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 いつ頃からなのか思い出せないほど、幼い頃から何度も見る夢がある。

 波打つ長く美しい髪と透き通るような双眸は、一見銀色に見えるが、よく見るとそれは光の加減によって色が変わる虹色だった。

 見たこともない不思議な色を持つその美しい人は、自分に向かって何かを言っていた。


「―――いで」


 彼女の言葉は、強い吹雪にかき消されて聞こえない。

 ふと彼女の手元に視線をやれば、光を放つ剣があった。

 強く輝いていたそれは、次第に光を失くしていく。


 ただの夢。だから、きっと何の意味もない。

 けれど、この夢を見た後は、何故だか無性に泣きたくなる。



* * *



 日がまだ昇りきっていない薄暗い部屋の中、ルイは目を覚ました。

 涙で視界が歪んで見える。あの夢を見て目が覚めると、いつも泣いている。

 ルイは夢の残像を振り切るかのように涙を手で乱暴に拭うと、今自分がいる場所をあらためて見渡した。


 今にも崩れ落ちてきそうな、ぼろぼろの天井。

 あまりの状態に、いつか寝ている間に屋根が落ちてきて死んでしまうのではないかと身震いする。

 親を失った子供たちや行き場を失った子供たちが預けられるこの孤児院は、決して裕福とは言えなかった。

 ルイがこの孤児院に来たのは二か月前だが、いまだ固い寝台に慣れることが出来ず、いつも明け方に目を覚ましていた。


「ごほっ」


 生来病弱なルイは体調を崩しやすく、何日も安眠が出来ていないせいか具合が悪かった。

 ぼうっとしていても仕方がないので、着替えようと服に手をかけると、胸元にある不思議な模様をした痣が見えた。


(段々と広がっている気がする)


 昔はもっと小さな痣だったはずだと思ったが、幼い頃のおぼろげな記憶など頼りにならないと思い直した。

 そんなことよりも、この病弱な体をなんとかしなければ。このままここにいれば、きっと長くは生きられないだろう。

 けれども、ふとそれは悪いことだろうかと疑問に思った。

 すでに家族はおらず、病弱な体をもてあますだけの生活に執着はなかった。

 死ぬその時がくれば、もしかしたらせいせいとするのかもしれない。



 ルイは元々、騎士として名を馳せた名門の家の子供だった。

 家の跡取り息子として生まれた彼は、健康であったなら厳しく武芸を仕込まれたかもしれない。

 けれど、ルイが生まれてすぐに両親は事故で死んでしまった。

 家は父親の弟が継ぐことになり、体が弱く武人になることは出来ないだろうと医師から告げられたルイは、父方ではなく母方の妹夫婦に預けられた。

 

 ルイの叔母である彼女は、貴族でありながら商人に嫁いだ変わり者だったのだが、ルイの母親である姉を大変慕っており、美しかった姉に似た面差しを持つ、黒い髪と黒い目をしたルイをとても可愛がった。

 叔母の夫である貿易商人の叔父も、義姉の忘れ形見であるルイを大切に育ててくれた。

 本当の親子ではなかったけれど、とても幸せな日々だった。


 そんな生活が続いていたある日、叔母が妊娠した。

 五歳となっていたルイは、自分に弟か妹が出来ることを大いに喜んだ。


「叔母様、どうか元気な赤ちゃんを生んでください」


「ええ、ありがとう。ルイはきっと良いお兄様になるわね」


 そう言うと、叔母はルイの頭をそっと撫でた。

 ルイはくすぐったそうに目を細めて笑うと、いつ生まれてくるのかと待ちきれない様子で尋ねた。


「あらまあ、せっかちさんだこと。まだまだ先の話ですよ」


「そうなのですか」


 しょんぼりと肩を落とせば、叔母は笑ってルイを優しく抱きしめてくれた。


 幸せそうに赤ん坊の誕生を指折り数えて待つ叔母と叔父を見て、ルイは自分の両親もこんな風に、自分の誕生を心待ちにしてくれていたのかもしれないと思った。

 体が弱く、思うようにならないことが多いけれど、叔母たちの子供が生まれたら、きっとその子を守れるような良い兄になろうと決めた。


 叔母のお腹はどんどん膨らみ、ついに出産のときが訪れた。

 ルイと叔父は産婆に部屋の外へと追いやられ、閉じられた扉の中の様子を不安そうに窺いながら、うろうろと辺りを歩くしかなかった。

 扉の向こうからは、叔母の苦しむ声が長い間聞こえてきた。


「ああ、こんなとき男はどうすれば良いんだ」


 手持ち無沙汰な叔父は、高ぶる気持ちをどうにか落ち着かせようと、深く息を吐いた。


「叔父様、叔父様」


「なんだい、ルイ」


 ルイは叔父の側に寄って行くと、少し遠慮がちに尋ねた。


「お庭のお花を、摘んでも良いですか?」


「良いけど、何に使うんだい?」


 叔父は不思議そうに首を傾げると、ルイは恥ずかしそうに頬を染めた。


「叔母様と赤ちゃんに、お花をあげたいのです」


 庭には叔母が好きな花がたくさん植えられていた。

 子供が生まれた日に贈る花としては、少々地味なものかもしれないが、きっと彼女は喜んでくれるだろう。


「ああ、きみは優しい子だね。それなら僕も一緒に良いかな? ここにいても僕に出来ることは何もなさそうだし、それなら君のお手伝いをした方が良い」


 ルイは笑顔で頷くと、叔父の手を引いて庭に出た。

 二人は叔母が好きだという花を色々と摘み、ああでもないこうでもないと言い合いながら、彼女と生まれてくる子供のために花束を作った。


 花束を作るのにすっかり夢中になっていた二人は、辺りが薄暗くなり始めてようやく、自分たちがどれほど長い間庭にいたのか思い至り、慌てて家の中へと戻った。

 叔母のいる部屋の前へ戻って来たときには、彼女の苦しむ声は止んでいた。


「生まれた?」


 ルイは大きな声で嬉しそうに叔父へ問いかけると、叔父は訝しげな顔をした。


「それなら、どうして誰も僕らを呼びに来ないんだ」


 何かあったのだろうかと不安に思ったとき、それまで固く閉ざされていた扉がゆっくりと開かれた。

 出てきた産婆の顔は青ざめ、憔悴しきっているように見えた。


「どうしたんです?」


 叔父が心配そうに産婆に尋ねた。


「……出血が、止まりませんでした」


「どういうことです?」


 妻の初めての出産に何が起こったのか理解が出来ず、叔父はただ困惑した顔をした。

 ルイは不吉な予感を肌で感じ取りながら、産婆の言葉の続きを待った。


「奥様は、お亡くなりになりました。お生まれになった子も、死産です」


 叔父と二人で作った花束が床に落ち、ルイは呆然と産婆の顔を見る。

 この人は一体、何を言っているのだろうと不思議に思っていると、隣から叔父の悲痛な声が聞こえて来た。


「そんな、だってさっきまで彼女の声が聞こえていたのに」


「奥様は小柄な方でしたし、その上初産だったため、ひどい難産に……」


 産婆は疲れ切った表情をして叔父に話し出す。

 叔父は淡々と何があったのかを説明する産婆を、まるで幽霊でも見るかのように見つめていた。



 妻と子供を一度に亡くした叔父は、しばらくの間、何もせずに家に引きこもっていた。

 ルイも叔父と同じように深く悲しみに沈んでいたため、二人して鬱々とした日々を送っていた。

 そんな叔父を心配した仕事仲間が、彼に新しい貿易先を紹介してくれた。


「これは……面白そうだな」


 新しい貿易先に興味を持った叔父は、引きこもっていても失った妻と子供が返ってくるわけではないと考え直し、紹介してもらった仕事を始めることにした。

 一方ルイはそんな叔父を見て、自分もいつまでもふさぎ込んでいてはいけないと、なるべく元気に振舞えるように頑張った。


 ルイが八歳になった頃、叔父は仕事で様々な地域へ行くようになっていた。

 新しいものがたくさん見られる旅は、悲しみに沈んでいた叔父の心を、少しずつ癒してくれるようだった。

 一緒に行きたいと駄々をこねるルイに叔父は、今はまだ小さいし、よく病気になるのだからと、家で大人しくしているように言い聞かせた。


「なら、大人になって元気になれば、きっと一緒に連れて行ってくださいね」


 叔父は熱心に何度もそう言うルイを微笑ましげに見つめ、きっと連れて行くよと約束してくれた。



 そんな生活をしていたある日、叔父の旅先から連絡が入った。

 叔父が旅先の流行り病にかかり、治療の甲斐もなく死んでしまったのだ。

 遺体を送るのは大変なので、旅先の方で埋葬されたそうだ。

 その後、叔父の髪が一房だけ届けられたが、酷く汚れており、髪色も微妙に違う気がした。それが本当に叔父のものなのかは、はなはだ疑問だった。



 その後、ルイは親戚中をたらい回しにされたが、どの家も引き取ってはくれなかった。

 生まれ落ちてすぐに両親が死に、育ててくれた叔母夫婦も死んだ。

 ルイはまるで死を運んでくる死神のようだと、親戚中から気味悪がられたのだ。


 なかなか引き取り手が決まらないルイは、孤児院に預けられることになった。

 嫌々引き取られるよりは、その方が良かったので、ルイは文句を言わずに従った。

 ただ一つ心残りがあるとすれば、叔父を叔母と子供の隣に眠らせてあげられなかったことだ。


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