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二 – 3

母親とは約束したものの、和那の病院へ向かう足は重かった。

母親のいない週末にはいつも和那が料理を、雄大が掃除をいいつかっていたのだが、今日は母親が出かけに料理を作ってくれることになっていた。

それは和那にとって嬉しいことだが、今日こそ海と何を話してよいか悩んでいた。

和那はしばらく病院のホールで思案していたが、面会時間も少なくなってきたので、思いきって病室に続く階段を上がりはじめた。

すると、階段を下りてくる男性が知り合いであることに気がついた。


「聖義・・・・さん」


それは海の婚約者の聖義だった。

聖義は少し小柄ではあるものの、明るい色の髪で薄茶色の瞳の彼は、義彦や義貴に似て、知的で整った顔立ちをしていた。

和那が聖義と会うのは伯父の葬式以来だった。

聖義は海と同じ年で、まだ大学生のはずだが、ワイシャツを着てネクタイを締めた姿は、大人の男性そのものだった。

和那はずっと聖義を『くん』付けで呼んでいたが、今の聖義は『さん』と呼ぶのにふさわしい風貌だった。

聖義は和那の顔をまじまじと見ながら言った。


「大和さんのところの・・・和那ちゃん、か」


和那は踊り場で聖義が降りてくるのを待った。


「海の見舞いに来てくれたのか」


聖義の口調は穏やかだったが、表情は暗かった。

海が流産した子供は聖義の子供だったのだ。

和那は聖義に何か言おうと口を開いた。


「あ・・・このたびは・・・その・・・」


しかし和那はとっさに『ご愁傷様』と口にできずにいた。

和那のくるくると変わる表情を見た聖義は、寂しそうに笑った。


「海の言うとおり、元気でいいな。和那ちゃんは」


聖義はそう言いながら、和那のいる踊り場に降りてきた。

そして突然、聖義は和那の肩を掴むと、そのまま和那にキスをした。

和那は自分に何が起きたか分からなかった。

キスをしたのは生まれて初めてで、しかも相手は従姉の婚約者で、自分との接点はほとんどない人物だった。

聖義は義彦と似てはいたが、聖義に特別な感情を持つほど和那は面識がなかった。

そして和那は、これほど間近で人の顔を見たことがなかった。

和那は、瞼を閉じた聖義の顔を、男性とは思えないほど綺麗だと思った。

聖義の長いまつげが和那の肌に軽く当たった。

そして聖義の唇の感触は、妙に冷たく感じた。

和那が目を見開いたまま動かずにいると、聖義はゆっくりと唇を離した。

そして和那の肩から手を放すと、静かに言った。


「悪かった。でも、これで海は俺に愛想を尽かすだろう」


聖義はなぜか泣きそうな表情だった。

和那には聖義の言葉の意図を理解できなかった。

ただ、悲しかった。

自分のことではなく、聖義と海に対して。

聖義はそのまま和那の横を通り過ぎた。

しかし、階段の下から誰かが勢いよく上がってくると、聖義の胸ぐらを掴み、壁に押し当てた。


「おい、どういうことだ」


聖義に掴みかかったのは義彦だった。

和那は思わず口に出した。


「義彦さん」


義彦が二人の様子を見ていたのは明白だった。

義彦は、和那がこれまで見たこともない剣幕で聖義を突き上げた。


「自分が辛いからって、人に当たるな」


そう言う義彦の雰囲気に和那は怯えた。

しかし、当の聖義は義彦の挙動に動じずに言った。


「そうだな。でも相手が和那ちゃんでなければ、海は反応しない。

俺が何を言っても、海は聞いてくれない」


和那には、聖義の言葉の意味が分からなかった。

義彦は苛立った表情で聖義を睨んでいたが、ふいに聖義から手を離した。

聖義はその場に座り込んで俯いた。

聖義は床に座り込むような人ではないと和那は思った。

義彦は表情から怒りを消すと、和那を振り返って手を差し出した。


「和那ちゃん、おいで」


そう言う義彦の表情は優しくも哀しくも見えた。

和那は黙って自分の手を差し出した。

義彦は和那の手を掴むと、そのまま階段を下りていった。


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