1
急用が入り、投稿が1日遅れてしまった……ごめんちゃい。
僕たちは草原に横たわる『死』のもとへ向かい、彼を手厚く弔った。巨体のため埋葬することは能わず、近くに生えていた花を2本、彼の目前に供え合掌することしか出来なかった。――供花は不思議なかたちをした、名前も知らぬ小さな白い花だった。どこかで見た、いや読んだことがある花だった。……どこだっけ? …………その花を摘む時の感触ももちろんリアルだった。土の抵抗。引き伸ばされる茎。青臭い匂い。命を切断する生々しさ。
とても複雑な気分だった。何故僕に截然たる死を与えようとした存在を、懇ろに弔わねばならないのかと当然に考えたし、その思いをそのままララに伝えた。「このキシュナは僕を殺そうとしたんだ。なぜそこまで手厚くするんだい?」
ララは手を合わせたまま、瞑っていた目を開け口も開く。顔は彼に向けたまま。「――人や、どんなモンスターや生き物も、生命は亡くなった後も霊となって地に留まり、その地の生命を見守り続けてくれる。そんな大きな存在になるために、生者の祈りはとても助けになるの。それに、このキシュナは私が殺した。だから、祈りを捧げるのは私の義務。……カエデは無理しなくていいよ」
ララは優しく僕に教え説いた。まるで母親が赤子に崩した名詞を語りかけるみたいに。しかしその声は、枝から今にも切り離されようとしている木葉のように小刻みに震えていた。もちろん重ねられた両手も。
僕はララの隣で一緒に手を合わせ、祈りを捧げることにした。ララの小さな背中だけに、命を奪ったという重圧と責任を背負わせるのは嫌だった。叶うことなら総てを肩代わりしてやりたいが、それは人が生身で空を飛ぶくらいに不可能なことだ。……ララが死なない限り。
死から解放されるのは死者だけだ。
手を合わせている間、この虎に似た何かが、一体僕の何を暗示しているのか推察してみた。そして彼は、最初に感じた通り僕の中で胎動し続ける『死の象徴』なのだと結論づけた。僕は生まれてこれまで、『自立』を遂行するにはあまりにもか細い体で、『死』という事象を間断なく凄烈に受け止めて生きてきた。この世界のありとあらゆるところに存在する死を、閑却せず悉く呑み込んできたのだ。それは時に酷い吐き気を催すような味であったり、またある時は咀嚼する度に口内を血溜まりにするほど鋭利であったり、またある時は鉛の塊ようにずしりと重く固かったり、またある時はその総てであった。
それらは僕の生まれてこれまでの生命・精神活動の因果の集積であり、その集積の結果、僕はあの場所において、その偏執した自己愛からしか、自らの生を感じとることが出来なくなってしまった。
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
村上春樹は自身の小説『ノルウェイの森』の中で、『死』をそのように表現した。それは僕の中で、本来とはかけ離れた意味と用途で、水溜まりに落ちた紙くずのように隙間なく糊着しているのだ。




