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同時連載。『異世界ファンタジーはハッピーエンドを求めている。』もよろしく。
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「あのぅ」少女が僕の目を覗き込みながら反応を求めた。いけない、また不躾に凝視してしまったようだ。
「ごめん」と僕は応えて、一先ず思案をやめた。そして煙草でも吹かすように息を1つ――少女にかからないようにそっぽを向いて――吐いてから続ける。「言葉とその意味自体はよぉく知ってる。けどね、そんな素敵なものに比喩としてでなく現実として触れたことは無かったんだ。――さっきまではね」
「やっぱり! おばあちゃんの言った通りだ!」少女は両手を胸の前で握り締めながら言った。はじめて動物園でパンダを見た時のような反応だ。
「……おばあちゃん」
僕は少女の言葉を抜き出した。その言葉の持つ響きと意味を、懐かしむように頭の中で反芻した。何故だろう、目頭が熱くなる。
はい! と少女は溌剌とした声をあげた。僕は内的な反芻を中断し、3度意識的に瞬きをした。少女は続けて説明する。「旅立つ前に、占い師のおばあちゃんが予言してくれたんです。『道中で魔法に触れたことのない少年と出会うだろう。その少年を連れて行きなさい。さすれば少年はおまえを助け、旅を良い方向に導くだろう』って!」
少女の煌々とした表情の理由が、何となくだが理解できた。
やれやれ、さしずめ僕は選ばれし者と言ったところか。ファンタジーだけではない、小学校に上がりたての児童が抱くような天動説的な響きにも、未だ憧れを持っているらしい。
その考察に伴って、僕はある納得をした。少女との親密なコミュニケーション。それがこの特別の夢の世界で、僕という人間の本質を掘り起こす迅速で最良のメソードなのだ。僕は有難い機会を頂いたのかも知れない。通常の夢から現実に持ち出せる本質なんて、断片的でたかが知れている。そのうえ時間が経過すると、その断片は霧の中に吸い込まれるように有耶無耶になって遂には消え失せてしまう。もちろん例外もある。ただそれは、心的な外傷等に根差した暗く冷え冷えとした涕泣であることがほとんどだ。しかし、この夢は格別だ。暗部だけでなく陽光に浸された温かく柔らかな歓びも、何もかも一切合切をメタフォリカルに――時に直截的に――顕在させてくれる。それらはきっといつまでも、連作の名画のような感触を持って僕の中に在り続けるだろう。僕はそれを細部に至るまで模写して、額縁にいれて取り出すことができるのだ。
僕はその素晴らしい機会が、誰しもその人生に1度は訪れる救済であって欲しいと願った。公園のベンチに座っている彼の場合、そのパートナーは灰色の小熊かも知れない。路上でギターを掻き鳴らす彼女の場合、それは時代遅れのラジオかも知れない。誰かを見かけてはそのような想像をするだけで、どこまでも素敵で優しい気持ちになれそうではないか。
自身の不明確さに臆している場合ではない。いつ終わってしまうか分からないのだから、アグレッシブに言葉を重ねていかなければならない。その積み重ねが、記憶やアイデンティティにも勝る僕の厚みになるはずだから。僕はこの夢の世界で、自身がこれまでに擲ってきたもの総てを取り戻さなければならないのだ。『クリスマス・キャロル』のエベニーザ・スクルージのように。
「……君があのスミロドンを倒してくれたんだよね?」
僕は少女をまっすぐ見て質問する。少女は不意を突かれたような表情を浮かべる。これは僕の意地が悪かったかも知れない。まず少女はそのおばあちゃんの予言に対して、何かしら好意的な反応を待っていたに違いないのだから。君のおばあちゃんはすごいんだねとか、そんなおばあちゃんを持っている君は幸せ者だねとか。それは元来ごくごく平易な対応のはずだ。ただ弁解をするなら、たとえ演技でも僕は彼女の期待に応えてあげることができないと悟ってしまったのである。何故だかは分からないけれど。その居心地の悪さを埋めるために、僕は出し抜けに質問をしたのだ。
「――すみろどん? ……もしかして、キシュナのことですか?」
少女は質問に対して質問で返す。どうやらあの獣のことは「キシュナ」と言うらしい。あの恐ろしい見た目にそぐわないかわいらしい名前だ。
「そう、キシュナ」僕は強い語気で言葉を抜き出し、質問し直す。「そのキシュナを倒してくれたのも、君なんだよね?」
少女は視線を僕の後方へ投げた。そのさなかに、昂っていた両手を静めて臍の前におさめた。まるで申し訳無いみたいに。
「……はい、『バレット』という魔法を使いました」視線を僕の口もと辺りに落としてから、少女は答えた。先ほどまでの少女からは想像できない柔弱な声と表情だった。
僕は謝りたい慰めたい気持ちを制して質問を重ねた。「どんな魔法なんだい?」
そうは言っても、『バレット』がどういう魔法なのかについて、『ヒール』の時と同様概ね理解はできているのだ。でも、この目と耳でそれを確かめない訳にはいかないのだ。




