしまったらしい」
苦笑いを浮かべて話すラウルの顔を、ルイは驚いて見た。
金が取れる鉱山を所有しているのだから、裕福なはずだった。
「欲は誰にだってあるし、人間らしいことなのだから、それで良いのだよ。ただ私の跡を継ぐのなら、不足感を満たすための過度な欲がある者は望ましくないだろう。私は『私の元で幸せになれる子供』が、欲しかったのだよ」
ラウルの言葉はルイにとって不可解だった。
こんなにもお金持ちの家ならば、たくさん欲を持っている子供の方が幸せになれるのではないだろうか。
例えば、贅沢を夢見る貧しい子供なら、それこそ有頂天になるような話だ。
ラウルの元で幸せになれる子供を探すなら、その方が良いと思うのに、彼の考えは真逆のようだった。
(僕はこの場所で、幸せになれるのだろうか)
美しい家にいる、優しい夫婦。
まるで幸せの象徴そのもののような場所を見て、ルイはほんの少しだけ希望のようなものが胸に湧くのを感じた。