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同時連載。『異世界ファンタジーはハッピーエンドを求めている。』もよろしく。
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「……もちろん怖かったですよ。生き物を殺すことも、『バレット』を外していたらキシュナは確実に私も標的にするってことも」と少女は答えた。「あのキシュナはあなたに夢中で、私にまったく気付いていなかったから『バレット』を撃ち込むことができたんです。でもキシュナが私を認識していたら、とてもじゃないけどあんなにすばしっこくて強靭な生き物を相手になんてできません。今の私の技量なんかじゃ。もういっそ飛んで逃げてしまいたい、それが頭の隅っこにずっとありました」
「……ありがとう。君も怖かったんだって知れてよかったよ」と、僕は言った。
少女は僕の言葉の意味について少し考えを巡らせてから、とりあえず脇へ置いとこうといった割り切った表情を浮かべた。そして質問を越えて、能動的に語りたいことを話し始めた。「ただその恐ろしいって感情よりも、キシュナを殺した後にやって来た無力感と後悔が、私の心
。気を悪くしてしまうかもしれませんが、キシュナだって完全な悪意であなたを殺そうとしたわけじゃない、と思うんです。自分が生きるためです。命を食べて命を繋ぐ。本質的には誰も悪くないんです。でも同じ人間が」
なんて正直でやさしいこなんだろうと、僕は思った。
僕は少女をとても羨ましく思った。そして少女は、僕の考えうる理想の象徴なのかもしれないとも思った。純粋で、気高い精神を持ち、強い。ひねて、他人と一定の距離を置き、弱い僕とはまるで正反対だ。しかし、その圧倒的な理想を目の前にしても、僕は僅の惨めさも感じなかった。そういった感情を抱くには、少女はあまりにも美しすぎた。姿形も、その総体的な在り方も。
「……そう言えば、私まだ名乗っていませんでしたね。――私は『ララ』。ララ・ベネディクトです」少女は胸に右手をあてながら名乗る。声と表情に光が戻り始めている。その徐々に明るくなっていく様は、まるで小振りな蛍光灯みたいだ。
僕も命の恩人である少女、ララに、まだ名乗ってなかったことを思い出した。とても失礼だったと思う。たとえここが、僕の夢の中だろうと。たとえララが、僕の内に葬った善だったとしても。
「僕の名前は……カエデ。カエデ・サトウ」僕は口内で自身の名前を飴玉のように転がしてから、そう名乗った。
「カエデさんですね。きれいな名前です」ララはまるでシロツメクサの絨毯のような、仄かに眩しく可愛らしい微笑を浮かべながら、僕の名前を誉めてくれた。
僕はその微笑に心を奪われてしまった。豊饒な頬に持ち上げられた涙袋はまさに果実のように膨らみ、宝石のような瞳をさらに煌めかせた。口角を覆うように浮かんだ笑い皺がとてもチャーミングで、その空間で気持ち良さそうに引き伸ばされた唇とその隙間から見える純白の歯――これもうすらと紫に――は、まるで花壇の中で優しく育てられた、まさに花そのものだった。
ララ以外のものが知覚出来なくなった。白いキャンバスの中で、ララだけが色鮮やかに微笑んでいる。
しばらくして、キャンバスに線と色が戻り始める。「あ、ありがとう」
返した言葉には丸みが欠けていて、口角や目尻が不自然に強張っているのが、自分でもよく分かった。今の僕は、とてもぎこちない表情をしているのだろう。
ララはそんな僕の顔を見て、くすっと笑った。まるでホースに空いた小さな穴から空気が抜ける音のような小さく可愛らしい笑声が、またもや僕の心を捕らえて離さなかった。その小さな両手で、本当に僕の心臓を包み込んでるようにさえ思えた。心臓が鼓動する度、心地よい跳ね返りを感じるのだ。ララと出会ってから、浮かぶ形象はその具体性を増していっている。
「すみません。ふぅ。では、改めてお願いなんですけど、よろしければ私の旅に同行してくれませんか? もちろん、それ相応のお礼もします。ぜひ一緒に旅をしてください!」
ララは深く会釈する。黒髪がまるで、神話の生物の鬣のように波打った。
「うん、こちらこそ、ぜひ旅のお供をさせてください」
僕は如何なる躊躇いも感じずに快諾する。本来は何かしら躊躇わないといけないはずだけれど……という建前だけを感じた。その何かしらの内容は、風がどこか遠くへ運んでしまっているみたいだ。
感情や性格に関しては大きな欠落は無いようである。しかし、それらを形作ってきた土台の多くは失われてしまっているようだ。しかもよりによって、それは好意的な事柄ばかりみたいだ。
「ありがとうございます!」ララは声をあげ、満面の笑みを浮かべながら喜んだ。
僕はそれを見て、『この夢から覚めるまでララと一緒にいたい』と願った。
ララは僕の前に右手を差し出した。僕もそれに応えるように右手を伸ばし、握手を交わした。ララの手は春過ぎの太陽に手をかざした時のように温かいのに、まるで新雪を握りしめているような儚さと危うさを感じてしまった。
「じゃあ僕も、旅立つ前に2つほどお願いしたいことがあるんだ」僕はララの右手を握ったまま、さらにその上に左手を重ねた。離したら消えてしまいそうな気がしたからだ。
いや、いつかは消えてしまうのだ。
「……お願いですか?」ララは僕の行為に驚いたようだが、すぐにもとの優しい表情に戻った。
「うん、まず1つは、敬語は使わないこと。さん付けもダメ」
僕自身敬語で話されるのはあまり好きではない。心の壁を感じてしまうのだ。相手の意思に関係なく、冷ややかな槍を突き付けられているように思ってしまう。刃の不気味な反映が僕の目を痛ませ、周りの風景をひどく滲ませる。まるで完成されたばかりの絵画を、乾かぬ内に手で無理やり擦るみたいに。
この夢の中では、現実では容易に言葉やかたちとして変換できない感情や思いも、途端に具体的な形象として顕れる。
僕はララからはそういった類いの、言うなれば鋭利な疎外感というもの感じたくはないのだ。




