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同時連載。『異世界ファンタジーはハッピーエンドを求めている。』もよろしく。
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暗闇の先からしたたかな風がやってきた。それはあまりにも唐突で、僕は背中から倒れそうになった。押し相撲の駆け引きに負けたみたいにぐらぐらと。
僕は左足を引いて踏ん張り、転倒を防ぐ。しかし風は意地の悪いクラスメイトのように、執拗に僕のことを押し倒そうとしてくる。数や腕力を笠に着て、こちらの反応や表情を吟味し自身のどす黒い愉悦に変換するための仕打ち。その愉悦は薄気味悪い笑みと筆を払ったように持ち上がった目尻となって、じりじりと奇術的な仮面のようにすり寄ってくる。一連の冷酷さは凍えるほどの冷ややかさとして、如実に表れているようだ。背骨を直に握られているみたいに不快な風だ。
僕はさらに腰を落として、両腕と両膝を曲げファイティングポーズのような構えをとる。
それらの対応は無意識の反射のうちに行われて、僕の意識が少し遅れて追い付いた時、その暗闇は自身の目蓋の裏であることに気が付いた。紫色の微妙な薄靄がすぐ目前にある。外的世界の微かな光が、目蓋の組織や毛細血管を透かしているみたいだ。
どうやら僕は、目を閉じて直立していたようだ。
そして直前の記憶がごっそりと抜け落ちている。
…………まったく、これっぽちも思い出せない。新品の消しゴムをかけられたみたいにまっさらだ――暗い目蓋の内でまっさらと喩えるのは、ある種ちぐはぐとした表現かもしれない――。黒い跡も残らず、消し滓もきれいに除かれている。筆先の圧が生む葉脈のような溝も、擦った際に生じるよれなんかもからきし認められない。あるのは浮遊感に似た喪失の感触だけだ。まるで空っぽのランドセルを背負った時のように。止まっているエスカレーターに乗る感覚にも近い。
ここまで完璧に記憶が欠落するなんて、生まれてこのかた初めてだ――そもそも、僕はいつ生まれたのだろう?――。
僕はそのままフリーズしてしまう。身動ぎ1つできない。脳みそからの指令が、うなじのあたりで観念的な蓋をされて塞き止められているような感じだ。金縛りに代表されるような外来風の圧迫感ではなく、スイッチを切られているような根本的な虚脱感。
それは想起へのとっかかりが微塵も残っていないからだ。
漠然と過去に意識を向けていると、言葉や思考はその四次元的な虚無に音もなく墜落していく。
彼らは何処にも辿り着くことができず、どこまでも引き延ばされた時間の彼方に吸い込まれてしまったのだ。まるで船外活動中に命綱が切れてしまった宇宙飛行士のように。その悲痛の足掻きは、虚無の中ではありありと目に映ってしまう。首を動かすことも、瞬きや眼球運動をさせることもできない、今の僕は内的な定点観測をすることしかできないのだから、尚更に克明だ。その足掻き様は、飛膜をずたずたにされた蝙蝠も連想させる。彼らの落下は雲の上から牡丹雪を見下ろすみたいで、ぞろぞろと落ちていきやがてどこまでも小さな点になる。そのような形象が虚無の淵から沸き上がってくるのだ。
僕はその光景を愉悦と結びつけることはできない。
――いや、彼らは実際に何かしらの声を上げているのかもしれない。悲鳴であったり怒号であったり、狂気であったり恐慌であったり、もしかすると愛や歌なんかもそこに含まれているかもしれない。根源的に、そこには無数のドラマが息づいているはずなのだから。程度の差こそあれ、総てが何かしらに帰結する。結び付く。作用する。
ただ何ものも僕の耳には届かない。何も僕に訴え掛けてこないのだ。それは虚無は音を伝達しないとか、自然科学的な意味合いではない。あくまでもこれはメタファーなのだから。そのメタフォリカルな音声の悉くが掻き消されてしまっているのだ。僕の総体を実際的に包み込む、テレビの砂嵐みたいな風の音によって。ザザザザザザザ。
ともかく僕は目を開くことにした。夜空の星を数えるようなことはやめよう。過去は後回し、ひとまずは現在だ。速やかに現状を把握し、速やかに分析をし、速やかに対処をしなければならない。自身を更なる脅威から守るために。暁にはきっと、溺れるくらいの星が降ってくる。ただ、星を降らせることが総てにおいて幸福をもたらすのかどうかは、はっきりと言って分からない。忘れていた方がよっぽどよかったという結果にだってなるかもしれない。いやむしろ、そちらにベットする方がよほど懸命だ。ただ、虚無を放ったらかしにするわけにもいかない。虚無は記憶だけでなく、いつか形而下の大切な事物も呑み込みはじめるかもしれないからだ。そのような不吉を予感せずにはいられない。海からやってくる津波のような予感。最悪は、避けなければならないのだ。
僕は捕手のサインを拒む投手のように首を小さく横に振ってから、おずおずと目を開く。すると風は、待っていましたと言わんばかりに僕の瞳に襲いかかってきた。まるで神話に登場する暗喩的な蛇のように。こちらがあたりの像や意味を捉えるよりも先に、風は瞳に執拗に張り付いてくる。見せてなるものかと――何を隠匿したいのかは分からないけれど――確乎の意思をもって、瞳の潤いを悉く奪い去ろうとしているみたいだ。瞳がまるで、露出して日が経った川床のようにざらざらとする。そんな悪辣の仕打ちに僕は顔を背けしかめてしまう。絞り出された反射的な涙は頬を伝い、風によって押し広げられ刹那に乾く。まさに干上がる川そのもののようだ。これまでの総てが不愉快で、僕はどうしようもなく腹が立ってきた。
僕は歯を食い縛りながら、飲み込むように怒りを静めようとする。しかし怒りは、まるで巨大なナメクジみたいに喉の奥で蠢くのだ。気色の悪い分泌液を滲み出しながら。まったく、不快な事柄の幕無だ。僕は舌の上を這って口から飛び出そうとするそれをなんとか嚥下した。そして鼻からじっくりと、冷たい空気に熱を加えていくように深呼吸してから、右手で顔を被い風に対して背を向けた。まるで嘔吐を我慢する時みたいに。すると風は、標的を変更したように首筋から伝って背筋を縫うように下ってくる。やはりこの風は老獪な蛇なのだと、思わずにはいられない。それはこれまでにもまして不快だった。まるで背骨に鑢をかけられているみたいだ。両肩がいやに持ち上がって、唾液に金属的なえぐ味まで混じっていく。僕はしつこく這い上がってくる怒りを、ひたすらに胃の辺りまで押し込んだ。
僕は怒りが発露しそうになると、その迸りを隈なく呑み込むことに決めている。より正確に期するなら、先に呑み込むといった反射が現れて、後からそれを言語化し思春期的自我の体系化に伴って自己のシステムに組み込んでいったのだ。それは他者から啓発された無傷の思想ではなく、僕のこれまでの――けして長くはない――人生上で直截的に獲得したイズムの1つということだ。僕は歴史から何かしらを学び取ることのできる賢者ではなく、自身の痛みや喪失から生じるその代償とはあまりにも不等価な反射をこねくりまわすことしかできない愚者なのだ。象徴的に言い表すなら、5を失う代わりに1を得る。その繰り返しだ。100、95、96、91、92、87、88…………。実際的には4を喪失していくだけの人生なのだ。しかも質の悪いことに、0から先はどんどんとマイナスの領域に突入しとめどがない。-5、-4、-9、-8、-13、-12…………。きりがないのだ。僕はこれ以上何かしらを失いたくないし、何かしらを得たりもしたくない。失うだけは言わずもがな、得るだけというのも等しく勘弁だ。これからどれほど効率よく実際的な1を積み重ねていこうが、僕はマイナスの領域を脱することはけしてできない。0という数字ですらもはや何十光年という那由多の彼方にまで離れてしまっていて、どのような手立てを用いてもそこにたどり着くことはできないのだ。それほどまでに、僕は数多くのものを失なってしまっている。その総数はもはや那由多という単位で言い表せられないだろう。不可思議、無量大数、それ以上か。そして、そのことを学術論文として執筆できるほどに理解している。壇上に立ち身振り手振りたっぷりの演説をすることだって可能だ。言葉の強弱や視線や両腕の昂りだけでなく沈黙も徹底的に活用して、耳を傾けた無自覚な愚者共の心を万力のごとく掴んで離さず、遂には余すことなく総員を地獄に向けて進撃させるだろう。
『これからどれほど綿密に生を立ち回ろうが、僕は0に対する飢えと渇きしか実際的に得ることはできないのだ!』 ドォオン!
そのような肝腎のフレーズは、同じ声量同じ拍子同じ調子で幾度も幾度も繰り返す。まるで飢餓状態の捨て猫を冷々とする路地裏でひたすらにいたぶるようにだ。……しかし悲しいかな、その演説で発揮されるような器用さやテクニックを、僕は現実生活においては持ち合わせてなんかいないのだ。気休めにもなりやしない。何かしらを得ようとすれば必然的にそれ以上の何かしらが失なわれる。それが事実であり宿命であり真理だ。だから僕は何も得ようとはしない。感情の発露はその最たる行為だ。鼓動と同じ、打てばそれだけ死に近づく。だから僕は、能うかぎりそれを抑え込むのだ。呑み込む。消滅させる。現状維持。心拍数と寿命。それが僕のイズムの根幹なのだ。
いや、ただ1つだけ可能性はある。ここから何十光年と離れた0まで、一瞬で移動する量子論的手立て。夢幻のような救い。それは、自身が形而上の存在になることだ。平たく言えば人間をやめるということだ。幽霊のように、というと語弊があるか。はっきりと言おう。それこそが死だ。自死である。まるで鼓動1つに残りの寿命の総てを籠めるような、心臓が跡形もなく破裂するような爆発的なひと打ち。その圧倒的なエネルギーが僕の総体を限りなく分解し0の地点まで僕を一瞬で運んでくれる。僕のこれまでのマイナス総てを帳消しにしてくれるのだ。超理論的な仮説。僕はその手立てについて幾度も考えを巡らせてきた。授業中、食事中、入浴中、どのような場面でもその思考が常に概念の片隅にあった。それはもはや、ある種の学術研究という領域にまで突入していた。研究費も研究室もスポンサーもない、名声も喝采も報酬もない、批判も誹謗も中傷もない、超個人的な研究。しかし、僕は自死について何かしら具体的な準備や行動を起こすことはなかった。別に宗教的規範とかに目覚めた訳ではない。むしろその方がよっぽど健全だったと思う。宗教とは暗喩的な歴史の簡略化であり、そこから自身の部分的空白を埋められる者は間違いなく賢者の側に立つ人間だ。もちろん、僕はその対極の立場にいる。
死とは空間に空いた暗黒の孔、まさにブラックホールそのものなのだ。高密度の圧倒的な重力のかたまり。星の死と共に生まれ、宙を穿ち、あたりの何もかもを一切合切、光さえも吸い込む。満足して蒸発してしまうまで、いつまでもそこに在り続ける。僕は自身の死についての思考実験を繰り返すなかで、幾つもの他者の死からそれを客観的な事実として認識した。そしてその死がよりトラジェディであるほど、孔の直径は大きくなる。より多くの事物、事象、事柄を呑み込もうとする。僕自身幾度もそこに吸い込まれそうになり、実際に僕の内的な要素の幾つかは呑まれて失なわれた。それは先ほど述べた象徴的な数字たちのことだ。死は僕だけの問題ではない。もっと共同体的な事象なのだ。そのことに気付いて、僕は研究を凍結した。僕にもやはり大切な人たちがいて、彼らは僕が計画的な死を実行に移すと、随分と損なわれてしまうことになるだろう。実際に死ねようが死ねまいが。甚だ勘弁だ。いやむしろ、それは明瞭な恐怖だ。車の中に閉じ込められて水没するような恐怖。水圧によって金属がへこむ音が次々と起こって、いずれ生じた亀裂から水が侵入し自身の身体を濡らしていくような恐怖。衣服が肌にへばり付き、そのまま締め上げられて縛り潰されそうな恐怖。
その可能性に手を伸ばしてはならない。絶対にだ。僕のためにも、大切な人たちのためにも。ただ現状維持に努めるだけでいい。易くはないがそこまで難くもない。賢者でもないが、愚者でもない。
∞
申し訳ないが、もう少し僕の内省的な説話に付き合っていただきたい。過剰な自分語りが昨今のトレンドではないことも十分に承知しているし、資本主義の限界や高度情報化社会の歪みが叫ばれている昨今、架空の物語くらい頭を空っぽにして楽しみたい、そういった作品をどんどんと提供することこそ現代の表現者の努めだという多数の――と僕が勝手に思っている――意見にも共感はできる――そもそもそのような読書傾向にある人たちは、最初の執拗ともいえる描写表現を見て既に頁を閉じてしまったものと思う――。ただこの物語は、最初に述べた通り何よりもまず僕自身のささやかな救済の試みを発端として始まったのだ。誰かのためお金のため、そういった客観的な視点の悉くを排して、僕だけに向けた内的な文章をまず綴った。そしてより洗煉された文章とストーリーを求め、これまでにもまして物語を読み分析を行った。とりわけSFからは多くのことを学べた。ウェルズ、ヴェルヌ、ハインライン、クラーク、ジョージ・オーウェル、マイケル・クライントン、エトセトラ。彼らは大きな物語を創りだすために必要な要素とは何か僕に暗喩的に示してくれた。それは社会全体を俯瞰するほどの大きな視点と、1つの事柄や事象が時間の経過と共にどのような派生と発展を辿っていくのかを推理・未来視する素養である。僕はその示唆に従うことにした。しかしこの物語自体は、ジャンルとしてはSFではない。ファンタジーかマジック・リアリズムに属するのかもしれないが、一口では言い難い。ともかくだ、僕は素直にSFを綴ったのではなく、僕自身が希求するストーリーの雛型に彼らの示唆を流し込んだのだ。内に閉じ籠っていた視点を解放して社会を俯瞰し、自身と同じ空虚や傷を抱える――けして多くはない――同志にも向けた物語にグレードアップをさせた。そしてパラレル・ユニバース的設定を活用し未来考察も取り入れた。……おっと、これ以上話すと不適切なネタバレになってしまう。ともかくだ、ここまで読んでくれたのなら、君は何かしら僕と共通する痛みや虚無を抱える同志なのだと思う。だからこそ自信を持って言える。これは我々の物語だ。我々の物語がより大きく深いものになるためにも、もう少し僕の内省に耳を傾けて頂きたい。けして損はさせないから。
∞
僕も当初は、皆がそうするように怒りを外的世界に向けて解放してきた。しかし、たかが矮小な個の怒りが目前の難儀を具体的に退けてくれたことなど1度として無かった。水害のごとく流れ込んでくる情報を当座的にシャットアウトしているに過ぎなかったのだ。そう、あくまでも「当座的」だ。その場しのぎ。抜本的な工事を執り行って、根本的にその流れを変えて勢い減じるための資本も人手も、僕は持っていない。僕は何も持っていないのだ。本当に何も持っていない。
僕は普段、
やがて迸りも枯れて、幾らか平静になった面持ちで辺りを見渡すと、事態はより混迷としてばかりであった。取り返しのつかないこともしばしばであった。まさに地球の自然そのもののようだ。そして、それは僕の内面も同様だった。今までうまく扱えていた――と思っていただけかもしれない――感覚や感情の幾らかが明細に見定められなくなった。迸りと共にその大切な要素が飛び散ってしまったのだろう。僕はそれを幾度と繰り返した。自身の奥行きや重みがどくどくと外に向けて流れ出し、自身が今立っている場所もよく分からなくなってしまった――今まさにこの状況のようだ――。そして僕はイズムを見出だした。もうこれ以上、自身が洞窟に住む盲目の魚のように薄く透明になっていくのには耐えられないのだ。
とにもかくにも、僕は風の正面から逃れることができた。あまりの腹立たしさと不快感に気を取られていたが、僕は何よりもまず現状を把握しなければならないのだ。
僕は右手の下で再び目を閉じて、目蓋の上から瞳をマッサージした。親指のはらで右目を、人差し指のはらで左目を目蓋の上から揉み解した。何かしら致命的な損傷がないことを確認しながら。目を閉じてから5秒くらいはひどく染みて弾力はいささか失われていたが、問題なく回復した。渇いた瞳の表面に温かい涙が薄く広がっていくのが、ささやかではあるけど心地がよかった。この事態にあって初めてポジティブな気分になれた。唾液の味も普段通りに戻っている。怒りもようやっと観念して、胃液に溶かされ始めたみたいだ。
僕は息1つを吐いてから右手をおろした。手のひらにかかった自身の吐息の生温かさを握りしめながら。そして土に根を張るようなイメージでしっかりと立ちなおした。あれほど意思的に思えた風は、正面に回り込むといった行動は取らず馬鹿みたいに僕の背中にぶつかっている。いやそれは奸計であり、僕が再び目を開いた瞬間にまた目の前から襲い掛かる腹積もりなのかもしれない。風は怜悧狡猾の蛇だ。今度こそ僕は失明にまで至ってしまうかもしれない。また失明とまではいかなくとも、先ほどよりも遥かな痛みをもたらそうとしてくるだろう。そうやって僕の怒りが迸るのを待っているのだ。それでも、僕は目を開かないわけにはいかない。自身の直面する現実を見定めない訳にはいかないのだ。生きるとはそういうことなのだから。たとえ僕の周りを怪物が取り囲んでいて、風の正体が彼らの吐いた息だったとしても――元来僕はそういった怪異を信じる質ではないのだが、これまでの非論理的な展開を考慮するとそういった可能性も見過ごすわけにはいかないだろう――。
僕は覚悟を決めて目を開いた。「――ぁっ……」
思わず熱い息を漏らしてしまう。そしてまたフリーズしてしまった。しかし、それは先ほどとは違う類いの停止だった。ただただ純粋に美しいものを見た時に訪れる麗らかな空白だった。
僕は夜の草原に立っていた。草原は広大で扁平で、数km先に大きな連山が見える。まったく、身に覚えのない風景だ。その朧気な風景の大枠だけでも、現代の街で生まれ育った僕には胸を打つ光景だ。しかしこの草原は、暴力的なまでに美しい。涙が溢れるほどだ。ひたひたと、心地の良い。
草原は光輝いている。紫色に。こちらから連山の麓あたりまで。その僕の踝より少し高いくらいの草々が風に靡くことで輝きの質を緻密に変化させている。まるで巨大なアメジストの上に立っているみたいだ。数万通りと思える輝きの種類はどれもこれもきわめて上品で、その価値は天文学的な数字になることだろう。おかげで辺りはそれなりに明るい。その明るさは乳白色のヴェールとなって大気を被っているようだ。連山の斜面や稜線もそのヴェール越しにぼんやりとだが確認できる。斜面はふさふさの髪の毛ようにはげは一切認められず、幸福に係わる事柄について表した横線グラフのようになだらかな稜線は、それ自体が巨大で歴史的な樹木のように見える。太陽のプレゼンスや予感もまるっきし感じないので、時刻は夜中であることは間違いない。僕は安堵した。太陽の下ではこの草原の光も褪せてしまうだろう。まるで日中の蛍のように。そして強烈な光が常に何ものよりも美しいわけではないのだから。
夜に見る光はやはり素晴らしい、と僕は思う。
僕はその光を空っぽになって眺めていた。何秒? 何分? 何時間? 流石に数時間はないと思うけれど、我に返った時、風は僕への興味を逸したように弱くなっていた。風の音もまるで抜かれたみたいに小さくなっていた。蛇は何処かへ消え失せてしまったようだ。あの特異な冷ややかさもきれいに除かれて、この空間本来の寒暖を意識させない親切な気温と湿り気が、僕の総体を包み込んでいる。怒りはもはや影も形もない。
僕は右手で涙を拭ってから振り返った。前方と同じような光景が広がっていて、怪物はどこにも見当たらなかった。この紫の草原は四方を大きな山々に囲われていて、風に靡いて宝石のように輝いている。その中で僕だけがぽつんと立っている。まるで田舎の地図の記号みたいに。僕は目を閉じて耳をすます。両耳にそれぞれ手を当てて、幼稚園の先生が演じる象みたいに。丁寧に注意深く、風に紛れるその他の音を探ってみた。しかし、風以外は何も聞こえなかった。サアァアァァア。それだけ。本当に僕しかいないようだ。人だけではない。獣も鳥も、虫もいない。そういった小さなものたちの息遣いや声、潜んでいるような雰囲気もおそろしいほどにない。澄みわたるほどに清廉な空間だ。まるで生命の死に絶えた星に不意にやって来た宇宙飛行士のような気分になった。
僕は事態の解決に早急性が無いことを理解すると、またしげしげと草原を見渡した。そして思った。まるで夢みたいだなと。
夢か。なるほど、夢に違いない。時代は21世紀、テレビやネットなんかで情報は容易く入手できる。SNSで一般的な外国の人々とコミュニケーションもとれるし、グーグルアースやらで地球上を神のように俯瞰することもできる。それらを媒介とせずとも、情報は我々の周囲にもんもんと立ち込めている。まるで都会の粘着的な排気ガスのように。車窓を眺めているだけで、知りたくもない物事が無責任に無配慮に流れていくのだ。我々は情報に飢えていて、情報も我々に知られることを欲している。まるで1食抜いただけで餓死してしまうような哀れなメタボリックのおっさんだ。まったく、面白味もくそもない現代だ。そんな非情の時代にありながら、この草原を僕は知らなかった。それは「ダヴィンチの『モナリザ』を見聞きしたことなんてない」に等しく感じられた。そして、そこに染み着いていて然るべき人間の匂いがまるでしない。どうやらこの土地に、人類はただの1歩も足を踏み入れていないようだ。この壮麗な光景を人類が見逃すはずがないし、共有したがらないはずもない。僕は想像してみる。メディアが発達する以前から人類はこの草原をずかずかと踏み荒し、その元来の美しさが随分と損なわれている様を。人々はそれを外面的に憂いはしても具体的には何も行動に移さない。日々の労働に追われただただ傍観し自身を磨り減らせていくのみだ。個人の尊厳を圧して粉砕する万力装置のような満員電車に押し込められて、社会人は会社に学生は学校に出向いて別々の遣口を以て自身の心と脳みそを溶解させられて、絶望的に想像力が欠乏した図形に流し込まれていく。それはまるで、名前の掘られていないシンプルな墓石のようだ。そして墓石たちは木を伐採し、山を削り、海や川を埋め立て、邪魔な生き物を殺して、自身の領域を拡大してまた自身の分身をそこで増やしていく。その繰り返し。そのうんざりとする光景の中で、時間だけがいつも独立していて公正だ。目の前の情景よりも、そのイメージの方がよっぽど現実味を帯びているように思える。しかし僕は完璧な草原の上に立ち、健やかな風を全身で浴びている。その鬱屈とする現実から解放されているのだ。夢想の類いでなければ何だと言うのだろう。
それにくわえて、この草原を眺めていると僕は夢特有のある感触を覚えてしまう。この草原は今まで知らなかったし訪れたこともない。それは間違いない。賭けてもいい。ただ、その見知らぬはずの光景のそこかしこに既視が散りばめられている。まるで大切な人と同じアクセサリをつけている他人を街中で見かけた時みたいに、脳みそのしわを擽られるような不思議な感覚だ。
光だ。この光自体に、僕は見覚えがある。……とても、身近にある灯りだ。
僕は決まった曜日の決まった時間に、自宅近くのある場所へ赴いてはその灯りをぼーっと眺めている。随分昔からの欠かさぬ習慣だ。その現実の灯りは、草原と比べればささやかな煌めきではあるけれど、輝きの種類の豊富さとその内奥に垣間見える揺るぎの無い芯は紛うことの無い同一ものだ。そしてどちらも特別な力を持っている。僕はその灯りに日々の営みを重ね合わせて、種々の思いにふけている。すると小さな感情の波が全方位からやってきて、互いに衝突してうねりをつくりだす。それはとりとめもなく連鎖していき、僕の心はそのうねりに揉まれ海底のやわらかい泥みたいに沈んでいく。実に心地の良い感触だ。想像するだけでも気持ちがいい。そしてその内的な洗浄が奏でるこまやかな音響に、もたれかかるように耳を傾けている。何処かへ歩みだす前に、あえて悲しい歌が聴きたくなるのと同じように。
…………何故だろう。その灯りに対する心情は具に思い出せるのに、その灯りの実体はまるで思い出せない。その色と光は、僕の記憶を包む嚢を擽りはしても、そこを裂いて実像を暴こうとはしてこない。何かがそれを拒んでいるのだ。
――風だ。僕の中に、先ほどの蛇がいる。風は僕に興味を失くしたのではなかった。風の目的は僕の内に入り込むことであり、それを見事に成し遂げたのだ。当初は力任せの手段をとっていたが、先ほどの好意的な放心を好機とし、まるで断層の間に滑り込むように僕の中に侵入したのだ。とすると、この紫の草原はその目的を達成するために用意された装置なのかもしれない。……それでも構わない、と僕は思う。この心を差し出しても一向に構いはしない、そう思えるほどにこの草原は美しいし、僕の内に入ってしまうと蛇はもとからそこにいたみたいに快も不快も感じない。そして水辺の寄生虫のように僕を支配しようとしている訳でもない。むしろその対極であるようだ。
風は嚢を包みこむように渦巻いて破裂を妨害している。それは蛇というより、むしろ巣を守る蜜蜂の群れを連想させた。嚢を破いてやろうという意思を抱くと、風はそれを動物的に察知し渦の勢いを増して弾き返してしまう。それは記憶だけでなく、僕を外面的に規定する精神の類い総てに対して同様だ。そのような形象がまた僕の淵から持ち上がってくる。おかげで僕のアイデンティティは寓話的な泡沫のように細かく分解されて、元来保持していたかたちを失っているみたいだ。
言葉にすると、それはある意味で怪物に囲まれるより悲愴の事態なのだが、当の自身は少しの危機も感じていなかった。むしろ当然な事象のように思えた。夢を見るとはそういうことだから。
外的な何かしらの刺激を受けて、僕は毎朝夢の世界から目覚めている。そのうちの余裕のある時に、ふと先ほどまで見ていた夢について思い返すと、僕はもれなく滑稽な気持ちになる。夢中の僕と現実の僕の間に、記憶やアイデンティティの共有はない。というよりも、夢中の僕はその概念自体をもとからそなえていないのだ。そういった自身の外皮や枠組を脱ぎ去って、剥き出しのピュアな思念のみになって、雑多な舞台上をはちゃめちゃと動き回っている。そして現実では考えもつかないような行動と思考をしているものだ。文章に書き出してみると我々に様式的な共通点なんてまったく見出だせないし、姿を持たない観念的な第三者の視点として夢の世界と僕を観測している時もある。まるで小説の三人称視点のように。たとえ一人称的であっても容姿性別がまったく違う時もあれば、そもそも人間ですらない時もある。鳥になっていることが最も多いだろうか。それでも僕は、夢中の僕と自身は同一であるということを疑わない。疑えない。それは記憶やアイデンティティよりも原形質的な思念という領域において、我々は紛れもない共有をしているからである。夢の中の奇異の思考や行動も、総て自身で思ってやったことなのである。『我思う故に我あり』。デカルトの言葉が、今は尚更よく理解できる。風は僕の思念を解放するためにやってきたのだ。
僕は自身の過去について可能な限り思い出そうと試みる。
――もはや直前どころではなかった。それ以前であっても、具体的なものは何1つ浮かんではこなかった。忌まわしい怒りの歴史も、自身の生まれや名前も。家族の顔でさえも。随分と内省的で、数多くの歪みと傷を抱えた16歳の少年のピュアな思念として、僕は今ここに在るのだ。
これはある種の明晰夢なのだろうか? 人生上初めての経験だ。先ほどまでの一連の形象も夢、つまりは睡眠の紡ぎだす作用を僕の潜在意識が具象化した所産なのかも知れない。まるで夢の中で夢を見ているような奇妙な感覚だった。……このまま分析を続けよう。
――この風は、僕の外面に係わる精神に総体的な抽象を施していっているのだ。記憶やアイデンティティを削り取り、その断片を用いて舞台と展開を創り出して、本質をそこに浮かび上がらせる。まるで頑な子供がでこぼこの泥団子を顔が映り込むほどまでに磨き込むみたいに。2つの瞳をキラッと輝かせながら、乾いた土をかけて撫でていき、目の細かい柔らかい布で磨き上げるのだ。……僕も何度もやったことがある。メタファーの子供や、この風にも負けないくらい頑なに。磨き上げた泥団子は毎度収集するも、おおかた古いものから順々に割れていってしまう。そのコレクションは多くて10を越えたことはない。はじめて時間という概念に触れた体験だったと思う。
やはり、いつ何処で誰と――もしくは独りで――その泥団子つくりに興じていたのか、具体的には何も思い出せない。記憶の中でも、思念と強固に結び付きその形而上性を増した部分のみ、風の研摩から逃れることができるようだ。それはつまり、良くも悪くも、僕は多義的に身軽になっているということなのだ。その身軽さが僕を何処へ導くのかは、これからの分析に掛かっている。
きょろきょろと忙しなく草原を見渡していると、足もとで同じように蠢いている自身の影が目に入った。最初、それは自身の影で相違ないのか確証を持てなかった。首を左右に振り右手を上げ下げすると、影は不満なくその動作に応えてくれた。それをさらに2度繰り返して、やっと自身の影であると定めることができた。
影は短いながら開封したばかりのインクのように濃く、臍を中央として僅かに左に延びている。そこで僕は気が付いた。草原の発光は上空から降る圧倒的な光線に対する反応であることを。僕は影と反対の方向へ振り返り、上空を見上げた。
「な……」
空の頂きに純白の天体が浮かんでいる。それは視認できる空の領域の2割を塗り潰すほどに巨大で、強烈とまでは言わないまでも僅かに目を細めたくなる程度の光量を放っている。乳白色のヴェールはむしろこちらの賜物だったようだ。もちろん、現実では見たことも聞いたこともない光景だ。しかし、あまりに非現実的な天体でありながら、僕はそれを満月(月)と認識している。それは僕が便宜的にそう決めたわけではなく、夢中と現実の僕の関係と同じように、根本的な共有点を直観的に見出だしているからだと思われる。説明なんてできないけれど。その満月は大きさも然ることながら、我々がうさぎみたい蟹みたいと心を遊ばせ、そのささやかなる想像力を掻き立てるあのクレーターがまったく見当たらない。信仰的なまでにまっ白で、完全な球だ。いや、その完璧な白さは立体感を致命的に損なわせていて、のっぺりとした円と見た方が腑に落ちてしまう。まるで高次元からやってきた圧倒的な監視者を思わせるような、剣呑な満月だ。割れるなんて絵はまったく想像ができない。その壮大さに負けて腰が浮いてしまう。
やはり、ここは間違いなく夢の中なんだ。
僕はその月から目を離せなくなった。たまらなく美しいのももちろんだが、なによりその圧倒的なプレゼンスからたいそうな安心を受け取ることができるからだ。現実の物理法則に従うなら、地上からこれほどの天体が観測できる事態は紛れもない「世界の終わり」を意味する。大地は裂けて獄炎を噴きながら鳴動し、大気は総てを凪払いながら高速で移動を続け、生命はそのカオスに悉く呑み込まれる。しかし、現状はその対極だ。世界が終わる兆しなんてどこにも見うけられない。物理法則なんて、ここでは何の意義も持たないからだ。現実の道理なんてものは、何の役にも立ちはしない。巨大な満月と紫の草原、緩やかな山並みと乳白色の大気。それらは完成された絵画のように永劫的だ。まるで10秒くらいの小さな世界を永遠と繰り返しているようにも思える。コスモスとはこういった情景のことを言うのだろうと、僕は思った。しかし、そんなものはこの地球上では現出しえない。誰かの頭の中で、形而上でのみそれは在ることを許されているのだ。
その月を見つめ続けていると、彼は僕に対し痛烈な誹議を吐いているように思えてきた。内容は聞き取れるものじゃない。言葉を形成するにあたっての肝腎な支えがごっそりと抜け落ちて、虚ろで不快な響きだけが僕に向け烈しく放射されている。まるで歯が総て抜け舌も引っこ抜かれた老人の呻きのようだ。その響きはこれまでも夢の中でよく聞いてるような気がする。
しかし、ここは夢の中であるという解釈を補強していくにつれて、僕の内で痼が生じて大きくなっていくのも感じるのだ。まるで爬虫類の古皮を集めて丸めるみたいに。それは僕をいたくちぐはぐとした気分にさせた。僕は再び草原に視線を落とす。
夢とは元来、全身を水飴みたいな流動体に沈めるようなものだ。視界はどろどろとしてピントが合わず、音はみな虚ろに響いて、身体は強い抵抗にあっているかのようにスムーズには動かせない。これまでの夢は悉くその道理に従っていた。だが今度は違う。視界は鮮明で身体機能も良好だ。皮膚に触れる空気の感触も、風の音もリアルそのものだ。
しゃがんで草に触れると、はっきりとした感触と湿り気がある。膝にかかる自重。衣服の伸縮。空気を割って下に沈む感触。腹部の圧迫で肺から空気が抜ける僅かな息苦しさ。吸い込む空気にくっついた濡れた土の匂い。総てがイリヤ・レーピンの筆遣いのように鮮明で、そしてリアルだ。
明晰夢とはこういうものなのかもしれない。しかし、これまでの夢の中で体感した事柄や事象について抜き出していくと、そうではない物事が嫌でも浮かび上がってくる。まさに僕の影とあの月の関係みたいに。確実に現実ではない。ただいつも通りの夢でもない。美しくも奇怪で特殊な夢の世界だ。舞台は著しく夢想的であるのに、僕の感覚は鋭敏に研ぎ澄まされている。そのような状態で内向きにものを考えていると、僕はひどい屈辱感を味わってしまう。それは風がどうとかという話ではない。今この場に在る僕の思念は、「世界の終わり」に比肩する深刻なカオスそのものであることを克明に実感するからだ。僕が普段から現実に対し誹議的な態度を取っていたのは、その事実を自身から遠ざけるための矮小な自己防衛の取組であったのだ。心の奥底では理解していた事柄が目に見えるように顕在して、僕の不快感は急激に臨界に達しそして迸った。何かに喩える暇も無かった。
「おーい! 誰かいないかぁ! おォーい! おおおいぃ!」
僕はすくっと立ち上がり、遮二無二叫んだ。声はくっきりと明瞭に、足でも生えたように遠くまで駆けていった。誰でもいいから届いてくれ。返事が欲しい。このまま1人でいたら、頭が弾け飛んでしまいそうだ。カオスを包んだ肉袋よ、どうか僕の前に現れてくれ。
――ぐるるる。
後方から地鳴りのような唸り声が聞こえた。とても友好的なものではない。まるで錆びた包丁のような声だ。実際に腐敗した鉄の匂いも漂ってくるような気もした。僕は恐じ恐じと後ろを振り返る。
少し離れたところに獣がいた。大型のネコ科動物。動物園にいるライオンや虎よりも一回り巨躯だ。体毛は暗い黄土色で、無数の黒い斑が全身を覆っている。筋骨隆々の部厚い身体を低く構えて、猛り狂った鬼のような容貌から2本の強力な犬歯がこぼれている。――スミロドンだ。
「ふぅぁっ」僕は叫びたかったが、しゃっくりのような音しか出せなかった。声が、喉の奥に突き刺さってびくともしなくなったみたいだ。その分、僕は心の内で喚き散らかした。
お前じゃない!
僕は全力で反対方向に駆け出した。前傾姿勢で腕を大きく振る、人生上最大の疾走だ。呆れるくらいに身体が軽い。血は沸騰しそうな勢いで全身を駆け巡り、筋肉は焼き切れんばかりに躍動する。肺が下部から硬化していき、空気を上手く吸い込めない。流動体の抵抗など、そこには一摘みも存在しない。
僕は蛇の奸計に見事に嵌められてしまったみたいだ。
死ぬ夢殺される夢なんて、これまでも何度だって見てきた。刺殺、絞殺、転落死、溺死、焼死、毒死、ショック死、エトセトラ。僕はそれぞれに対し全力で抵抗をしてきた。流動体の中で必死にもがいてきたのだ。その直前や直後に僕は目を覚ます。じっとりとした不快な寝汗と共に。そして気がつくのだ。さっきのはただの夢だったのだと。ただその死の感触も、目覚めて数十分も経つと大方が霧散しまう。流動体が痛みや苦しみなど様々な感覚を鈍らせてくれていたからだ。その擬似的な死は、人の精神を調律するために訪れる位相のような事象なのだと僕は考える。僕は人と比べてその周期が極端に短い――と思う――から、やはり僕の精神は破滅的に屈曲しているということなるのだろう。
しかし、その流動体は今や存在しない。きっと痛みや苦しみは、口の中から大量の剃刀を吐き出すみたいに直截的に僕のことを捉えるだろう。
僕は一体どうなる? この奇妙な夢の世界で死に捉えられたら、ぼ
ぐあん!
「かっ……はぁあ……!」
すぐに追い付かれ、荒々しくつき倒された。胸部から腹部にかけて激しく強打した。僕はうつ伏せの状態で、両腕で胸を押さえながらうずくまった。額を地面に擦りつけて、強く押さえつけずにはいられない。
痛い……痛いぃ……!
身体の中心から全方向に亀裂が生じたような劇痛だ。異物を飲み込んだ蛙のように、内蔵が口から飛び出してしまいそうだ。呼吸も満足に出来ない。ヒューヒューと声にならない音がする。まるでその全身のひび割れから、空気が勢いよく抜けていっているみたいだ。
もはや小指の先ほども前進できない。その危機的状況に置いても、スミロドンが僕のもとに歩み寄ってくる足音、息遣い、体温は浮かび上がっていた。まるで静かな洞穴の中で滴り落ちる水の音のように。
ずず。
スミロドンの足が僕の頭を押さえつけた。爪が頭部を圧迫し、更なる痛みをもたらした。もはや何かに言い換えることもできない。もうほんの僅か爪を内側に入れ込むだけで、僕という存在は間違いなく原型を留めぬほどに砕け散るだろう。
がるるふ。
スミロドンの唸り声がすぐ耳もとから聞こえてくる。その声に引っ張られるようにねっとりとした唾液が、僕の首筋に垂れ落ちてきた。大振りなかたまりで、生温かくて気持ち悪い。ひび割れから僕の身体に浸透して、僕の思念は犯され汚されていく。
「あぇ、あぁあ……!」
人生上最大の痛み、そして紛れもない『死』だ。擬似的ではない本物の死が、僕の上にずっしりと重くのし掛かっている。早く目覚めなければ、僕は本当に殺されてしまう。その圧倒的な冷酷さで、渺々たる無の中へ僕を引きずり込む気だ。それは彼らが落ちていった空虚よりも完全で永久の暗黒だ。ベッドの中で冷ややかになっている自身姿が容易に想像できる。睡眠中の突然死。そんなのはごめんだ。まるでネットに転がっているような安っぽい怪談じゃないか。起き上がらなくては、僕はまだ、死にたくない!
僕は力の限りに目を瞑り、ひたすらに願い続ける。神に赦しを乞うみたいに。
目覚めろ! 目覚めろ! 目覚めろぉ!! 死にたくない死にたくない!! 助けてぇ! t ビュウウ。――どすぅんん。
突然、空気の切り裂かれる音がした。そしてスミロドンの足が僕の頭から離れて、巨大な物体が地面に激突する音と振動がした。スミロドンの息遣いやプレゼンスまでも消え失せている。新品の消しゴムをかけられたみたいにさっぱりとだ。それらが一体何を差し示しているのか、惑乱している僕にはまったく理解できなかった。2つの音と振動の距離感もまるで掴めない。自分が生きているのか、ついに殺されてしまったのかさえ分からない。それこそ一連の音と振動と消失は、自身の命が無惨に寸断されたことを暗喩的に表しているのかもしれない。魂とか死後の世界とか、僕はあまり信じていないのだけれど。
僕はうつ伏せのまま目を開いて、2度深い瞬きをしてから左の方を向いた。目映い紫の光がそこにはあった。光を捉えると、風の音と湿った地面の感触もじわじわと戻ってきた。スミロドンの強襲によって、それらはいつの間にか散らされていたようだ。
僕は自身が未だ草原に横たわっていることを、生きていることを理解した。そしてひとまず起き上がることに決めた。両肘で上体を浮かせてから腰を上げ、肘を左右交互に引きながら膝と垂直の位置にまで持ってくる。つまりは四つん這いの状態になった。口から大きく、何度も何度も空気を吸っては吐く。スムーズではないにせよ、身体はある程度思った通りに動いてくれる。どうやら致命的な負傷には至っていないようだ。痛みも幾分ましになっている。それはいわゆる神経伝達物質の作用かも知れない。もちろんそれは夢想的な粒子だ。
僕はそこから立ち上がろうとするも、それはうまくいかなかった。恐怖はいつの間にか下半身に溜まっていて、水底から伸びる触手のように絡まりつき指令を妨害しているみたいだ。まさしく生まれたての小鹿といった具合だ。そして恐怖は腸や肝臓や胃を素通りして速やかに心臓に侵攻し、同じように指令を失い乱れた心音が耳の奥で硬くなおかつ生々しく響いている。呼応するように呼吸はまた言うことを聞かなくなる。僕は激しく身体を震わせながら、左を振り向き右を振り向く。
「ふぁあぅ!」僕は叫び声をあげてその場に尻餅をついた。
スミロドンは僕のすぐ右横で、側頭部からドロッと赤黒い血を流し倒れていた。まるで目玉を引っこ抜れた眼窩のような穴が穿たれていて、ぐちゃぐちゃになって焼き爛れていた。そこから血液が滲み出ているのだ。本物の瞳は意思を失くして膨張し、だらんと開け放たれた口から火炎のような舌が飛び出している。それはあの2本と子供のように周りを囲む多数の小さな牙、そして暗黒の口内と相まって、総てを燃やし尽くしてもなお未だ消滅させる事物を欲している炎そのものに見えた。僕と正対の方向にばら蒔かれた血飛沫は、まさに飛び火だった――血液のかかった草は紫の輝きを失っている――。そこに安らぎなんてものはまるで認められなかった。
死んでいた。紛れもなくそれは、『死』そのものだった。
「うわぁぁあ!!」
僕は再び喚き散らしながら、必死に後ずさった。ただ足がまるで動かないので、上体をくねらせながらの腕力頼りだ。僕は特別強靭な身体でもなければ特有の訓練も受けていない。それ故あまり下がることができなかった。自身の認識よりも距離が離れないというのは本当に不快だった。草と地面の感触は常にリアルで、恐怖も最高潮に達した。今にも肋骨という殻をかなぐり捨て心臓が破滅的に膨張し、そして跡形もなく破裂してしまいそうだった。
「あ、あのぅ! 大丈夫ですか?」
また後ろの方から声がした。今度はとても友好的な、人間の女の子の声だ。僕は勢い任せに時計回りに振り返った。




